五十三、西越中侵攻
雪が溶けた。春の訪れである。
一般には、この季節は農作業の季節である。しかし、現在の飛騨は既に違う。一鍬衆と常備軍は、農作業と関係なく行動ができる。冬の間に充分な火縄銃と弾薬を作成することもできた。つまり、今が飛騨にとってもっとも戦に適した時期の一つである。特に農民兵中心の越中に攻め入るとすれば、この季節がもっとも良い季節であろう。
この年の元旦の挨拶を受けた後、宴の前の評定において草太は既に明言していた。
「今年は、春から攻める。西越中神保氏、そして能登畠山氏には、悪いが攻め滅ぼさせてもらう」
草太が決然と言ったのを聞いて、諸将はその時が来たのかと思った。昨年の秋かと思ったが冬を越したのは意外だ、とは服部保長の言である。
「昨年の秋では、弾がまだ心許なかったわ」と言ったのは七太郎である。そういえば、と七太郎が城攻めについて聞いてきた。
「城攻めの要諦は、何でございますかな」
これには滝川一益が答えた。
「門を開かせる、と言いますが中々。四方八方を水も漏らさず固めてしまうとかえって開かぬもの。一手は手薄にしておかなければ、逃げられぬとて死力を尽くすものにございます。それが生き延びる道が細くともあると思えば、死力など出るわけもありませぬ」
経験者は語る、だな、と草太は思った。が、なにやら七太郎が考え事を始めた。ぶつぶつと、死力、逃げ道、逃れ場、穴、逃げられない、などと考え事を始めてしまい、ほとんど上の空であった。滝川一益は又始まったと言って
「こやつは、何かを思いついて考え始めるとこうなんです。今も何かを考え付いたのでしょう」
姉小路家日誌、天文二十二年弥生朔日(1553年4月13日)にはこうある。
「姉小路房綱公、畠山政国殿の守護代の証文はあれども戦を避けられて居られ候処、東越中又守護代椎名長常殿の乞いに応じ、遂に戦を致すべく腰を挙げ候。一鍬衆四千、鉄砲衆一千及び馬回り五百の総勢五千五百の兵を引き連れ、飛騨の防衛を牛丸重近殿、内政を太江熊八郎殿にそれぞれ任じ、また築城のことは栗田彦八郎に一任し、国人衆は国内に留め起きて後ろの守りとし、ただ内ヶ島家だけは後詰を仰せつけられたり。また、特に田中弥左衛門をして土城の守りにつかせしむ」
土城に田中弥左衛門を充てる辺り、吉城郡、ひいては神岡の地をいかに重視していたかが分かる一文である。
草太は出陣の儀式をした後、白川郷を経て北へ進み、礪波郡に入ったのは、弥生五日のことあった。礪波郡は一向宗の治める土地、ということになっていた。なっていたというのは、神保氏と一向宗が協力関係にあり、一向宗の意向がかなり強く反映されているが名目上は神保氏が守護代である。したがって、神保氏が治める土地と言ってもおかしくはないが、一向宗の意向に反対することがほとんどできないという、中々難しい権力構造の下にあった。
特に加賀、能登、越中については、では誰の領土か、と考えた際に答えが出ない、というよりも複数の答えがあり得るというのが実情である。ゲームのように、ここからここまでが誰それの領土、というような簡単な分け方は出来ない。
話を礪波郡に戻そう。礪波郡の南端部には山城として上見城があるが、既に廃城となっているのか誰もいない廃墟となっており、草太は兵五十を残して後詰の内ヶ島氏理に接収するように伝令を飛ばさせた。
この上見城跡(というべきなのか難しいが)で一夜を明かし、翌日からの礪波郡侵攻に備えた。
礪波郡に侵入した姉小路軍は、ほとんど抵抗らしい抵抗もなく北上を開始した。平野部に全部隊が展開し、まず目指すは、この地域の一向宗の根拠地になりうる井口城である。といって事前にの調査によれば井口城はほとんど城郭らしい城郭でもなく、城としてみた場合には岡前館と同じかやや櫓がある分だけ堅い、という程度でしかない。
どちらかといえば、寺社のように集合場所という意味合いが強いらしいということなのだろう、と草太は解釈した。
物見が帰ってきて報告した。井口城より一向宗とみられる軍勢、約八千、主将その他は不明なれどもこちらへ向かっている模様、と。また別の物見が帰ってきて報告した。北西より神保家の軍勢、約五千、富崎城よりまずは井口城へ向かっている模様なれど合流する意図があるかは不明、と。
