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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第二章 飛騨統一編
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三十五、神岡侵攻

 政元城落城後、草太が最初に出した命令は人員点呼であった。自軍の被害がどの程度か、把握する必要があった為である。

 渡邊隊は寺林城接収のためにいなかったが、それ以外では一鍬衆が数名手傷を負って居るほかはほとんど被害らしい被害がなく、全くの完勝であったと言っても良い結果であった。だが、敵方の被害は甚大であった。

 元々政元城にいた兵は全員降伏し、武装解除に応じた。ほとんど近在の農民であることが明白であったため、そのまま帰農を許した。帰農を希望しないものも三十名ほどいたが、それは広瀬城降兵隊と共に再編成を行うこととし、一先ずは牛丸重近率いる小鷹利衆としておくこととした。


 姉小路家日誌の記述はこう述べてる。

「お味方衆、手傷追いしもの数名にて、死者之無候。敵方の首級数多なれども、人死に多く、公憐みてご不興なり。せめて手傷を負いし者に慈悲を与えんと欲し給い、(略)、民皆房綱公の徳に懐かれ候」



「城正面に展開せし小鷹利衆、被害なし」

「正面槍隊、被害はなし、ただし手傷を負ったもの数名、戦線より離脱すべき由」

「左翼槍隊、被害はなし」

「右翼槍隊、被害はなし、されど長槍曲がりたるもの一名あり」

 使い番が次々と報告してきた。草太は安堵と共に、ただただ目の前の屍山血河を生み出したのが自分の采配であることに、後悔をしていた。武士というのは何故争わねばならないのか。かつて城井弥太郎の言葉が頭に浮かぶ。「途中で沢山の血が流れますぞ」と。

 物思いに沈んでいる草太に使い番がきた。

「渡邊前綱隊、寺林城を接収、その場で待機するとのことでございます」

「逆襲に気をつけよ、篝火を多くたけ、炊煙もあげよ、と命じよ」

 草太は復唱を聞き、使い番が去っていくのを見送って、そして呆けている場合ではないと考えた。

「全軍、敵兵で死亡しているものは荼毘に付せ、見込のないものは楽にせよ、まだ生きて治る見込みのあるものは治療してやれ」

 いつの間にか弥次郎兵衛が来ていて後ろで命を下していた。

「旦那、平助が言ったじゃないですか。こうなるって。旦那じゃ耐えられないって。でも旦那、旦那じゃなきゃ多分ダメなんだ。この後をどうにかできる、それは旦那だけなんだ」

 平助が影から湧いたように現れた。

「こうしなければならなかったかは分からない。それでも、こうしたのだ。それが房綱様の、いや草太様の意思なのだ。こうして戦のない世の中をつくる。そのためにはこれも必要なんだ」

 草太は一つ大きく深呼吸をして、そして二人に礼をいった。

「ありがとう。一人で抱え込みすぎだな、私も。二人がいてくれて助かったよ」


 評定のため、渡邊を除く将を集合させた。このまま吉城郡を席巻するつもりである。

「本日の戦で、江馬時盛は多くの軍兵を失った。この期に神岡の主要な地域は全て抑えたい。意見があるものはあるか」

「おそらく一城を除いて面倒はございませぬ」

 こういったのは田中弥左衛門であった。逆に言えばその一城が面倒であるということでもある。

 どこか、と草太が聞くと傘松城だという。

「他は問題ございません。力押しにて開城させるも難しくないでしょう。ただ傘松城だけは力押しで落ちる城ではございません」

「では、先に他の城を落とすとしよう」

と草太が言うと、それで衆議は決定した。後は割り振りである。残す兵が少なすぎても、逆襲で落とされては何もならない。特に政元城は補給の喉元に当たる。逆襲で落とされるわけにはいかない。

「牛丸殿、手柄には遠いかもしれぬがこの城と寺林城を、小鷹利衆と渡邊の預っている雑兵三百で預っては貰えぬか」

「かしこまりました、ですが多すぎるのではありませんか」

 牛丸は草太の命に疑問を呈した。小鷹利衆百名に雑兵三百、これに渡邊隊が雑兵三百。ほぼ雑兵のみだが、それでも七百名が充てられるのは確かに多いように思える。しかし草太は言った。

「荷駄の運送、それに民の誘導も任せる。特に鰤を持った商人衆に迷惑をかけぬよう注意せよ。牛が暴れるのも面倒だ」

 了解いたしました、と牛丸が応え、残りの一鍬衆千六百と旧広瀬城兵百の合計千七百は今度は八幡山城を攻撃するために移動を開始した。途中、渡邊隊の守備する寺林城で夕食を摂り、夜間は休息して払暁に寺林城を出発した。


 この夜、草太は物見を放った。無論、どの城にどの程度の兵力が込められてるか知るためである。その結果、ほとんど全ての兵を八幡山城に集めていることが分かった。当然であろう。八幡山城が落ちれば、神岡の大部分は姉小路家の手に落ちるのだから。しかし、先の大敗が響いたのかその数はわずかに五百足らずということも伝えられてきた。他の城は合計でも百足らずである。

「好機ですな」

 田中弥左衛門が言った。この八幡山城の城兵さえ倒せば、後は面倒がなくて良い。確かにそうだが、相手が釣りだされてくれるかどうか、という問題がある。もっとも、釣りだされなければさしたる苦労無く八幡山城以外の城を席巻できるということでもある。

