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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第三章、群雄割拠編
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五十、河童の中から出た猿

 飛騨統一からほどなくしてのある日のことであった。

 木下藤吉郎は憂鬱だった。

 蜂須賀小六に命令されるのは、仕方がない。客分として飛騨に来た。これも、別段待遇が悪いわけでもなし、危険な場所以外は大抵立ち入りができたし、事前に話を通せば大抵は許された。

 手紙も何通か出したが、開封され検閲されたことを示した暗号は特に書かれておらず、そのまま届けられたことを示していた。あの戦の前も、戦の後も、だ。あの戦の少し前に手紙で

「姉小路家、鉄砲衆あり。されどまだ二間先の角的に当てられるもの十名に満たず、隣の角的に当てるものも多数あり。未だ戦力としては訓練が不足なり。ただ不思議と不発は無きもののようなり」

と書き、それが届いたかどうか、返事も来ないまま今に至っている。蜂須賀隊は前衛でほとんど全滅であったと聞いた。蜂須賀小六が無事であるかどうか、無事ならば良いが自分の書いた手紙を信じて突撃し銃撃で戦死したとあれば困ったことだ思った。


 と、思い悩んでいるところに返事が来た。

 川並衆八百のうち七百までが討死。ここまでは知っていたが、この先は知らなかった。その百は、戦闘に生き残ったものではなく、川並衆の小荷駄隊として、受領した物資を運ぶために編成した百名のみが生き残った、ということであった。つまり、前線に出ていた川並衆は、蜂須賀小六のような例外を除いて全員死傷したとみて間違いない。木下藤吉郎は、腕力が弱いだけに前線に出ることが多く、逆に言えばこの戦闘に出たならば十中九まで、いやそれ以上に死亡したいたと容易に想像でき、恐怖感を覚えた。

 それまでの戦であれば、千人同士が朝から夜まで戦って、死者が両軍合わせて百もあれば多い方であり、その後の生活に支障が出るような負傷が残るものは二百もいれば多い方であった。それがこの戦では、ほぼ一方的に、ほぼ七百が死亡したという。戦の様式が、大きく変化していたのを、肌で感じていた。

 また、木下藤吉郎は同時に、戦闘に参加しなかったために生き残ったのだ、と。知った顔も随分とあった。戦国の世とはいえ、敵味方に分かれることも少なくなかったとはいえ、それはそれである。数百の中に知った顔も沢山いただろう。

 生き延びた、という運の強さと、彼らの死という物悲しさ、両面から、複雑な思いを木下藤吉郎は抱いていた。



 一方の草太も、この木下藤吉郎という男について思い悩んでいた。思い悩んでいたというよりも、扱いに困っていたという方が正しい。

 確かに機転は効く。武芸はそれなりではあるが、戦場に多くいたためか、生き延びるすべを知っていた。とにかく、逃げたりかわしたりという技術は相当に高かった。また思いつきで数名の部隊を率いさせてみたが、その場限りの部隊であったとはいえ、その成績は上々であった。指揮をする能力については、多分申し分ないだろう。少なくとも前線では使える、というのは明らかであった。

 しかし、彼の身分は蜂須賀小六からの預かり人であり客分である。多少は命じることができても、精々客将でしかない。しかも、検閲は草太が特に命じて行わないようにしているものの、蜂須賀小六とは連絡を取り合っているようである。これを利用して美濃斎藤氏との外交を模索しているのは既に書いたが、彼がこの件について重要な役割を担うようになるのはまだ先の話である。

 客将ではあるながらも、木下藤吉郎には一応の監視をつけていた。多分、当人も気が付いていることだろうと思うが、そこはそれである。その報告によれば、意外に、というべきか、早くも、というべきかは分からないが、木下藤吉郎は既に山伏、町の顔役、放下僧、無頼の徒などに顔が売れているようであった。山伏は美濃の国から近いので分からないでもないが、残りについては最初の報告では意外と思えるほど早かった。なにしろ、最初の報告は木下藤吉郎が飛騨入りしてから十日ほどしか経っていなかったためだ。