「どうやら連携はとれてないようですな。折角の協力関係なのに、もったいない」
とは、弥次郎兵衛の言である。確かに協力して一万三千の兵に膨れ上がれば、こちらも戦い方が変わってくる。全力で正面からぶつかる、などという方法は絶対に取れない。数が違い過ぎて、側面からの攻撃を必然的に受けるためだ。だが八千程度、それも一向宗のような「単に戦い慣れただけの農民の集団」であれば、どうだろう。統制も特にとれておらず、三々五々、精々友人知人一族単位の小集団が沢山いるだけである。姉小路軍のように、統制のとれた集団ではないのである。
しかも、装備として考えても少なくとも鉄砲を防げるのは、前を行く人間の人体位なものであろう。脇差、槍の類も一世代以上の差がある。槍の長さだけでも、精々一間槍が良いところで、三間槍を装備しているこちらが圧倒的に有利である。余り殺し過ぎると後が大変だ、と思いながらも、合流した場合の用心として部隊正面に深さ一尺、幅一間の溝を掘らせた。即席の空堀である。こういうことに対して必要な道具は、全て小荷駄隊が運搬を行っていた。
高々一尺の深さとはいえ、幅一間であれば、一間槍では空堀の向こう側で止まらざるを得ず、そこは三間槍の間合いである。或いは一尺を下りれば、槍を突き出すのには空堀の周囲の土が邪魔になる上、当然槍を下に向けるこちらの方が有利なのは目に見えている。
そうこうしているうちに、一向宗門徒衆八千が五町の距離まで迫ってきた。そこで布陣を整えているのか、五町程度からこちらへは近寄ろうとはしない。
空堀はあらかた掘り終わっていたので戦闘配備に着かせたが、果たして鉄砲を打たせてよいものか、草太は悩んでいた。勿論、今のように戦闘する気で二町を越えて接近してくるようであれば、容赦なく撃つ。多分、前線の鉄砲隊指揮を任せている滝川一益のことだ。一町か一町半までは撃たせず、それ以降は八千人がことごとく逃げるか、戦闘ができなくなるまでは容赦しないだろう。それは草太でも同じことであった。
だからこそ、というべきか、であるにもかかわらず、というべきなのかは分からないが、草太の肩を叩くものがいた。顕誓であり、護衛の厳石と照蓮寺善了を伴っていた。
「あれは皆、一向宗。同じ門徒です。可能であれば戦わずに済ませたい。発砲前に話をする許可をいただけませぬか」
「許可も何も、貴方達は私の家臣ではありません。……ただ、説得をするのであれば早目に。距離が二町を切れば、撃ちます。五町で止まっているからまだ撃っていないだけです。もしも説得に失敗して戻るなら、大周りに戻って下さい。火縄銃の弾には相手を選ぶ目は付いておりませんので」
草太が許可を出すと、ありがとうございますと一言残して三人は去って行った。そのまま向こうに着く、などということは考えていない。このまま戦うなら、こちらが一方的に蹂躙して終わる戦であったのはまちがいない。
「今まで馬鹿にしていたけどさ、坊さんって偉いものだねぇ。何しろ、これから虐殺される集団のただ中に入って、それで説法をしようとするなんてさ」
とは木下藤吉郎の言であった。
偉い者はどの職でもいるものだ、と草太が木下藤吉郎をたしなめ、結果を待った。一向宗門徒衆が前進を始めるか、神保家の部隊が到着し合流するまで、何刻あるだろうか。解散するか軍使で正式に降伏するか、いずれになるかは分からないが、日のあるうちに結果が出て、その後、その日かその翌日に合戦が行われて終わるのは間違いなかった。
さて、一向宗の前に立った善了はほとんどの門徒が知っていた。また横にいる老僧が顕誓であることに気がついた年嵩の門徒たちは、涙を流して再会を喜んだものも少なからずいた。その門徒たちに向けて顕誓が言った。
「貴方達はここで何をしているのですか。今は田植えの大事な時期ではありませんか。農民であるなら、農民として田植えを行いなさい」
静かだが良く通る声であった。八千人の門徒全てにこの声が聞こえたわけではない。だが、その意味するところはほとんどの門徒衆に理解された。
