表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草太の立志伝  作者: 昨日の風
第五章 混迷と混乱と
159/291

百五十四、続、正室と側室と

 草太が金沢城にひ文字姫を迎え、その処遇についての評定を前にした草太とひ文字姫の会話については既に述べた。そして評定に臨んだ草太であったが、草太にはひ文字姫を正室にしようという気が萎えていたのは事実であった。



 姉小路家日誌天文二十四年弥生二十五日(1555年4月17日)の項にこうある。

「姉小路房綱公、金沢城にて評定仕りひ文字姫の処遇について検討し候処、家中には正室という声は多かれども公の一声にてつうが正室と決まり候。城井弥次郎兵衛、公を諫め候も高屋平助これを引き留め候。子を為し候事もあれども、公の覚えがめでたければなりという声有り」

 双林寺の茶会の後程なくして帰国した草太はひ文字姫を伴い金沢城に戻ったのは、何の意味があったのかは定かではない。姉小路家日誌を読み解く限りではひ文字姫の処遇について結論を出すためであろうといわれているが、戦国大名である草太にはほとんど不要な気遣いでしかない。名目だけの正室、という手段も取れるため、草太がつうに遠慮をしてひ文字姫を正室に付けずに側室に置くことは考えにくい。様々な憶測はあるが、一つには正室に置いた場合の近衛家という外戚の重さを軽減するため、と言われている。金沢に引き移らせたのは安全確保もあるが京から離すためであった、とする説である。ただし、この説は草太がこの後程なくして宮部城よりも京に近い南近江へ居城を移し、つうとひ文字姫を含む家族を居城に集めたため、俗説でしかない。

 より現実的に考えるのであれば金沢城に諸将を集めての評定を行う必要があったという事であろうと考えられる。つまり近衛家からの嫁とりは、それほどまでに姉小路家にとっても重大事であったという事であろう。



「評定を始める」

 金沢城の広間に諸将が集まり、評定開始が宣言された。弥次郎兵衛が言った。

「皆、分かっていると思うが改めてここで言う。この評定は五摂家の一つ近衛家が御屋形様に対してひ文字姫を入れる、という事に対する対応が議題である。奥向きの事であるが、外交に影響があるのみならず、近衛家が外戚となるという問題でもある。内政に対する影響も考慮してもらいたい。だが五摂家のうち一条家は御屋形様の烏帽子親でありまた近衛家が縁続きになるとなれば、朝廷に対する繋がりが強くなるという事であり利も少なからずある。またいったん受け入れたものを突き返すという事も、今後の関係からすれば難しい。どうすべきか、各々忌憚なく存念を述べよ」

 居並ぶ諸将は水を打ったように静まり返った。確かに諸将にはそれぞれに思うところはあっただろうが、利もあれば危険もある話であった。何よりも朝廷をどう扱うのかについて、姉小路家の意思統一がなされていないことが問題であった。朝廷は確かに姉小路家の諸国統治の基礎となっているが、あまりに近付きすぎ朝廷の走狗とされるのは本末転倒であった。そのことを知っている上層部は声を上げず、上層部が声を出さないことには上下なしと言っても下位の将では言葉を発するのは難しかった。

 暫しの静寂の後、さらば某が、と後藤帯刀が言った。

「様々な問題があろうが、まず第一に既に近衛家にひ文字姫をお返しすることは難しく、その処遇も我らのような一門衆でも格が足りずに御屋形様の室に入ってもらう以外にない。そうであるならば、毒食らわば皿まで、ひ文字姫を正室に迎え近衛家を最大限に利用するのが上策かと存じまする」

 ふむ、と草太は聞き返した。

「姉小路家に対する近衛家、ひいては公家の力が強くなりすぎるという問題はどう考える」

「それについてはそれなりに扶持をあてがい、逆に御すれば制御できるかと」

 後藤帯刀は言ったが、草太には見込みが甘いように思われた。その程度で抑えられるのであれば、そもそもひ文字姫を押し付けられるようなことはなかったと考えられた。そのため草太は言った。

「そう簡単に御せぬよ。おそらくはな。そう簡単に御せるならば、今頃は京の公家など誰もおらぬ。あの荒れた京であれだけの暮らしができる、そうやって生き残ることが出来ている程だ。我らが扶持をあてても、恩には思うやもしれぬがそれで御せるとは思わぬ。むしろ、気を抜けばこちらが飲まれるだろうよ」

 さらば、と弥次郎兵衛が言った。

「さらば某が申しましょう。ひ文字姫は正室になさいませ。ひ文字姫を側室にするとすれば、正室はそれ以上の家格の者でなければ収まりませぬ。それ故、ひ文字姫を側室とした場合には正室を置くことが難しくなりまする。正室なくば跡継ぎの争いが出るのは必定、ならば内情はどうあれ形だけでも正室になさいませ」

 これには草太も頷かざるを得ないように思われたが、致命的な問題があった。ひ文字姫が正室となって男児を産むことが前提になっていたが、それこそ神のみぞ知る、という世界であった。そもそも子という事であれば既につうとの間に秋には子が生まれるため、男子であれば庶子ではあるが長子と正室との間の長子、という後継争いが起こり得る問題であった。であるならば、ひ文字姫を正室にしたところで後継争いが起らないという根拠にはならず、むしろ後継争いが起こる種でしかないように思われた。


