二十七、草太と氏理
同時進行で様々なことが起こっているのが現実というものである。特に組織の場合、組織だった行動は全体を見渡すと同時に複数の行動を行っている。適正に組織を運営統括出来ている場合には、それらの同時に行われる行動は、場合によっては一見矛盾したような行動であったとしても、一方が失敗した場合に対する保険の意味で、一つの目標に向けての行動である。
逆に適正ではない組織であれば、内部での競争が激しく行われ、酷い場合には内ゲバのように同じ組織内で闘争を始めることも珍しくない。
この意味において、現在の飛騨は適正に組織を統括運営することが出来ているといえるだろう。
内政政策のうち、開拓のもう一つの柱である他国領、特に三木領からの移住のために、既に十名ほどが広瀬城下を中心に入っていることは既に述べた。彼らの情報を基に、二男、三男を中心とした層を移住させる予定であったが、実情を知った弥次郎兵衛は驚愕した。情勢ははるかに悪い。いや、草太たちにとってみればはるかに良いというべきなのだろうか。
姉小路家日誌によれば、広瀬城下一郷、田植えの遅れにより農家十のうち三が逃散せんとす、房綱公憐みて国府領に特に移住を許す、とある。
また、三木領の実情も、七公三民の制が敷かれており、これは裏作にもかけられているという。現代人の感覚で言えば、すぐに移住を考えるところではあるが、江戸以前、特に戦国以前の農民にとって、農地を手放して逃散するということは流民になるということであり、今でいえばホームレスに転落するようなものである。必死に土地にしがみついていた。それこそ二男、三男を奴隷として使い、女児が生まれるとある程度育てた段階で嫁に出すかさもなければ売るかを選ぶ位に。それさえ出来ずに間引きが行われることもしばしばあるが、それでも土地にしがみついていたのである。
彼らを引き抜くのは、簡単であった。非常に簡単に、農民のいる前で「そういえば」とそれとなく、飛騨国府に行けば開拓する土地を貰える、身一つでも問題ない、と囁くだけで、たちまちのうちに五百を越える数が集まった。このうち3割強が女性であったため、口減らしという意味もあったのかもしれない。姉小路家日誌にはこう書いてある。
三木の治めし益田より逃散せしもの数百、房綱公の威徳にすがり来たれり。公憐みて、近隣の村に住むことを許す
と書かれている。彼らのうち女性については未婚の者は適当なものと結婚させて開墾に組み入れ、なお男性の方が多いため未婚の者に対する女性の確保もどうにか考えなければならない、というのは、後々の課題になるだろうと思われた。また家族連れもそれなりに多く、一時的に岡前館前に掛け小屋を建てて各郷の荒れ地の開墾作業の量を考えて割り当てながら、一部は山を切り開いて棚田を作らせ、或いはまだ幼ければ大工に修業に出すなど、様々な方法で生活が成り立つようにしていった。
当初考えていた、命令一下集結して雑兵となる、などという計画は、既に破綻気味であったが、食料増産という意味では蕎麦が中心ではあったが何とかなりつつあった。いずれにせよ、これだけの数の食料をまかないながらの開墾作業である。戦どころの騒ぎではない。荒れ地を開墾しても棚田を作っても、花脊衆を中核として乾田の方を試すための棚田を数枚作り、荒れ地がいい加減なくなってきてもまだ流入は止まらなかった。各村も、受け入れがそろそろ限界に達しつつあった。
また間者という問題には、ほとんど何も手をつけていなかった。というよりも手をつける余裕などなかった。元はどこの村に住んでいたか、農夫かどうか、という以外に何も聞かず、また村の名から本当にその村の出かどうかを調べることすら行えなかった。単純に言って手が足りなかったためであるが、手が足りたとしてもほとんど意味がなかった。知られて困るようなことは、三木領から来た人間には何一つなかったからである。精々乾田の方であるが、これが実際にどの程度の意味を持つかは来年の秋を待たなければ分かりようがない。
同じころ、草太は一人の男と会っていた。供周りは平助と弥次郎兵衛、仲介は興仙であり、会っていたのは山師の全兵衛という男である。先の評定で興仙に頼んできた山師が全兵衛であった。
「ですから、頼みます、あの山はきっと金や銀が出る。そういう顔をしているんだ。掘ってくれとね」
全兵衛は頭を下げて拝むように草太に話していた。草太にとって損は、実はある。実際に出るまでの費用は姉小路家が持ち、出なかった場合には丸損である。その代わり、出た場合には相応の金銀の収入があるはずである。鉱毒その他は問題を起こさぬようにする法がある上、周囲は山の奥であり田畑もないため、こちらの心配はいらない。また精錬は灰吹法であり必要な資材は、ある程度費用を渡してもらえれば全兵衛側で用意できるが、まずは掘ってみてからだ、と。一人で掘るのか、と聞くと手下はいるがこちらでも人数を回してもらえるとありがたい、とのことであった。最低限、彼らの食料は用意せねばならないようだ。
もう一つ頭が痛い問題があった。掘りたいと言っているのは現在の天生鉱山である。丁度、小鷹利城から内ヶ島家の治める白川郷の中間地点にあるため、内ヶ島家と話を通しておかなければ、後々面倒なことになりかねない。特に、内ヶ島家は残す方針が決定している。将来に禍根を残すようなことは、出来ればしたくはない。
ただし、実際に鉱山として掘ることが出来るとなれば、現在そろそろ飽和状態になりつつあるが流入の止まらない三木領からの移民をそちらに回すことができ、色々と解決することは確かである。また、先進的な精製方法である灰吹法を導入できれば、江馬氏を倒して鉱山を入手した際に相当の利益を見込むことが出来る。
