三十七、草太の救い
広瀬領一郷、そして今度は江馬氏が領していた吉城郡六郷を立て続けに領有することとなり、その上に広瀬城をはじめとした諸城の物資検め、必要な手配りなど仕事は山のようにあったが、それを草太が手伝ったとしても焼け石に水どころか邪魔にしかならない。さしあたって降伏してきた飛騨国人衆四名の扱いについて、決めるべきは決めなければならない。
姉小路家日誌によれば、高山外記、塩谷秋貞、鮎崎新兵衛尉、飯山保氏を引見をしたのは神無月晦日(12月26日)のことである。場所は岡前館であった。
「房綱公、高山外記、塩谷秋貞、鮎崎新兵衛尉、飯山保氏を岡前館にて引見、所領安堵の条件として税制の統一化、街道の整備手伝い、来夏の検地を仰せつけられ候。また、それぞれ嫡男乃至は二男を人質として差し出させたり。外記等、至極もっともとして受入候が、手元不如意なりという。公憐みて蕎麦雑穀の類を給されたり」
岡前館に戻った草太は、早速降伏してきた高山外記、塩谷秋貞、鮎崎新兵衛尉、飯山保氏の四名を呼びだし、引見した。
簾の向こうに草太が座し、脇に弥次郎兵衛と平助という構図はいつも通りである。型通り
「面をあげよ、特に直言を許す」
と弥次郎兵衛が言い、引見が始まった。
まずは草太が切りだした。
「こちらに降伏したい、という書状であったが、その方たちは三木の配下ではなかったのか」
高山外記は心外だという顔で返事をした。
「いいえ。三木家の配下になったつもりは未だにございません。他三人もです。三木氏は何しろ守護代ですから、守護代の命令により貢物を納めるだけで中立を守る、というだけの関係でございます。同じ戦場で轡を並べて戦ったこともございません」
弥次郎兵衛がいぶかしげに尋ねた。
「うむ。それでは我らに臣従するというのはいかなる意味か」
「姉小路家は善政を敷いておられる。今までは幕府の守護、守護代の側に付いておりましたが、これからは朝廷の御為に付くしたいということにございます」
草太は尋ねた。
「三木に人質でも入れているのではないか」
出来れば人質の血はながしたくない。それが草太の本心である。
「人質は、差し入れておりませぬ。我ら、三木氏の軍門に下ったわけでもなく、ただ守護代に対して幕府側に付くという証拠として貢物を送っていただけでございます」
「これからのお主たちの身分も、守護代に付いていた貢物を私に、朝廷に差し出すつもりなのか」
草太がいぶかしげに聞いたが、高山外記はそう言われるのを見越していたのであろう、即答した。
「そんなことはございません。我らは、姉小路房綱公の内政を見、戦わずしてあの広瀬を下すという様を間近に見ておりました。であるならば、臣従して部下になるべきと思い、かような仕儀になった次第にございます」
言葉を重ねているが、要するに姉小路家が強いから降伏する、ということである。ふと気になったことを聞いてみた。
「ときに、そなたらの城に食料はあるのか。或いは領民は飢えているのではないのか」
高山外記は、少し悩んだ。そこまで掴まれているのか、それともカマをかけられているだけなのか。実情を言えば、今年の年貢は平年の一割にも満たない。ほとんどの農民が年貢を納めずに逃散したためだ。他の三人に聞いてはいないが、大体事情は同じであろう。であるから、もしここで戦となれば食料は三日と持たない。だからこその先手を打っての降伏なのだ。所領安堵をしてもらい、可能ならば何らかの援助を引き出したい。
この思惑は、他の三人も同じだったらしく、塩谷秋貞が代わって答えた。
「実をいえば、今年の年貢はほとんど入ってきてはおりませぬ。多くの農民どもは年貢も納めずに、刈りいれた米をそのまま持って逃散仕りましてございます。少しばかりの蓄えとお救い倉、これで冬を越せるかどうかでございます」
他三名が臣従しても、間に三木氏の一族を養子に入れて三木氏との関係の深い鍋山城を間に挟んでいるという地理上の関係から、流石に内情を知っても攻め寄せてこないと多寡を括っているのであろう。それでも臣従を言いだすあたり、塩谷秋貞は塩谷秋貞なりに、三木氏の力は今後落ちるだけで次は姉小路であると冷静に判断し、臣従するならば早い方が良いとこの挙に出た。何らかの援助が受けられるならば、それに越したことはない。
草太は既定路線通り条件を出し臣従を受け入れることにした。ただし、一項だけ付け加えさせた。雑穀ではあるが各々のお救い倉に相応の量を給す、という一項であった。
また勘定方が忙しくなるな、とちらと可哀そうになった。
臣従の条件は、姉小路家に残された高山外記との覚書によれば次の通りである。
一、嫡子高山寿丸を岡前館に引き渡すべし。
一、検地帳を差し出すべし。又来夏、再度検地を行い検地帳を差し出すべし。以後の検地は姉小路家の許可なく行うべからず。