 このことを草太が言うと、渡辺前綱が言った。

「御屋形様、御屋形様の存念をお聞かせ願いたい。どうもひ文字姫が正室になるのには反対のようでございますが」

 うむ、と草太は言った。

「朝廷の威光によって治めている、或いは戦の名分を立てているがな、公家は、特に上位の公家は敬して遠ざくという方針で行かねば、思うままに使われる。こたびのひ文字姫の件にせよ、当初は一条公に養子に入り当家に入るという話であり、当家で検討した後秋以降に改めて返答いたすということであった。それが三日も経たぬうちに当家の室に収まるという形に仕上げられた。……このようなやり口をする家を外戚に、それも正室の外戚に持つことは危険が大きすぎる。私の代は良いかもしれぬが、次の代には危険であろう。将来に禍根を残すわけにはいかぬ」

 では放り出しますか、と弥次郎兵衛が言ったが、草太はそれには反対した。

「思えばひ文字姫も可哀想なものだ。女子にとって婚儀は晴れ舞台、それなのに近衛家の息女であるが碌に嫁入り道具も持たず着の身着のままと言って良いほどの僅かな手回り品だけをもって当家に押し込められたも同然であるからな。おそらくは本来の嫁ぎ先の朝倉家向けへの嫁入り道具はあっただろうが、それを当家に持ち込むわけにはいかなかったのだろう。追い出すわけにはいくまい」

 そういって草太は少し間をあけ、言った。

「ひ文字姫を正室に据えずに側室に置けば、正室は誰を置くかが問題になる。今後新たに正室として迎えるならば、相手の格を考えなければなるまい。……そう簡単ではあるまいよ。格だけで言えば、近衛家と同等か上回る家柄は五摂家か将軍家でもなければ畏れ多くも皇族しか残らぬ。それは難しかろう。朝廷との縁が深くなりすぎる故にな」


 ここで正室を定めなければ、正室をどうするかという問題は今後も尾を引くと思われた。それゆえ後藤帯刀は言った。

「ならば正室はいかに致しますか。いずこからか姫を貰うか、我ら配下から迎えるか、……或いは側室のつう殿か」

 草太は言った。

「正室はつうにしようと思う」

 一同この発言を聞いてざわついたが、一人平助のみは微動だにしなかった。ざわめきが静まるのを待って草太が言った。

「ひ文字姫を側室にした場合に正室を他から迎えるのは難しいが、正室に迎えるとなればそれはそれで問題がある。しかしいつまでも正室を迎えないというのは難しかろう。ならば、元よりの側室であるつうを正室に直すという方策しかあるまい。順としてはつうを正室とした後、ひ文字姫を側室にするという形とする。これならば形としては問題はあるまい」

 弥次郎兵衛が諫めて言った。

「近衛家がどうでるか、分かりませぬ。なによりその理由であればつう殿が危険すぎます。つう殿を排除すれば自身が正室、となればひ文字姫がつう殿を排除しようとするのは必定。公家でございますから搦手も豊富にございましょう。もう一度言いますがつう殿が危険すぎます」

 この発言に平助が口を開いた。

「弥次郎兵衛殿、そういうな。お主、あのひ文字姫をみてそういう事をいうか。あの方はそれほど悪い人間ではない。何かするとなれば実家の近衛家であろうが、付き人についてはこちらで何とでもできる。……それよりも、御屋形様」

 何か、という草太に平助が多少言い淀みながら言った。

「ひ文字姫を側室に、つう殿を正室にするというのも良かろうと思いますが、……奥向きのことは我らは手出しが難しくございます。ひ文字姫が納得しなければ、いずれ問題になるやも知れませぬ」

 元よりだ、と草太が言った。

「室に入れるという事であれば、当然にして全てを受け入れるつもりだ。受け入れ難いものでもな。まずはじっくりと話をして、それからだな。どうしても合わぬという事であればまた考えるが」

 こうして評定は、つうを正室とするということを決めて終了した。



 評定が終わり草太が次の間に入ると、つうとひ文字姫がそこにいた。次の間は評定の間のすぐ隣にあり、評定の内容は二人には聞こえていたはずであった。ひ文字姫付の女官は怒っているようであった。だがそれを口に出さぬほどの分別はあった。ただ食い入るような眼だけが怒りを伝えていた。ひ文字姫自身は京で初めて会った時とほとんど変わらず、平静を保っていた。つうとその侍女のたかはといえばゆるみがちな顔を維持するのに必死であった。

「内容は聞こえていたであろうが、つうを正室、ひ文字姫は側室とする。表向きの序列は付けるが、待遇に差はつけぬつもりなので左様心得よ。……それから今宵はひ文字姫と過ごす。女官も外せ」

 多少ひ文字姫の顔がこわばったように見えたが、それよりもつうが悲し気な顔をした。

「分かっていると思うが、側室とするという待遇は決めたがそれは正室をおいた後の話だ。正室を置かなければひ文字姫を側室にするのは難しかろうよ。今宵は話をするだけだ。眠る時間には引き上げる。固くなる必要はない」



 その夜、草太はひ文字姫と話をし、ひ文字姫のこれまでの境遇の事、これからどうするか、好みは何か、などの話をした後、草太は言った。

「明日からの食事は姫飯を用意させよう。京風の料理も料理人を手配してある」

 この言葉にひ文字姫は言った。

「いえ、郷に入っては郷に従えと申しますから蕎麦を食べようかと思います。今は無理でも、いずれは姉小路家に、姉小路房綱様に受け入れてもらえるように」

 そうか、と草太は部屋を出た。少しだけひ文字姫を好意的な目で見られるような気がしていた。


 その夜、草太はつうの部屋で眠った。懐妊しているためつうに膝枕もさせなかったが、それでもつうは上機嫌であった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