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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第二章 飛騨統一編
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十四、草太の下向準備

 時は少し遡る。

 草太は、元服し下向の許しを得た。これは、既に名目だけとはいえ、朝廷が草太を飛騨の主と認めたということである。しかも烏帽子親が五摂家の一つ、一条家であり、二条関白も合意しているという。これまでの飛騨国司は精々中級貴族でしかない姉小路家と幕府が任じた守護の京極氏、その被官の守護代が治めるというだけでしかなく、五摂家のような大物には無縁であった。

 それが、今回表立ってではないとはいえ、その五摂家の一人が烏帽子親になり名に一文字を貰う、という実質的に後ろ盾につくことを表明している形で、草太改め姉小路房綱を送り込むという。これまでにない異常事態に、驚愕し対応を協議していた。

 草太が元服し、姉小路の名跡を継ぐ、その後見として一条家がつく、というのは、その根回しの段階で三木氏に伝えられたようである。密書という形であったか、それとも使者が立ったか、そのことを直接示す資料はない。だが、三木氏と江馬氏、そして姉小路の家宰であり実質的な飛騨の国司の実務責任者である古川氏が、この当時水面下で何度も協議をしているらしいことは、いくつかの資料が示している通りである。例えば天文二十年弥生十二日に、安国寺に当主が三人も参詣している。


「草太、とかいったな。その少年、確かに姉小路の子か」一人が言う。ひと癖も二癖もありそうなこの男、名は三木直頼といい、南飛騨の実質的な支配者である。元は幕府の任じた飛騨の守護京極氏の被官であったが、その父三木重頼の代に京極氏を破って乗っ取り、勢力を拡大して今の地位を築いた人物でもある。

「あり得ぬ。二十年近く前に、高綱殿に手をかけ、屍蝋の法にて生き人形に仕立てて寝かせておいているのは知っておろう。その草太とかいうのは十歳前後だという。どう考えても計算が合わぬ」もう一人が答える。この男こそ、家宰の古川富氏である。かつて主君であった高綱をその手にかけ、屍蝋の法という法を用いて生き人形とし、病と称して一室に寝かせてある。が、表ざたにはできない。表立っては高綱はまだ生きていることになっているからだ。

「さりとて、否定する根拠もない。一条家が後ろ盾についており朝廷が認めるという以上、事実であろうとなかろうと同じことだ。高綱殿が二十年前に死んでいると公表するなら話は別だがな」とは、北飛騨の雄、江馬時盛である。


 この三人と、白川郷に引きこもっている内ヶ島家が、飛騨の国の支配者であった。つまり、隠れ里や山の民は別としても、どの里もいずれかの支配に属すると考えてよい。特に白川郷以外は、内ヶ島以外の三人のいずれかが支配していると考えてまず間違いはない。とはいえ、白川郷以外は、その戦略地図がその時々に応じて変わり続けるのだが。この意味で白川郷と内ヶ島家は全くの異質といえる。なにしろ支配者が内ヶ島家のみで全く変動がなく、内ヶ島家も白川郷を保持することに専念して外征らしい外征はほとんど行わないため、白川郷以外の領土を持つことがほとんどないためだ。


 少なくとも、下向してくるのが草太個人だけであればそれほど問題はない。問題はその背後にいる一条家であり、朝廷である。

「朝廷は、そんなに儂が姉小路を名乗るのが嫌なのかの」

 ぽつりと三木直頼が言った。だが、話はそういう問題ではない。


「そんなことより、面倒事だ。草太とやらはこの飛騨の国のどこに来るか、無論姉小路を継いでいるのだ、高綱殿の居城でもある百足城に入るだろう。供周りはどのくらいだ」

「古川殿、そのようなことはまだ分からぬ。今のところ、草太とやらが元服し、飛騨の国司に任命されるというだけしか分からぬのだ。それも後ろ盾が前関白、一条殿で、二条殿も根回しに加担していると聞く。ならば、任官は止められまいよ。三木殿には悪いがの」

 謀議は続き、この後も何度か行われ、結局飛騨の国に入った直後に暗殺することで合意した。落石で死亡することなどは、よくある不幸な出来事なのだ。



 話を草太に戻そう。

 草太が元服して姉小路房綱となり飛騨の国司として下向するのは既に述べた。問題は供周りである。草太には、まだ配下らしい配下は、平助しかいない。格式に則って数十人の部下を伴う行列を、などというのは、いうのは簡単だが難しい問題があった。人選である。

 下向の許可を貰ったからには、遅くとも十日のうちには京を出なければなるまい。

 京から下向について飛騨の山奥に、それも味方とてない孤立無援になると分かっていて供周りを揃える、それも一人二人ではなく揃えるというのは、単なる荷物運びの下人でさえ、その手当には苦慮していた。

 元服の儀の翌日、朝廷で挨拶を済ませた夕、衣冠を平服に戻して庭先で一人考え事をしていると、一人が近付いてきた。このような現れ方をするのは一人しかいない。弥次郎兵衛だ。