 戦評定は決まった。千七百名がまず神岡の街に入り、五百は田中弥左衛門が指揮して北の方土城へ、残りは六百ずつに分かれて一つは渡邊前綱が指揮して洞城及び石神城を、もう一つは草太が指揮して下館を攻略することとした。ただし、八幡山城から出てきた出てきた場合には狼煙で知らせ、渡邊隊が反転して退路を断つ、となった。

 上手くおびき出すことが出来ればよし、おびき出すことが出来なければそれはそれで八幡山城と傘松城以外は全て草太の手に落ち、吉城郡全域を支配するのは、時間の問題となる。降伏もよし、降伏しなければ攻め落とすことになるだろう。



 翌朝のことである。江馬時盛は焦っていた。その弟、麻生野直盛が必死になだめていたが、限界に近かった。

「何故だ、何故あ奴らは我らを無視して進むのだ。この地で決戦をする、それがために兵を、ほぼ全てここに集めたのだ。それなのに何故無視する」

と江馬時盛が言えば

「だから何度も言っているではないか。あれは誘いの隙だ。ここで糧道を断つ、それだけでも意味があるのだ」

と麻生野直盛が宥める。

 と、物見が一人入ってきて、隊を三つに分けたという。概ね同数で戦える、絶好の好機である。旗指物や馬印から、田中弥左衛門が北へ、渡邊筑前守が南へ、当主姉小路房綱は下館へ、それぞれ向かったと思われる、という。

「当主を討ちとれば、まだ目はある。好機ぞ」

 江馬時盛はそう判断した。実際に、当主が討ち死にしてそれまでの勝ち戦を全てひっくり返される例は、史実でも有名な桶狭間など多数存在する。江馬時盛は乾坤一擲、ここ一番の大勝負をかけて姉小路房綱を討ちとろうとした。そうでもしなければこの期から逆転する目などあるとは思えなかった。



 草太の部隊が下館を無事に接収する頃、斥候が報告してきた。

「ほぼ全軍、出撃し、こちらへ向かっております。渡邊隊にも同様の報告が届けられております」

「思ったより早かったな。御屋形様の首を取れねば、逆転の目は無いにしてもな。……御屋形様、どうしますか」

とは弥次郎兵衛だ。どこか他人事のような、残念そうな口調であった。

「無論、この場で迎え撃つ。向こうがここへ来るのは分かっている。襖、障子の類は取りはらえ。蔵は封印せよ、特に書物蔵は念入りにな」

「屋根に水をかけておきましょう。火矢で焼かれても面倒です」とは平助だ。

「外に一応の練塀と空堀がありますから、門を開けてあげましょう。そこから入れるようにね」これは弥次郎兵衛だ。


 この後に起こったのは、ほぼ一方的な虐殺であるので、概略だけ示すことにする。

 門があいているのを好機と見た江馬軍であったが、入って三歩も進めずに長槍の餌食になり、死体の山を築いた。それでも軍勢は、後ろからは先頭の状況がどうなっているのか分からないため、前へ押し出されるように進む。そして槍の餌である。弓もほとんど塀に阻まれ意味をなさず、火矢も水をかけられた屋敷には意味がない。そうしているうちに真後ろから渡邊隊が、下館に押しつぶすように江馬軍を押しつぶし、この戦いで江馬時盛、麻生野直盛兄弟は戦死した。

 そのままの勢いで残りの城も平らげ、北部から土城が首尾よく落城したとの報が夕方に入り、吉城郡は全て姉小路家の領するところとなった。

 土城攻めが時間がかかったのは、単に距離が遠かったからである、ということだけは伝えておきたい。


 姉小路家側の損害は、手傷を負ったもの数名、死者はなしという非常に軽微なものであった。対する江馬家側の損害は、最初の約千五百名の兵のうち約千名が死亡、約二百名が降伏、のがれた約三百名のうち逃亡したと見られる行方不明者約百名、そして下館の戦いに出撃した約五百名のうち約四百五十名が死亡、降伏して生きながらえたのは五十名に満たなかった。

 草太は報告を聞いて、驚いたというより茫然とした。自分の立てた作戦が成功したからとはいえ、約千四百五十名を殺害させたのだ。それを、全て兵たちの手柄として褒賞しなければならない。草太の顔は暗かった。その暗い顔を見て、弥次郎兵衛と平助は草太が何を思っているのかを悟った。それなりに付き合いも長い。

「だから言ったのだ。草太様は、姉小路房綱様は優しすぎる。屍山血河を渡らなければならない志は、おとめするか、渡らなくてすむ方法を我々が示さなければならなかったのだ」

と平助が言った。平助はあくまで「草太の護衛」であろうとしている。立身出世は望んでいない。父親が子供に対して抱く感情、といえば近いのかもしれない。それに対して弥次郎兵衛が答えた。

「私もね、屍山血河を渡るには、草太様は優しすぎる、と思いますよ。でもね、そういう道を本人が選んだんだ。選んだつもりが選ばされただけだとしても、そういう道を選んだんだ。それを横から口を出しちゃあ、いけないと思いますよ」

 そういって一つため息をついて、そうして言った。

「敵方ですらこれだけ気が滅入るんだ、味方だったらどんなにか。……せめて死者の菩提だけでも弔ってあげましょう。荼毘に付すなり、ね。そうして、草太様はしばらくは一人にしてあげましょう。明日の朝位まではね」


 平助が行った後、誰に言うともなしに弥次郎兵衛は言った。

「これに慣れなきゃならないって、戦国大名というのは大変なものだ。だが、旦那には慣れてもらいたくないねぇ。悪いが、いつまでも戦で大きく人が死ぬたびに苦しんで、もがいて、それでも志を忘れずに戦って、そうして戦で苦しむ人の無い世界をつくってほしいものだ」


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