草太は、内ヶ島家との国境故今ここで確約はできぬが、掘ることが出来るように話は詰めておこう、と言ってこの会談は終了した。
実は評定の翌日には使いを立て、内ヶ島家当主との会談を打診している。が、当主は病で動けない旨の回答しか得られていない。嗣子氏理を名代にたててよいなら、いつでも会談に応じる旨の回答を得られている。氏理に回答させてはしごを外さない、という保証が取れないが、嗣子であるためもあり余り心配はしていない。問題は、格をどう考えて会談をするのか、というすり合わせである。といっても、既に入府の際に姉小路家が内ヶ島家から着任あいさつを受けている以上、形式的な格としては草太が上座と決まっている。後は臣従から同盟までのどこに落ち着くか、という腹の探り合いである。
と、そこへ出てきたのが顕誓である。彼は元々越中光教寺の住持であったため、飛騨の照蓮寺の面々とは面識もあり、大小一揆で敵味方に分かれたとはいえもう一度会いたいという希望もあるという。そこで、照蓮寺に参詣した際に会ったことにしたらどうか、と提案してきた。
「腹の探り合いでは時間がかかるばかりじゃし、要らぬ思惑も入る。一度腹を割って話すことじゃ。大抵の争いの原因はな、話し合いの不足が原因じゃ。房綱殿なら、迂闊なことも言わぬだろうしな」
そうして、会談の日となった。姉小路家日誌によれば卯月二十五日のことである。これは照蓮寺の記録とも一致するので、間違いはないと思われる。日誌にはこうある。
「房綱公、高屋平助、光教寺顕誓他を引き連れ、照蓮寺へ参り候。住職善了の他、白川郷領主内ヶ島氏理と会談す。公、氏理を非常に好ましく思し召され、以後親しくなされ候」
また、講談本ではこの時、所領安堵の朱印状をたてに臣従を迫ったとあるが、実際に白川郷は後々まで持ち続けるものの、後詰を含めて臣従したことを示す行動が飛騨統一までみられないことから、この時に臣従したのは誤りであるというのが、一般的な認識である。
照蓮寺へ草太と共に行ったのは、平助のほか、顕誓、厳石に小者が二人の合計六名であった。払暁と共に岡前館を出、途中何度か休息を挟んだが、日のあるうちに照蓮寺に着くことが出来た。先触れは既についていたため、善了と内ヶ島氏理が出迎えた。そういえば善了には手紙を届けた経験があるな、と草太と平助は思い出した。だが直接会うのはこれが初めてである。前回来た時とは草太と平助共に服装も身分も違えば、寺男も違う男である。誰も気がつくものがいないようであった。
型通りの参詣をした後は、別室にて草太と氏理の会談である。お互い介添え人を一人置き、善了と顕誓も列席した。ただし、最初の紹介を除き草太と氏理以外は口を閉ざすことと取り決めていた。短い紹介、といっても無論草太の国府入りの際に一度会っているのだが、その後、会談が始まった。議題は無論、今後の両家の関係、それからもう一つは鉱山の話である。
「そういえば聞きましたぞ、国府に行けば土地を与えられる、と。あれは本当でしょうか」氏理が質問した。草太は短く、そうだ、と答え、
「三木領の益田郡には食うや食わずやの人間が沢山おります。我々はそれに手を差し伸べておるだけです」
「我らも救って下され、と言われたら如何なさいますか」
「氏理殿はこの白川郷を正しく治めていらっしゃる。我々が口を出すような話ではございませんな。……可能であれば氏理殿に我が帷幕に加わってほしいほどでございますよ」
「しかし、私は内ヶ島家の当主、なかなかに難しいでしょう。白川郷もなかなか離れられぬほどに。無論、飛騨が我々以外が統一され、我々のみが我を張るつもりはありませぬ」
「ならばその時は」
氏理は力強く言った。
「その時も今のように善政を敷いているのであれば、当家を挙げて帷幕に参ずるでしょう」
つまり、三木氏、江馬氏との抗争中は内ヶ島家は静観し、倒した後も善政を貫いているのであれば臣従する、と暗に行っているのである。概ね予想通りであるといえた。
「もう一つ、鉱山について山師が掘りたいと言っております」草太はもう一つの話を切り出した。場所が場所だけに、微妙なところである。
「掘りたいなら掘ればよいと思います。支援する程の力は、当家にはございません。支援しないなら、当然それからの利益を得られないのは当たり前でしょう」
とはいうものの、実のところ白川郷を流れる庄川は砂金が採れた。わざわざ掘る必要はない。現在でも川を少し遡れば採れる場所は豊富にある。こういう事情があるから、有るかどうかも分からない山を掘るのに資金を提供する気は全くなかった。
政務向けの話はこれで終了であり、後は他愛のない話をするだけであった。両者ともにまだ10歳そこそこと年齢が近く、領民のことを考えて善政を敷きたいと考えている、という点では一致するものがあり、共鳴するところが多くあった。もしかすると草太にとって、はじめての友人はこの氏理であったかもしれない。
氏理も草太は、他国の当主としてではなく一個人として非常に好ましい存在であるように思えた。領民思いである点も、野心的であはるがその野心が欲に根差していない点も、鉱山開発など独占しても構わないようなことですら正直に教える点も、すべて好ましい点であった。
実際、以後生涯にわたって両者は互いを尊重しあい、良好な関係を続け、房綱の背後を守るは氏理、とまで言われる間柄を続けるのであった。
活動報告にも書きましたが、飛騨統一までの間は毎日0時に更新します。
推敲が甘くなる可能性もありますが、その場合はご指摘ください。




