二十四、遠交近攻
評定も終わりに近づいた時のことだ。興仙が草太に妙なことを聞き始めた。
「ときに、の、失礼じゃが一条公には礼をしたのかの」
草太は困惑しながらも、礼状は出した、と答えると、興仙が続けて聞いた。
「手紙だけかの。……それではだめじゃ。急ぎ荷を仕立て、そうだな、銀や銅、絹、漆器辺りがよかろう。この地で採れたものと、それから銭の十貫も添えてな。添え状には、官位を買ったと思われては迷惑でございましょうから別便と致しました、とでも書いて贈ることじゃ」
なんと、とこれには弥次郎兵衛が驚いた。公然と賄賂を贈れ、と言っているに等しい。
「着任した挨拶は、挨拶でよい。だがな、それとは別に、実利がなければ便宜も図ってはくれぬだろうよ。……それから西洞院時当殿には随分世話になったはず。こちらにも、な。……なんと、挨拶状も送っておらぬと。それはいかん。急ぎ贈るのじゃ。こちらは賄賂であるとも思われぬだろうし、荷と同時でよかろう。量は、一条公の半分以下でよい」
聞けば、家格に応じて贈る額も相応というものがある、という。
「それからな、手紙に一行、飛騨は山深き地故、季節ごとに贈ることは出来かねます、と添えておけ。向こうからは一応、このような心遣いは無用であるとは来ると思うが、真に受けるな。小額でも良い。毎年春から夏にでも贈っておけ。それが人脈に繋がる。大体、五摂家の一つと昵懇の間柄、なんてなりたくともなれぬぞ」
興仙の言葉は続く。
「贈るとな、向こうからは返礼が来る。必ず、こちらが贈ったよりも多い。儲かるのじゃ」
そういって興仙はにこりとわらった。
「だから、すぐに増えて帰ってくるものじゃ。分不相応に多くする必要はないが、身の丈に合った額を贈っておけ」
貴族社会を知りつくした、興仙らしい策であった。
自分の荘園からの貢納品であれば別だが、贈答品は上位から下位へと贈る場合、先に下位から受け取っていた場合にはそれよりも良いものを送るのが通例であった。これは東洋文化では一般的に行われているものであり、冊封体制で中国が盟主でいられたのも、武力が優れていたためというよりも、冊封体制で中国の下位に入り貢納品を送っておけば儲かる、という側面が確かにあったに違いない。
日本も室町幕府が明との貿易を行うために冊封体制に入るように何度も交渉をし、その結果勘合貿易が行われていたというのは周知の事実である。
こういった風習は今でも、贈答品を貰った場合には返礼を返すのが礼儀である、という形で、残っている。
現代日本では賄賂は非常に悪いもののように思われているが、江戸時代までは賄賂は一般的に贈り贈られ、現在でもお中元、お歳暮と形を変えて残っている。例えば門前市をなす、であったり、門前雀羅を張る、のような言葉にも表れている通り、日本というより東洋の伝統文化は贈答文化であるという側面が非常に強い。また、焼け太りのように火事などで資産を失ってもそれに対する見舞いの名目で贈られる賄賂により結果として財産が増える例なども、この文脈から眺めると理解しやすい。
実際に、徳川家康が謀臣本田正信に加増を打診したところ、収賄で台所事情が良いために不要であると断った、というのが美談として残っている。
ここまで書いて、ふとこの時代の物流に着いて思い出したことがあるので、ここで書いておこうと思う。
物流の一つは、いわゆる武装した商人、海賊である。城井弥太郎が絶大な力があるのも、こうした物流の元締めということは、それだけの人間を動かせる、つまり武力的な側面を背景の一部に持っているということに他ならない。
