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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第三章、群雄割拠編
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五十二、新型銃試作型

 さて、話は変わって七太郎である。

 彼は一年ほど前、草太から一つの宿題を出された。短筒の前に通常の火縄銃の銃身をつけることでより早い装填ができないか、と。実際、短筒も通常の火縄銃も一から一人で作ることのできる七太郎である。簡単にできるように思った。

 が、試作は難航した。


 火縄銃は、銃身と尾栓が一体となって高圧高温の気体が漏れ出さないようになっている。このため、口薬から燃え移った火薬に火が移って高圧高温の気体は主に前面にのみ放射され、漏れ出ることはほとんどない。それゆえ、鉄砲打ちはやけど一つ負わずに鉄砲を撃つことができる。

 しかし短筒の前に通常の火縄銃の銃身をつける、ということは、カラクリを入れても銃身に割れ目ができることになる。即ち、銃身が破裂しなくても高圧高温の気体が漏れ出る。特に手元に割れ目をつける必要がある以上、その高温高圧の気体は鉄砲打ちの顔や手を焼くことになる。


 折に触れて思いついては、いくつか試した。

 まず短筒の先に通常の火縄銃の銃身をつなげるという形。これは気体が漏れてしまい、鉄砲打ちはおろか肝心の弾丸の威力が著しく減少することが分かった。

 次に試したのは短筒側にねじ山を切り、長筒側にも雌ねじを切って取りつける方法である。この方法では、加工精度さえ確保できれば高温高圧の気体は漏れ出なかったものの、草太に言われた再装填の時間からすれば早合の方が何倍も早い。その上、一回ごとに照準が狂うという問題があった。

 その次にこの機構を簡素化した、ねじ山ではなく単に前後に組み合わせる形にしたもの。この方法では、量こそ減ったものの気体は漏れ出て、鉄砲打ちにやけどを負わせる危険性が非常に高かった。また、真横ではなく少し斜めに出るためか、火縄の中ほどなど思いもよらないところに高温の気体が当たっていることを示す痕跡があった。


 七太郎は完全に行き詰っていた。

 そんな中、正月の年賀の宴でふと聞いた質問が、七太郎の頭の中で何かを語りかけた。その後、どうやって帰ったのか、七太郎には記憶がない。ただ、閉じ込めれば良いという一点のみが頭の中で鍵のように光り輝いていた。

 何も、銃身を分ける必要はないではないか。

 考えてみれば、そうだ。草太が求めたのは、銃身を分けることではない。単に早く再装填を行うことである。


 とりあえず家に帰り、とりあえず手元にあった加工しやすい金属の円盤である鐚銭二枚を潰して板状にし、更にその端を筒型にした。そして、火縄銃の尾栓を外し、代わりに今作った筒をはめ込み、隙間ができていないことを確認した。はめ込んだ筒が飛んでいかないように、後ろから支える器具を取り付け、銃身の前から通常通りの火薬、弾を入れてつき固め、口薬をいれて火縄を挟み、撃った。

 果たして、高温高圧の気体は漏れ出ていなかった。一発ごとに交換する必要があるものの、火縄銃の雌ねじ部分を無くしても問題なく、それどころか雌ねじ部分がない方が円筒形の真鍮の部品を取りやすいということに気がついてからは、専ら雌ねじのないもので実験を繰り返した。何度やっても高温高圧の気体は漏れ出ず、これで一応の形ができた。


 しかし、未だ銃身の先から火薬及び弾を込めていることに代わりはない。

 ふと、それらをこの円筒形の部品と一体化できないかを考えた。黒色火薬は、砂と同じように水で練って形を整え、乾くとその形に固まる。といってもかなり脆いが、それでも一応は固まるのである。

