二、草太 流れ着く
草太が助かって半日後、船は湊に戻っていた。湊とはいうが、砂浜が広がっているだけだ。遠浅の砂浜にできるだけ乗り上げ、綱と丸太を使って砂浜に引っ張りあげる。
草太のことは、草太を助けた直後にすでに村長に小舟で使いを走らせていた。曰く、「童を一人拾った」と。船の指揮を執っていた小次郎という男が、草太はとりあえず手下をつけて神社の小屋へつれていかせ、神主に話を聞いてもらうように言付けた。自身は船の中で草太に聞いた話を含め詳しい話をしに長の待つ屋敷に行った。
屋敷には船持ちと呼ばれる五人と長が待っていた。これに小次郎を含めて七人が、この村のいわば取り仕切り役であり、この七人の決定が村の決定であった。
「して、こ度の件について、まずは小次郎から話を聞かせてもらおうか」
小次郎が腰を落ち着けるなり、長が切り出した。
「前の会合の時に、時期は少し早いがそろそろ鯨を見に行くことになり、我が船が一番ということに決しておりました。先日来の荒れも収まった故、本日見に行き申した。ここまでは各々方も知っておりましょう。まだ時期もだいぶ早いこともあり見つからない公算も高うございますが、最近は抜け荷騒ぎや海賊騒ぎもござった故、様子見も兼ねて、というわけでございます。
さて、鯨はおろか他の船もまともに見あたらず、空振りかと適当に網を入れて戻るつもりで一巡りさせておりました。舳先で物見をしながら船を進めていると、なにやら黄色いものが見えました。奇妙なものが浮いている、とも、光の加減か錯覚かとも思いましたが、船を寄せてみると人が乗っている様子。拾ってみると童が黄色い革に空気を積めたものに乗っておりました。さては例の連中のことを知っているやもしれず、とりあえず捕まえて戻って参りました。
小船を一艘先に使いを兼ねて先に戻し、帰り船の最中色々と話を聞き申したが、今一つ要領は得ておりませぬ。それでも分かったことを報告いたします。
まず、名は、草太、と。名字はあるかと聞きましたら、最初は明智だったけれども今は高橋で、そのうちまた姉小路になる、と申しておりました。
どこから参ったかは、確かではございませぬ。この辺り以外の地は、あまり分かりませぬから、ざっと草太の申したことを繰り返せば、車に乗せられて母親に連れられて来、船に乗せられて、黄色い革の空気袋、ばななぼうととか申しておりましたが、それに掴まるように言われて船から海に取り残された、とのことでございます。
元いた場所からは、何やらという分かれ道を、左に行けば名古屋へ行くところを右に曲がり、琵琶湖畔をまたしばらく進み、瀬戸大橋を渡って高知へ、そこから船に乗った、とのことでございました」
七人のうち最も年かさの兵衛という男が、ふむ、とばかりに口を出した。
「瀬戸大橋とは、おそらく瀬田の大橋であろう。京の東、近江の叡山の麓近くにある橋よ。そして橋を渡って西に向かえば河内だ。そこから船といえば、淀川の河口の石山か堺か、その辺りから乗ってきたものだろう。あの辺りから船を出し、土佐を素通りして行く先とすれば日向か大隅、薩摩辺りか」
一同肯き、一息ついて小次郎が続けた。
「母親とともに家から車に乗って出発し船に乗ったが、母親は船に残り草太のみが放たれたとのこと。とすれば、人買いに売られる途中、草太のみが逃がされたということかも知れませぬ。ただ、草太と母親の他は船を操る一人のみとのこと、おそらく姿を見なかっただけで操る者はもっといたと思われますが、人買いにしては他に乗り合わせた者がいないというのも奇妙でございます」
長の隣にいた陣八が声を上げた。
「売るのはその二人のみ、ということだろう。元は明智、今は高橋を名乗っていて、近々姉小路を名乗るとのことだから、どこぞの没落した名のある家柄であったやも知れぬ。邪魔だから排除したいが、殺すわけにも行かない事情でもあるのだろう。或いは、日向か大隅、薩摩にでも母と子で逃げる途中だったかも知れぬな」
この当時の日本は、割合に人の行き来があり、京都近辺の人の親戚が九州や東北にいる、などというのはあまり珍しくない。有名なところでいえば、本願寺顕如と武田信玄が義理の兄弟であったり、滅亡した朝倉家の再興のために上杉家に協力を仰いでいたりしている。この当時の通信手段は限られているから、単なる文通相手(例えば織田信長と独眼竜伊達政宗の父伊達輝宗が文通していた、など)まで縁者と考えると、交友範囲は以外と広い。大体、彼らのいる土佐西部を拠点とする一条家にしても、京の公家が下向して戦国大名として暮らしているのである。
「姉小路、というと、中村御所の縁者から、姉小路様という名を聞いたことがある。詳しい話は、今度土居様にお会いした際にでも聞くことにいたそう。出自や経緯はどうあれ、少なくともあまり粗略に扱わぬ方がよい、ということになるな」
長の助六はそういうと手をたたいて人を呼んだ。
「神社にいる子にな、着るものと精のつくものをくわせてやれ。風呂も入れてやれ。粗略にするな。それから食事が済んだら話を聞くから、そのように用意しておけ」