もう一つは、信仰や権威による物流である。例えば比叡山への寄進との名目で比叡山に納めた後、それを下してもらって門前に市が出来る。有力寺院の門前町は、一つには確かに詣客相手の商売であったが、もう一つはこのような寄進を絡めた商売である。このような観点から見れば、こうした商売の許認可である座を寺社が行うことは、何の不思議もない。権威の場合も同じであるが、どちらかといえば貴族は金銭は不浄のものとして捉えがちであり、また天皇陛下への遠慮もあるため、座を構成することはほとんどない。第一、戦国時代には権威による物流は振るわず、荘園も横領されていたり小規模なものしかなく、下級貴族の多くは山科や若狭などに疎開しているなど、物流に対しての影響力ははるかに小さくなっていた。
しかし、例えば堺を出た一条家の貢納品を運ぶ行列が「一条家御用」の旗を掲げる場面があったように、少なくとも畿内では多少なりとも影響力があったと思うべきだろうと思う。
もっとも、この辺りについては諸説あり、以上も私見でしかないことは申し添えておく。
弥次郎兵衛が、さて、と次の話題には行った。切り替えが早いのか、既に地が隠れているのは流石であった。
「本日の評定では、内政政策と同時に、これからの飛騨、これをどうするのか、という点について話さなければなりませぬ。全方位と戦って全てを跳ねのけて領域を広げるほど、残念ながら我々には力がございませぬ。正面から戦、ということになれば、三木氏だけでも手を焼き申す。だが、あくまで志としては日の本を統一することであり、飛騨に余り長い時間をかける余裕はござませぬ。なれば」
「三木氏を滅ぼす、のぅ」興仙がほう、とばかりに言った。
「それがどういう意味を持つか、おわかりかのう」
「当然、飛騨を統一するという意味では三木は不倶戴天の敵。放っておいてもどうにもなりませぬ」
「唇寒し秋の空」とまたもや謎かけのような言い方を興仙は言った。「または、これもあるな、後顧の憂い」
草太は分かっていたが、それでも三木氏は滅ぶべきであると考えていた。
「唇寒しとは、三木氏を倒せば、野麦峠で信濃へ通じ、また川並に美濃へと通じること、後顧の憂いとは、神岡の地に固執する江馬氏のこと、そう理解したが、違うか」言葉にしたのは、平助であった。
「左様、なれば、三木氏を倒すのは立ち枯れを狙うにせよ、信州、濃州のいずれとも早いうちに誼を結ぶがよかろうと思われるが、いかに」
「信濃の野麦峠辺りは現在は甲斐武田がしはいしております。それを北信濃の村上氏がうかがっている、というところでございます。美濃は既に斎藤氏の支配が確立しておりますが、道三入道とその子義龍の確執が顕在化しているもようにございます」
いずれも情勢が流動的ではあるが、信濃は武田が、美濃は斎藤、その後織田家が入るということは、草太の知識にも有った。ただしこの時点では未だ桶狭間の戦いさえ十年近い先であり、織田家が尾張の統一さえ果たしていない時代である。流石に草太の知識には正確な年数までは年数までは入っていない。草太の知識がそうなっている、というだけで、早々に織田家が消滅する、道三と義龍が和解する、村上氏が信濃を奪回する。そういったことが起こらないとは限らない。
知識は知識として、現実に即して行動する必要が、草太にはあった。
「とにかく、現在の支配者である甲斐武田氏、美濃斎藤氏とは誼を通じておいた方がよいだろう。信濃村上氏の巻き返しの兆しがあれば、そちらはその時に改めて誼を結ぶとしよう。いずれにしろ、伝手は用意しておくとしよう」
は、と弥次郎兵衛は短く応えたが、美濃斎藤は容易であるという。
「三木氏を後ろから支えていたのが美濃土岐家、それと敵対しほぼ滅亡に導いて一地方勢力にまで落としたのが斎藤家でございます故」
「敵の敵は味方、か」と草太は納得しかけるが、その斎藤家に三木氏が近付いていないとは限らない。甲斐武田はそのような事情もない。その上、両方とも特に伝手もない。
