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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第二章 飛騨統一編
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四十四、飯山決戦

 一夜が明けた。その日も晴れていた。ただし、一部では雨は降った。血の雨が。


 卯月十七日払暁、水無神社前の陣屋を引き払った三木氏の軍勢及びその増援である傭兵部隊川並衆は、川並衆を先頭に三隊に分かれ、先頭が蜂須賀隊小六率いる川並衆三百、第二隊が坪内利定率いる川並衆四百、第三陣が三木直頼率いる足軽隊四百は、益田街道を進み山間部から高山平野に入り、飯山城を攻撃しようとしていた。前野長康率いる百は小荷駄隊としてその場に残し、川並衆の受け取った報酬と兵糧を管理、運搬を担当させた。


 この動きは、移動開始直後に既に草太たちの知るところとなり、益田街道の出口をふさぐ形で横列陣を組んだ。

 この横列陣が、おそらく世界最初であろう、三兵戦術にも通じる鉄砲隊と槍隊の機動攻撃であった。


 山間部を抜けると、幅四町から五町ほどの平野部に抜ける。横列陣は物見の報告で分かっていたため、鋒矢の陣でとにかく敵正面にたどり着くことを蜂須賀小六は考えた。乱戦の間に第二陣が先頭に取り着けば、勝機はある。矢合わせなどせず、ただひたすらに前進を開始した。


 この動きに、最前列にいた滝川一益が反応した。鋒矢の陣とは、確かに川並衆は戦に慣れている、そう感想をもった。だが、戦争は非情なものである。射程範囲である二町を越え、距離が一町ほどとなったところで撃ち方を命じた。一発撃ち、銃を持ちかえてもう一発撃つ。そして二丁を持って下がる。二列目から四列目は槍隊である。渡邊前綱の命令一下、一列目のみ一間、二列目からは三間槍を持ち三人一組で前進し、蜂須賀隊を包囲殲滅して行く。どのような手練れであっても、三人を相手には戦えない。またたく間に蜂須賀隊は壊滅した。

 結果だけ言おう。蜂須賀隊は最初の鉄砲二斉射で七十名近くの死傷者を出し、この時点で既に部隊としては壊滅状態だったところに槍隊が突入したため、有効な反撃を行うべくもなく、後方にいた蜂須賀小六以下数名を除いて全員が死亡したか、戦闘不能となりその場に取り残された。


 ほとんどの兵が戦闘能力を失い、第二隊が山際から出てくるのを見た渡邊前綱は、槍隊を下がらせた。当然、滝川隊もこの間遊んでいるわけではない。既に二丁の火縄銃に玉を込め終わっていた。

 そして前後を入れ替える形で再び滝川一益率いる鉄砲隊が最前列に、その後ろに渡邊前綱率いる槍隊が戻った。


 流石に蜂須賀小六は長年の戦場往来の猛者である。このまま進んでも全滅するだけだと気がついていた。第二隊が進んでいる、その後尾近くにいるはずの坪内利定にこのことを伝えるべく、人波に逆らって進んで行った。だが戦場の空気で殺気立った兵たちは、自分が蜂須賀小六であると分かっても道を譲ったりはしない。邪魔こそしないが進軍の道を譲るようなものは一人もいなかった。

 そして、小六は背後に、またもや二回の銃の斉射の音を聞いた。


 人間、撃たれれば死ぬ。槍で刺されても死ぬ。そして、死体が残る。槍、脇差、胴丸、諸道具全てが残る。

 第一隊の残した死体約三百、第二隊が滝川隊の二斉射で作った死体八十余。これらは進軍するものの足を取るのに充分な障害物となり、滝川隊は弾込めを行い第三回目の斉射を行う余裕があった。また数十人が倒れた。