 早速作り、実験した。

 結果は、成功と失敗が両方あった。成功としては、きちんと弾が出る、ということである。つまり、再装填にはこの弾、黒色火薬、金属筒の塊を一つ、火縄銃の銃身の後ろから入れるだけで済む。厄介な尾栓を外しての清掃も不要であり、数十発に一度、銃身内部に溜まった火薬かすを襤褸布で拭けば済む。

 失敗としては、不発弾が増えたということである。簡単に言えば、口薬の火が火薬に接触しないだけの空間があるか、金具が口薬と火薬を遮断してしまっているか、ということである。前者であれば筒先から押し込めば済む話ではあるが、それでは趣旨に反する。


 と、悩んでいたが、ふと気がついた。口薬と接触する部分は銃身の最後尾部分に近い辺りにある。ということは、何らかの器具を当てて指で押しこむという形にすれば前者の問題は解決する。後者は口薬と金具が遮断しないようにする、という加工上の問題であるため、それほど難しい問題ではない。

 更に、この方法では銃身と尾部が一体化していないため、銃弾の装填の邪魔にならないように現代で言うところの中折れ式を採用することができた。


 実験は上々であり、尾栓の為のねじ切りの工程がなくなったが、その分銃身と尾部とをつなぐ金具が別途必要となるという意味では、工程自体はほとんど省略されていない。しかし、再装填し再発射するまでの時間は格段に速くなった。

 問題は銃弾である。中折れ式にすると何らかの器具を当てて指で押しこむ方法はとれない。とはいえ、紆余曲折についてはまた別の項に譲るが、紆余曲折を経て制式採用されるのは中折れ型であるからわからないものである。


 このように試行錯誤を重ねつつ、七太郎は新型銃の開発にかかりきりであった。そして、漸くにして作成されたのが、いわゆる試製七太郎後装銃天文二十二年一型である。この銃自体は現存し、岐阜県××市にあるコレクションの中に含まれており、この名前を付けたのは明治期の陸軍当局である。特別展示で展示されることはあるが、残念ながら通常の一般公開はされていない。


 この新型銃の特徴は、まず第一に銃身が前後に移動する、という構造にあった。それまでの火縄銃が、全てカラクリ部分と尾栓部分、銃身が一体となっていたのに対し、この新型銃は尾栓自体がねじではなく単なる閉鎖機構でしかなく、銃身が銃床の軌条により前後する、という独特な構造をしていた。そして銃身を前に動かした空間に銃弾をはめ込み、銃身を模した器具を使って弾体を押すことにより、黒色火薬を圧縮、口薬との接触を確実ならしめ、器具を外し銃身を下げて固定具をつければ、発射が可能である。


 文章にすると長いが、右手に火縄銃を持ち、革製の手袋をした左手で前に撃った弾の薬莢を外して新しい弾を入れ、器具で押した後、銃身を下げる。これだけである。火縄銃を立てる、槊杖で突く、といった工程がないため、新型銃の方が撃つ速度が圧倒的に早い。なにより、右手で持った火縄銃をほとんど一度も離さずに次弾を発射できるというのは、画期的であった。



 姉小路家日誌の天文二十二年如月五日(1553年3月18日)の項に、こうある。

「姉小路房綱公より七太郎へかねて申付候火縄銃の改良、披露され候。中筒で早合を使い一発目を撃ってから二発目を撃つ間に、七太郎工夫の改良型は五六発を撃ち候。威力はいずれも変わらず、ただ弾に工夫が必要であるとぞ。公いたく喜びたるも、既に欠点を見抜き、早速いくつかの機能の追加を指示なされ候。

 一、下げ緒を付け、再装填時に落とさぬよう工夫いたし候事

 一、銃床を肩まで伸ばし、肩付きにすることにより安定させ、また、伸ばしたる空間に装填具の類を収め候事

 一、弾薬に特殊機構が必要ならば、その冶金具も作成致候事

 一、雨天でも撃て候様な仕組みを追加致候事

 また、公このことに鑑みて、選銭令を出し市中では鐚銭七枚が一文であるのに、一月の期間を設けて鐚銭四枚を一文と致候。市中商家大いに喜び、たちまちのうちに鐚銭、ひいては真鍮を集めることが出来候」