こういう時には、贈り物が有効だろうと思うが、少なければ逆効果だろうし多くするのは飛騨の財政が許さない。
「公卿に山科言継殿というものが居る。その方なら面識もあるだろうから、一条公に紹介を頼んでみてはいかがかの。どうせ贈り物の手紙も出すのだろうしの」
と興仙は言ったが、草太が反論した。
「しかし、今飛騨を離れるわけにはまいりませんが」
「なに、向こうから来るわ。あの者はな、内裏の内蔵頭じゃからな、献金が貰える見込みがあればどこの大名家にも参るわ」
ならば、と、山科卿に期待するとして、もう二つ、この場ではっきりと決めなければならないことがある。それは江馬氏と内ヶ島家の処遇である。
儂から良いかな、とこれまで一言も発言が無かった一門衆の後藤帯刀が言い始めた。
「儂は、子供のころからよく知っているので分かっているがな、内ヶ島のは仮病ではない。本当に病じゃ。昔から体が弱く、それでも無理して政務を行おうとして嗣子の氏理が必死によく行っておる、というのが現状じゃ。先日も、氏理が名代として来ておったが、おそらく体がいよいよ悪化してきて城から出るのもままならぬのだろうよ。それに引き換え江馬は、分家で一門衆としてここにいるべきなのに、本家の凋落を見てか三木氏側に付きよった」
左様、と同じく一門衆の牛丸重近も言葉を発した。
「江馬氏は滅ぼすべし。これは我ら旧来よりの家臣一同の総意でござる。あのように自領維持に汲々としているのが、領民のためなら分からないでもない。だが、やつは蓄財に凝っているとかであの鉱山を手放したくない。その一心であの一郡を守っているのでござる」
弥次郎兵衛がここで妙なことを言った。
「内ヶ島家はそのまま残すべきです。いや、臣従はさせる必要があるとは思いますが。所領安堵で臣従、悪くても緩い同盟にしなければなりません」
なぜだ、と草太が聞くと平助が変わって答えた。
「なに、我々は内ヶ島家と照蓮寺の関係を知っているではありませんか。もし内ヶ島家と戦という段になれば一向宗が動く、その見込みが高いです。越中、加賀から援軍が入る、下手をすると飛騨内部で一向一揆が発生します」
「ならば、内ヶ島は滅ぼさずに臣従、或いは同盟という方針で行くこととする。残るは江馬氏の処分だけだな。滅ぼすべきという意見が既に出ているが」
草太が内ヶ島家の処遇について決定すると弥次郎兵衛が言った。
「我々も滅ぼすべきという意見に賛成です。なによりあの鉱山を出来るだけ早い段階で奪いたい」
興仙が思い出したように言った。
「そうそう、先ほどの山師の話だがのう。灰吹法とかいう新しい方法で、銀が飛躍的に多く取れるそうじゃ。北の山を本当に掘らせるつもりなら、その方法も同時に手に入るから、取れる量も増えるだろうの」
決まりだな、と思った。
「名分をどうするかが難しいが、江馬氏と三木氏が接近していたのは公然の事実。江馬氏も滅ぼす。異存はないな」
一同同意した後、一門衆の牛丸重近が気になることを言った。
「古川富氏と三木氏、それから江馬氏は、昵懇の間柄と見えて、房綱様が入国する直前の時期は頻繁に会ってたようにございます。三人そろうことも何度か有ったとか。それが、お国入り以来ぱたりと止んだようにございます。何やらにおいますな」
草太は、あの落石の陰謀に江馬氏が一枚噛んでいる、と確信した。
「ならば、江馬氏も滅ぼすこととする。その向こう、越後の長尾、能登の畠山らにも連絡が付くよう伝手をお願いいたそう」
「なに、畠山なら顕誓どののまたいとこで大小一揆で小一揆側として一緒に戦った仲間、縁もあろう、紹介してもらうと良い」
活動報告にも書きましたが、飛騨統一までの間は毎日0時に更新します。
推敲が甘くなる可能性もありますが、その場合はご指摘ください。