 ふと、思いついた。木下藤吉郎は服部保長につけてもよいのではないか、と。それとなく弥次郎兵衛に相談してみた。

「服部保長殿にございますか。確かに外交、諜報という意味では、適任かもしれませぬ。それよりは、弥次郎兵衛につけてやらなければ、そろそろ彼も限界にございましょう。が、まずは当人が当家に雇われるつもりがあるかどうかを確認せねばなりませぬな」

と、さも自分の配下にほしいような、他人のような言い方をして自分の配下に置きたいと願い出る辺り、流石は弥次郎兵衛の弥次郎兵衛たる言い回しであった。

「とりあえず、そろそろ良いころ合いでございましょう。本人にどうするか、去就を決めさせてはいかがでござますか」


 その翌日のことである。木下藤吉郎は政務の間の草太の前に座っていた。草太の斜め後ろには平助が普段通り太刀を横において座っていた。普段と異なっているのは、草太の前に文机がなく、書類の山もなかったことであろう。といって、木下藤吉郎との面談が終わり次第、文机を前に書類の山を片付けることになるためか、部屋の一隅にはそれらが積まれていた。この頃になると、一々直答を許すと言わなくても良くなってきている辺り、指示が漸く浸透してきたので喜ばしい。

「さて、木下藤吉郎殿、当家に参ってそろそろ四月になる。去就を、今決めるか、後に決めるか、その存念を聞きたい」

と草太は単刀直入にきりだした。持って回った言い方は、どうも草太には苦手なのだ。

「川並衆の件は別に気にしていません。戦ですからね。で、雇われるのは雇われたいのですが、条件というものがあります」

「蜂須賀小六との手紙であれば好きにせよ。他は役割と給金位か」

「左様でございますか。給金は知行で百石は貰いたい。役割は、どうせそちらの言いなりでしょうし、私に選択権はないでしょう」

 なるほど、言い方が、なんというか独特である。川並衆は皆そうなのかもしれない、と思いながら草太は言った。とりあえず最低予算から始めようと思った。

「給金は銭で年に十貫文。軍役を用意する必要はないが、必要に応じて与力をつけ指揮はしてもらうだろう」

「それでようございます。勿論、今後加増はお願いいたします」

 それは働き次第だ、と苦笑してこの日は終わった。

 これで漸く木下藤吉郎は草太の配下として、客将ではなく直参家臣として取り立てることとなった。


 そうして木下藤吉郎は時代の表舞台へと歩を進めることになる。ここまで、百姓のせがれとして、流れものとして、中間として、川並衆の古株の一人として、その時代の有象無象の一人でしかなかった木下藤吉郎は、これで漸く、一人の武将として時代の表舞台に立つことができた。

 だが、この時点ではまだ、飛騨という一地方を統一した武将の一家臣でしかない。

 木下藤吉郎が真の意味で歴史の表舞台に立つのは、まだしばらくの時間を要するのである。



 こうして直臣を一人増やしたが、草太にはどうしても不足していると思われるものがあった。

 それは、学校である。

 草太は学校が嫌いではなかった。というよりも、実家が酷過ぎて学校の方がはるかにましであったためといっても悪くないかもしれない。だが、領土のほとんどが直轄領であり、知行地として直轄領になっていないのは、内ヶ島家と国人衆の領土位のものである。その国人衆の領土にしても、さして広くもなく、全員合わせても一万石を少し越える程度でしかない。要するに飛騨のほとんどが直轄領である。

 最近は実情に合わせて、移民の受付場所を国府にある岡前館から益田郡にある桜洞城前に替えており、また鰤街道の通る高山外記にはその旨を通る者たちに周知させるように特に命じてはいたが、やはりどう考えても人手が足りない。

 農業としての人手は足りている。だが、彼らを割り振るための、或いは治安維持、農業以外の生活全般に至るまでの全ての事務処理、こういったことについては全く人手が足りていない。

 その結果が、草太の目の前にある書類の山である。いくら読んでも、署名をし、添削をし、可不可を判定しても、さっぱり底が見えない。日々、増えているようにすら思えるのである。