 蜂須賀小六が坪内利定のところにたどりついたのは、この第三斉射の音のした直後である。

「だめだ、あれは抜けない。尾根だ。尾根伝いに進んで飯山城を攻める、いや、逃げるんだ」蜂須賀小六は叫ぶように坪内利定に言った。

「何を言う。お前、隊はどうした」「全滅だ」

 坪内利定は、それで悟ったのだろう、全軍に反転、山に逃げ込めと命じた。


 が、時すでに遅し。命令が出た時にはすでに槍隊が突入しており、山へ逃げ込めという命令が下ったことも知らないまま、坪内隊も約三百が既にうしなわれており、後尾にいたのでまだ命令が間に合った約百名を除き、全て死亡、又は戦闘不能となった。


 だが、この時すでに第三隊三木直頼率いる足軽隊が接近していた。その先頭集団には、だれあろう広瀬宗城が立っていた。

 広瀬宗城は降伏が認められず自身の首を差し出すようにといわれた直後に城から脱出し、三木直頼の元に身を寄せていた。が、この異様な状況を見て驚き、そして坪内利定を探した。

「鉄砲だ。相当数ある。それに槍隊の練度も並ではない。尾根伝いに城を直接たたいた方がまだ望みはある」

 流石は元は城持ちの武将である、と言いたいところではあるが、残念ながら広瀬宗城には既に後退して道を変えるという選択肢を取ることは出来なかった。なにしろ、既に城を置いて逃げ出した臆病者と陰口をたたかれるような始末だ。この上、敵が強いから道を変えるべきだ、と進言することは出来ない。が、間の悪いことにそこに三木直頼自身が馬回りと共に表れた。

 坪内利定と蜂須賀小六、そして広瀬宗城は説得した。当たるべからず、道を変え、尾根伝いに飯山城を攻めるべきだ、と。


 しかしこの言葉は逆効果だったようだ。周囲には戦いを避けて隠れている川並衆がいる。坪内利定も広瀬宗城も無傷で。蜂須賀小六だけは軽い手傷を負っていたが、それだけであった。もはや三木直頼には正確な戦況判断など出来ず、三人が説得すればするほど意固地になって、そして突撃命令を下した。


 四百名の雑兵と百名の川並衆、総勢五百名が山影から出た時、まず見たのはつい今朝まで一緒にいたはずの味方の死体。それも何重にも折り重なった死体であった。その向こうに、横列陣を組んだ姉小路隊がいる。後列の、まだこの光景が見えない場所から三木直頼のしわがれ声が、突撃突撃と叫んでいた。後列に押されるように兵が前に押し出され、姉小路隊の横列陣から3町離れたところまできた。最前列は仲間の死体の、槍の、脇差の、陣笠の、その他の道具の散乱した足場の悪いところに差し掛かっていた。足を取られながらも、進め、突撃だ、という声に押されて足軽たちや川並衆たちは前へ出た。

 そしてようやく死体がほとんどなくなった辺りまで来て、ここから駆けて突撃を、という時になって滝川一益はさ、と采配を振るった。一斉射、そして持ちかえての二斉射目が終わると鉄砲を持って下がり、槍隊が突き出した。

 もはや首を打つなど関係がない。兜首でも鉢がね雑兵でも、三人一組でただ呼吸を合わせ、突いた。元より突撃する側は足場が味方の死体で、槍で、脇差で、諸道具で悪く、そして血糊で滑る。だが姉小路隊はその向こう側から、ただただ槍を突くだけであった。そして、突かれるたびに味方が減り、死体が増え、後ろからは押され、突かれ、死体が増えた。

 そして適当に距離が離れ適当な時間が経つと、槍隊が下がり、また鉄砲隊が前に出、撃った。一斉射、二斉射。そして一息入れた槍隊がまた前に出た。


 三木直頼の突撃命令から半刻余りたった後、生き残っていたのは最後尾付近にいたものだけであった。いかに相手が強かろうと、兵は順調に曲がり角を曲がって進んでいるように見えた。それは、その先で全滅していただけであったが、三木直頼の目には進軍が順調に進んでいるようにしか見えていなかった。自分が曲がり角から先を見た瞬間、見えたものは、死体の山と何事もなかったかのように整然と列を組む姉小路隊の姿、それだけであった。