一、鰤街道、滞りなく整備仕るべし。また、関を設けるべからず。
一、命あらば百石宛五名を限度として兵を出すべし。その際の将は高山外記とす。
一、民は来るものは拒まず、去るものを追わぬべし。
一、常に領民を労り、慰撫に勤めるべし。
一、既に稼働しているものを除き、今後発見される鉱山は全て姉小路家領とすべし。
一、臣従の引き出物として特にお救い倉に蕎麦千石を下げ渡す。領民と分けるべし。
臣従の条件として右相定め候。覚書としてこの書を残す。
結局、税制を押し付けるところまでは「やり過ぎだろう」ということで見送られた。それ以外は、姉小路家の思惑がそのまま実現したといっても過言ではないだろう。
対する高山外記らは要件が予想以上に緩いのに驚いていた。少なくとも毎年の貢物の項が入ると思っていたがそれもなく、軍役も百石宛五名を限度とするとは、それほど多くはない。比較のために述べておけば、少し時代は下るが織田家であれば、常備兵として百石宛六名が定数である。四人とも領土は精々二千石もないため、軍役は精々百名程度である。そう頻繁に出せる数ではないが、大きな負担になるほどの数でもない。しかも、おそらく来年の夏の検地では石高は大幅に減っているため、その後の開墾次第では軍役は更に軽くなるだろう。
その上に蕎麦ではあるが食料を下さるという。臣従の条件としては破格のものだといえるだろう。
覚書を交わし、後は事務方に任せると言って引見は終わった。細かいところは事務方、特に勘定方が詰めるだろう。ふと、顕誓がどういうか気になって部屋を訪ねたが、留守であった。辻説法をしているという。辻説法を聞いたことがない草太は、少し気になってその場にそっと行って聞いてみることにした。
……でありますから、全ての結果は全て原因がございます。その原因は、今生の物かもしれません。前世の宿縁かもしれません。自分では悪くないと思っても、悪い結果を生むかもしれません。それでも、全ての起こっていることは、全て原因がございます。これだけは確かでございます。
ただただ南無阿弥陀仏と唱える。そうすれば極楽浄土に行ける。これは自力ではなく御仏の力をお借りして極楽浄土へ行くという良い結果を生もうという考えであります。私も自分自身を省みて、自力では極楽浄土に行けるとは思いません。南無阿弥陀仏と唱えて御仏の力を借りねば極楽浄土に行くどころか、地獄の底に行くことでございましょう。
それでも、日々、ほんの少しの善業を積んでいく、御仏の力をお借りする、そのお借りする力をほんの少しでも軽くする、そうして互いに善業を積み上げる、これは助け合うと言ってもよいかもしれませんが、そうして極楽浄土に行けるように御仏の力をお借りしようではありませんか。
それでは、最後に唱和をして終わりにいたしましょう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……
草太が聞けたのは、もう最後の部分だけであった。だが、善業を積んでいく。ならば例え敵であっても命令一下、千名余りを死なせたばかりの自分は、どれほどの善業を積まなければならないのか。いや、この道を選んだ時から地獄に落ちなければならないのは決まっているのか。屍山血河を渡るのは渡るとは覚悟の上であるとはいえ。
辻説法が終わった後、草太の姿に気が付いた顕誓が近付いてきた。
「初陣の話は、伺いました。顔が浮かばれないのも、理由は分かります。拙僧が言えた話ではございませんが、それでも言わせていただきましょう。千を殺したら万を救いなされ。それが善業となりましょう。想像してみて下さい。房綱様のお陰で、これだけの民が笑顔で正月を迎えようとしている。困窮しているものは見当たらない。これこそ善業ではありませんか」
「それは」草太は言った。「それは私の力ではございません。全て民の、皆の力でございます」
顕誓は微笑んで言った。
「なるほど、房綱様は優しすぎる。全ての悪業を自身に帰し、全ての善業は民に帰そうと思っておられる。その姿勢こそが、為政者としての何よりの善業でございます」
まだ迷い顔の草太に向かって、顕誓は続けて言った。
「迷いがあるときは、とにかく進むことです。それが間違っていたら、いつでも道を変えることです。拙僧も、最初間違った。僧侶なのに武士のまねごとなど致しました。今は僧侶の本分として、民に接して座禅の日々でございます。房綱様も、迷いがあろうととにかく道があるならば進んでみることでございますよ」
草太は、何かが分かったような気になって、やはり分かっていないような気になって、よく分からないまま「お言葉ありがたく」と言った。ただ、多くの民が笑顔でいるところを見て、なんだか救われたような気になった。