「もう一度言います。貴方達はここで何をしているのですか。今は田植えの大事な時期ではありませんか。農民であるなら、農民として田植えを行いなさい」
年嵩の門徒の一人が進み出た。顔が涙でぬれている。そして何かを言おうとした時に、それを妨げるように一人の僧が出てきた。身の丈七尺余の大身を僧兵装束をまとい、手に采配を持って進み出てきた。
「みどもは瑞泉寺の僧、瑞泉寺六代証心。と申しても善了殿はよくご存じでございましょう。また顕誓殿は私がまだ小僧だった頃に一度お会いしたことがございます。……さて。我らは我らの身を守らんとして集まったもの。一人として私欲ではございませぬ」
さて、と顕誓は言葉を返した。
「証心殿、と申されたか。一人として私欲ではないという。だがな、そなたの私欲ではないかな。結局のところ、そなたが支配しているこの土地の、その支配を守らんがために門徒を集めたのではないかな。深く御仏に帰依すれば、極楽へ行ける。これが南無阿弥陀仏の意味するところだ。だがな、そうではないのだ。御仏は、少し手助けをしてくれるだけなのだ」
なんと、と証心は言った。
「日々、少しずつでも良い、善業を積むのだ。そうすれば御仏の手も多く伸びよう。逆にそなたらのように田植えもせずにこのようなことをして、いつ田植えをするつもりだ。今田植えをしなければ、今年の収穫はないのだぞ」
「言葉を返すようですがな」と証心は続けた。「攻め込んできたのは姉小路、そちら側ではないか。それを横において、勝手なことを」
ため息を一つついて、善了は言った。
「我らは僧でございます。僧は御仏に仕え、民を導くのが仕事でございます。戦は、我らが仕事ではございませぬ。信心は我らが仕事、なれど戦や政は我らが仕事ではございませぬ。このことを、顕誓様に言われるまで、私も気が付きませんでした。が、気がついてしまったからには、そのように勤めるべきでございましょう」
「儂が教えた、と言ったがな、儂も二十年ほど前まではそなたと同じ間違いをしていた。本家争いなどという愚にもつかぬことで、戦も政のまねごとも、随分としたものだ。そうして戦に敗れ、十数年ほど幽閉された。それだけの時がたって分かったのだ。今すぐに分かるというのも難しかろう。……だがな、これ以上の戦は止めじゃ。あと三、四町も進めば皆鉄砲の餌食、槍の餌食じゃ。無駄に命を散らすだけじゃ。……もう一度言う。戦のことは武士に、どうせこの地を治めているのは神保氏で、もうすぐ合流するのだろう。合流してからでは抜けられぬ。今のうちに、出来るだけ逃がすのだ。……お主が僧であるならな。もし武将として生きたいというのであれば、止めはせぬよ。万に一つは勝てるかもしれぬからのぅ」
言われた僧、証心は言った。
「そもさん。悪人なおもて往生を遂ぐ。いわんや善人をや」
顕誓はこともなげに喝破した。
「説破。いかな悪人とて千に一つ、万に一つは善業を行うものじゃ。その善業の故を以って御仏はそのものを救わんと手を差し伸べられるのじゃ。いわんや善人に対して差し伸べられる手は多かろう」
ぐ、と言葉に詰まった証心であったが、神保家との約定でもあるのであろう、それでも我らはここを離れず、我らの土地を守るのみ、と言っただけであった。
こうして対談は終わった。
結局、門徒衆は半数ほどが解散し、改めて顕誓に帰依することを告げた。顕誓は確かに一向宗の一家衆である八世蓮如の孫であるが、教団内の派閥争いに負けて末寺もないただの僧侶である。しかも、本人に新しい宗派を起こそうという気はない。ただ、己の信じ己の言葉に直した浄土真宗を説くだけであることを告げ、浄土真宗の教えには一揆をすることも年貢を納めないことも固く戒めていると説いて解散させた。
ただし、四千人全てがその場から解散できたわけではない。四千人の門徒のうち二千人程度は、戦場になる地域に田畑を持つものであったためである。そのため、善了がその二千人を引き連れて後から、そして先に顕誓が護衛の厳石をつれて先に草太にその旨を急ぎ伝え、彼らを攻撃しないよう命じてもらうようにする必要があった。