 草太は午後の視察の時間に、七太郎にかねて依頼してあった銃の試作型を視察するために試験場に来ていた。

 流石はというべきなのかが良く分からないが、七太郎の試作銃は非常によくできていた。特に最初、七太郎に依頼していた発射間隔については、早合を用いてさえ現行銃を数段上回ってた。

 従来型が滝川一益、試作型が七太郎であり、滝川一益が手を抜いたとは全く思えず、草太の知っている斉射速度よりも数段早かったにもかかわらず、である。

 この結果には、草太は納得せざるを得なかった。


 ただいくつか気になった点があった。

 第一に、新型銃の再装填時に片手で持つ関係上、非常に不安定になる。肩ひもか何かが必要であろう。

 第二に、鉄砲は威力を腕力とは関係のなく発揮できるのに、現状の鉄砲では命中力が腕力に関係しているように見えた。草太が現代でみたように、肩当て式にすれば大分違いがあるのではないだろうか。

 第三に、弾薬の後ろの薬莢、ソウタ爺が猟銃で見せてくれたものとそっくりだったが、材料は鐚銭とあった。鐚銭を集めるのは難しくないにしろ、この薬莢の形に整える、それも一つ二つではなく、一つの合戦で鉄砲一つに付き二十、三十と必要なものである。これらの量産体制がなければ、改良銃はほとんど無用の長物である。

 第四に、これまでの軍事教練や実戦を踏まえた戦訓から、雨天時でも撃てるような工夫が必要であった。



 これらを七太郎に伝え、今すぐに制式銃として採用は見送るものの、雨天装備以外が整い次第、次期制式銃として採用を内定し試用隊を設置すること、試用隊の結果を見つつ順次置き換えを行う旨を述べてこの日の視察は終わった。



 少し後の話になるが、まず肩ひもと肩当てとは同時に改良され、三日もせずに試作型が完成した。試用隊には肩当ては、それなりに好意的に受け止められた。今までよりも銃が跳ね上がるが、弾自体は狙い通りの位置を撃ちぬくことが多かったためだ。

 更に雨対策については、油紙を火縄の火口、火皿など後部を覆うことで解決を見た。その後、鉄砲隊だけではなく姉小路軍全部隊が、体は江戸時代の道中合羽のような油蓑、頭には陣笠、足には足半脚絆と雨天に対しての対応は次第に取られていった。

 ただし、試用隊によって重大な欠陥が報告された。砲身が前後する軌条の強度不足なのか、大体五十発前後から百発前後で砲身の軌条に問題が生じ、それ以後の運用が不可能になるということであった。そのため、結局特殊用途としてのみ採用され量産されない、という結果に陥った。量産される新型銃の登場には、まだ時間がかかったのである。



 余談ではあるが、姉小路家が合戦に強かったのは、一つには戦略により多くの場合に防衛陣を前にして敵を迎え撃つ、という戦いを行ったことであり、もう一つはこの雨具の果てに至るまで装備品が全体に良かったことも挙げられるところである。

 勿論、それだけの軍備を整えるのには、飛騨の鉱産資源をはじめとする大規模な収入の裏付けがあったのだが。



 最後まで手古摺ったのは薬莢用金具の大量生産であり、結局大量生産の方法が確立されるだけでも半年、大量生産体制が整うのは年が明けてからであった。

 真鍮を一度溶かして不純物を取り除き、板にした後、適度な大きさの円に切り取り、現在で言うところのプレス加工で皿状の薬莢が大量生産されることとなった。切り取った余りの真鍮や使用済みの薬莢も同時に溶かされて板に出来るため、鐚銭を大量に集めることは、初期を除きほとんど行われなかった。


 これらの冶具も現代に残されている。××城址記念博物館の物が最も有名であろう。


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