 ここへきて三木直頼にもはっきりと分かった。あの三人が正しかった、と。


 広瀬宗城が三木直頼に近付いてきて、そして鎧通しを刺して殺した。そして首を落として坪内利定、蜂須賀小六のところに持ってきて言った。

「これで詫びになるかは分からない。だが、この通り御屋形様を首にした。だから、あの七百名を死なせる命令を下したことは許してくれ。私はこれから、この首を持って降伏する。そなたらは百名の部下がまだ残っているはず。そのものたちと急ぎ落ちてくれ」



 こうして、三木直頼はあっけなく首にされ、川並衆は急ぎ撤退して行った。

 撤退して行ったのを見届けて、広瀬宗城は最後の仕事になるだろう三木直頼の後始末を開始したのであった。



 敵軍が出てこなくなったため、斉射体制を整えたまま待機させていたころ、一人の白旗を掲げ槍先に首を刺した男が走ってくるのを滝川一益が見つけた。幾重にも折り重なった死体に足を取られながらも、何とかその山を乗り越えてその男はやってきた。滝川一益は初見であったが、槍隊を指揮していた渡邊前綱には見知った顔であった。

 走ってきた男は広瀬宗城であり、首は三木直頼に他ならなかった。

 二人では処理できない問題であるため、早速草太のいる本陣へ、第五列目であり不意の来襲に最低限対応できる程度の戦力ではあったが、その本陣へ一応後ろ手に縛って運んで行った。

 草太にはその首が誰だか分らなかった。広瀬宗城は一度だけ会ったことがあるだけである上、三木直頼は会ったことすらなかったからである。それでも首にされてきたということは誰かが首を打ったということである。草太は槍隊を含め、配下にはには敵の首を打つなど言語道断と固く禁じている。その代わりに勝利した際に受けるべき恩賞は参加した全員が平等に分けることとなっていた。

 が、首が討たれている。ということは、槍隊ではない誰かが討ったということだ。それができたのはこの場には一人しかいない。広瀬宗城である。

「三木直頼の首にございます。この後益田郡を案内いたしますので、我が一命だけは助命願います」

 草太はあきれてものが言えなかった。要するに自分の命惜しさに、古川富氏とその一族を手にかけ、今また三木直頼とその領土を差し出す、と言っているのだ。


 この部分について、姉小路家日誌ではこう書いてある。

「公、広瀬宗城が行いに憤り、我は命だけは助けるがその後は知らぬと仰せられたり。(略)三仏寺城降伏仕り、また益田郡も飛騨宮地城まで全て平らげ、ここに飛騨の統一がなされたり」


 さて、広瀬宗城のその後について、簡単に触れる。というのも、簡単にでなければならないためである。

 命だけは助ける。これは本当であった。ただし、歯を全て抜かれ、四肢の腱を全て切り動けなくしたうえではるばる京に運ばれ、鴨川沿いの目抜き通りにて「三国一の臆病者、卑怯者也」と書かれた札を首からかけられて杭に縄の端を縛りつけられたという。その後、広瀬宗城がどうなったのか知る者はいない。殺されたというものもあれば飢え死にしたというもの、親類に助けられたというものもある。

 いずれにせよ、はっきりとしたことは分からないが、その後二度と時代の表舞台に立つことはなかった。


 ただ、一つだけ不思議なことがある。

 草太はこの後も様々な事件で様々な立場で人を裁くが、このように残酷になった例はこの一例しか見当たらない。他は、高野山への追放であったり、遠島であったりはするものの、このように残虐な刑罰をあえて加えた例は一例もない。逆に一命を助ける例も多くあった。この広瀬宗城との確執があったといわれたり、逆に本当の父親が広瀬であったという説まである位、異質なのである。

 このようにただただ残忍な刑罰を与えたことを諭されて改心して刑を減じるようになった、という説もあるほど奇妙である。

 いずれにせよ、はっきりしたことは分からないが、広瀬宗城だけは特別だった、というのが通説である。


飛騨の飯山城は 36°7'28.68"N、137°15'14.34"E辺りです。ここから南南東にある平野部が決戦の地です。

三木軍は南から進軍してきています。


地図は、著作権の問題があるので載せませんが、気になる方はGoogleEarth等でご確認ください。

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