 移民たちにこういう仕事をさせるのは、不可能であった。なにより、移民の大多数は文字が読めない。十人中九人まではかろうじて自分の名前が書ける、というだけであり、自分の名前すら書けないものが少なからずいた。四則演算については、和算すら怪しい。もっとも、生活に密着しているためか、加減算は何とか、という人間がそれなりにいるのはいる。

 しかし、公用で、となるとほとんど使い物にならない。

 草太が飛騨に来た当初に見た帳簿が、加減算もあっておらず、時折朱引きで「徴発ス」と正しい数字と思われる額に直していた理由が、何となくだが分かる気がした。

 時間はかかるかもしれないが、学校をつくり、仮名文字、それから四則演算程度は最低限覚えてもらう必要がある、と草太は固く決心した。


 このことを評定にて諮ると、反対意見はほとんどなく、むしろ賛成意見が滝川一益から出た。

「現在の軍制のことを考えると、現在は規模が小さく数百人規模なので問題はほとんど起こりませんが、これから規模が大きくなると武将一人と馬回り数名で何千人もの軍勢を率いることになります。今のうちに隊という規模をある程度はっきりと決めなければ、この飛騨一国を守るだけなら何とかなるでしょうが、それ以上をとお考えなら難しいでしょう。某に腹案はありますが、それが最良だとは思えませぬし、なんともいえませぬ」

「申せ」草太は短く命じた。

 滝川一益の案は、こうであった。

 まず、鉄砲一、槍三の四人組が分隊、これが十集まったものが小隊であり、四十名からなる。ただし、十のうち一つは指揮を主に行う隊であり鉄砲二と隊長、副長からなる。これが八から十集まったものが中隊であり三百から四百名。やはり二十名程度を指揮を主に行う隊とする。同様に三から五個中隊が大隊、その上もいくつかずつの隊とするべきだが、現在の飛騨全土に徴兵をかけても一個大隊で済むため、今名前をつける必要はないだろう、とのことであった。

 たしかにこのようにするのであれば、再編成も楽になる。

 無論、この他に医療隊と荷駄隊とが別に編成されるべきであると滝川一益が言い、問題点を指摘した。

「問題は、これだけの部隊を作ろうとすれば、どうしてもそれだけの指揮をする人間が必要となるということであります。その意味でも学校は、早急に立ち上げていただくのを、我らとしてもお願いいたします」


 勿論、誰も教育の方法論など持っていない。教育内容も、草太の考えているものと滝川一益の考えているものでは隔たりがかなりあるのは事実であった。それでもまずは導入し、教育方法について模索して行くのが良いだろうということで一致をみた。

 その第一号校舎は旧古川屋敷を改装したものとされ、昼間は子供を中心に、夜は大人たちを中心に文字と四則演算を教えることとなった。講師は、とりあえず経験の多い、だが仕事量が少ない木下藤吉郎が充てられることになった。

「隠居でもしたら寺子屋の先生でもと思っていたのに、仕官したら寺子屋の先生にされた」

とぼやいていたのを聞いたのは、草太の胸にしまっておくことにした。


 因みに大人の仕官についても、これは滝川一益が中心となって教育が進められていった。

 といっても、まずは自分の隊の名前を覚えるところからである。草太が全て番号でつけるようにと滝川一益に命じたので重複する名前の隊はなかったが、それでも前途は多難であった。簡単に言えば、大隊番号-中隊番号-小隊番号-分隊番号となるだけである。例えば第一大隊第二中隊第一小隊第三分隊であれば、一の二の一の三というだけの番号である。

 それでも指揮官を養成するという仕事は、並大抵なものではなかった。まず指揮官を決めるところから始めなければならないのだ。本人の向き、不向き。勿論指揮官は専業でなければならず、指揮をするための独特の知識、これは滝川一益も勘でしかなく教育できるようなものではなかったが、上意下達と下の指揮官の実行可能性の判断とその進言など、教えるべきものは数限りなくあった。


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