助六の指示に小者が去ると、最も年かさの平八が「ところでな」と切り出した。
「ところでな、この後どうするつもりじゃ? 母親が、夫の死後実家へ戻るはそれほど奇妙ではない。が、あの年で最初の名字と今の名字があることは、少々気がかりじゃの。厄介事にならないと良いが」
「とはいえ、捨て置くわけにもいくまい。まずは相応に対応し、土居様の指示を仰ぐしかあるまい。場合によっては首が金になるかも知れぬしの」
土居様、というのは、土居宗珊のことである。正確にはこの辺りの領主ではない。代官と呼ぶには少し違う。漁村は彼の知行地ではなく一条家の直轄荘園の一部である。直属の代官は別にいるが、こういった貴族関連の門地を、ということであればどうであっても実質的な取りまとめをしている土居様に聞かねばなるまい。西洋の紋章官よろしく、複雑怪奇な貴族関係も、即答はできないにしてもある程度は調べることが可能であろう。逆に土居様に分からない程度であれば「その程度」でしかないのだろう。
流石に土居様に会うには7人の内一番身分がある長の助六でさえ気軽には会えず、ある程度の話を聞いた後に、その話を元に小者に面会の申し入れを入れさせ、ようやく話をすることができるという手順を踏む必要がある。
土居は少し用があり、面会は10日後と決まった。10日が過ぎ、長の助六と当人の草太の他、草太を助けた小次郎が土居様の前に座っていた。
「して、話は書状で見た。相違ないか」
「は、草太の話には一部分からぬ話はありますが、聞いたところをまとめたところをまとめた内容は相違ございませぬ」
長の助六が答えると、土居は難しい顔になった。そして一息ついて絵図を出す。
「これが日の本の地図よ。那古谷は、おそらく尾張の国のそれだろう。それへ行かずに右へ曲がってしばらく行って、琵琶湖畔を通って瀬田を通り、河内へ着いてから船に乗り換え、嵐がなければそのまま通り過ぎて日向辺りに着くつもりだったのだろう。一昼夜流されたとか。流されたのは潮の流れも勘案すれば、浦戸の沖合だろう。荒れたから捨てられたか、さらわれたのがただ逃がされたか、子供の草太だけがここ幡多の地で拾われたのだろう」
一同の顔を見回した後、草太に声をかけた。
「この絵図は日の本の絵図の簡略なものだが、それでも大体の主要な地名は入っているはずだ。お主の運ばれた通り道に、相違はないか」
草太には絵図が日本地図としてはかなり奇妙なものに見えた。たとえば淡路島がはいっておらず陸続きになっている。が、大体の地形から自分の住んでいた場所が名古屋と富山を結ぶ線の山の中であること、その位置から岐阜(地図では井ノ口と書かれていたが)の街を曲がって琵琶湖畔を通ったこと、高知市沖合で捨てられたことなど、船に乗せられた場所が大分違うことを除けば、今言われた道筋とそれほど違いがあるようには思えなかった。草太が頷いたのを見て、土居が更に難しい顔になった。
「場所を考えると、美濃の国に明智の郷があり、その領主が明智を名乗っている。その後離縁して高橋になったとうが、これは分からぬ。といって、高橋はさして珍しくはない名字だ。伸長目覚ましい美濃斎藤家にいないとは思えぬ。或いは大垣の近くに高橋村という村があるから、その辺りに由来するものなのかも知れぬ。そして今度、本当かどうかはともかくとして、姉小路を名乗るという。本当だとすれば、姉小路を名乗る誰かの養子に入るか、母親が妾に入るに伴って姉小路の名乗りを与えられるかのいずれかなのだろう。問題は、だ」
そこで言葉を切って、一息ため息をついて見回した。だれもが固唾をのんで聞きいっている。
「姉小路は飛騨の国、つまり今言った草太が出発した場所として大体間違いのない辺りの領主三木姉小路家とおなじ名乗りであり、同時に元々の飛騨国司の家柄である藤原氏小一条流古河家が姉小路を名乗っている。ただ姉小路といったところで、全員に公卿としての地位があるわけでもなし、しかも実際には近い内に姉小路を名乗ることになるというだけであれば、難しい立場にあるとしか言えぬ」
それにの、と続けた。
「母親は外の複数の男性と何やらして糧を得ていたとか。つまり遊び女だ。とすれば、いまの名乗りでさえ本当とは言い難いかもしれぬ」
この後も話は続いた。草太を京か国元へ、というのが最終的な結論であった。路銀を渡して一人で、というのは年齢を考えれば流石に難しい。丁度一条本家のある京に上る用があることもあり、少し足を延ばして草太を国元に戻すことになった。
ところで、草太の国元は確かにこの時代の飛騨にはあるが、しかしそれが彼の国元だといえるだろうか。この時代の飛騨の国が彼の故郷だとは、だれも思うまい。大人たちの都合で、といって悪ければ大人たちの考え方ひとつで、その住む場所すらたらい回しされるのは、現代でも戦国の世でもさして変わらない。草太を飛騨に戻すのも、今の感性からすれば他の親戚の家に回すのと、草太にとってはさして違いはなかろう。
まだ草太は登場らしい登場をしていません。
主人公(笑)位の扱いです。
草太本人は、もう少し先に出ます。