「旦那、お困りの様子で。でも、ちょっとだけ来てもらいたいんで」

「急ぎか。ならば、……平助」

 平助を伴って弥次郎兵衛に連れられて、一軒の格式のあるらしい宿に入った。この宿ならば秘密は漏れない。弥太郎の息がかかっている、商人のための宿だという。宿の格に応じて扱うものも足元を見られるため、多少格式のある宿の方が雑多な商人よりも大商いをする商人が集まりやすい。勿論、大商いを本格的に京にするのであれば、適当なところに屋敷を構えるのだが、焼け出されたり陣として使われるため、その場合もやはりこういった格式のある宿は重宝されていた。川沿いには蔵も何棟かあるという。

 こういった説明を聞きながら、一室に通された。離れであり、話の内容が漏れる心配はない。離れには既に城井弥太郎と一人の男が待っていた。床の間の前は開けてあるところを見ると、そこに座れということらしい。弥次郎兵衛に促されて上座へ、床の間の前に座った。弥次郎兵衛と平助は、自然と入口近く、弥太郎ともう一人の男の下座についた。

 全員が席に着くと、城井弥太郎が口を開いた。

「草太殿、いや元服し姉小路房綱殿、従五位下飛騨国司任官、おめでとうございまする。我ら一同、心よりお喜び申し上げます」

「挨拶は良い。用があるのだろう」草太は気になって尋ねた。おそらくこのはじめてみる男も、これからの話に大きく関わってくるのだろう。壮年でがっしりとした、弥太郎とは違った意味での存在感のある男である。

「まずは紹介いたしましょう。これなるは」といって初見の男を示した。「これなるは近江から敦賀までの水夫人足の取りまとめをしております、牛太郎と申す者にございまする」

「牛太郎にございます。生まれも育ちも近江であり、生まれたのが沖島という琵琶湖の島にて、沖島牛太郎と名乗っております。叡山付近より東、琵琶湖畔と琵琶湖北岸より敦賀、舞鶴までの水夫、人足の取りまとめをさせてもらっております。先代からついでからまだ三年足らずの若輩者にございますので、至らない点がございましたらご容赦ください」

 なるほど、この男に引き合わせるのがこの呼び出しか、と草太が思ったところで弥次郎兵衛が口を出した。

「旦那、それで結局、どうするんです」

「どうするとは。飛騨の国司として下向する。供周りには苦慮しているが」

 城井弥太郎が口を開いた。

「供周りについては、私が何とでも致しましょう。十や二十、集めるのには造作もございませぬ。百であれば食料薪炭の問題がございますがな……。それよりも問題は、どのようにいくか、でございます」

 草太はその点について全く考えていなかったといっていい。精々、琵琶湖畔の南岸から岐阜を回って飛騨へ入る、という程度である。前例がそれを示していた。

「大きく分けて、北周りと南周りの二つの道がございます。南周りは佐々木六角の琵琶湖畔を琵琶湖を左に見て進み、美濃斎藤の領内を通り井ノ口より北へ向かう道でございますが、この道は避けていただきたい。というのも、飛騨南部は三木氏が支配するところでございます。山道も多く、襲撃が予想されます」

 草太は、それについてはほとんど考えが至っていなかったが、いわれてみれば確かにそうだ。四面楚歌になるとはいえ、その最大の難敵の一人は飛騨南部を抑える三木氏であろう。しかも険峻な山道を進む必要があるならば、危険であるというのは間違いがないところである。

「もう一つの道は、近江を北に抜け、越前朝倉、加賀、越中と進み北より川を坂上って飛騨に入る道にございます。こちらの道の方がまだ安全かと愚考致します」

「北周りなら敦賀まで、南周りでも伊吹山の先関ヶ原辺りまでは私の支配。安全はお約束いたしましょう。ただ」

 ここまで言って少し沖島牛太郎は言葉を濁した。

「関ヶ原から先は顔役の紹介はできますが、全部を取りまとめているものがおりません。美濃より尾張にかけての川並衆の坪内、蜂須賀辺りは顔役としては有名ですが、何人もの顔役が割拠しているような状況でございます。それに、北への道は顔役自体がおりませぬ。それほど荷もなく、商人ごとが人足を支配しているような状況にございます。もしどうしてもというのであれば、有力な商人を紹介することとなりましょうが、いずれもさほどの力はありませぬ。何より飛騨は商いをする地ではございませぬゆえ。それに、なにより南飛騨の有力な商人で三木氏の息のかからぬものは一人もおりませぬ」

 ここで少し言葉を切って沖島牛太郎は続けた。

「北周りならば敦賀まではご案内できますし、越前、加賀、越中も比較的安定しておりますから往来に問題はありませぬ。急ぐなら早舟を仕立てますが、陸路を行っても危険は少ないでしょう」

「実はですな」城井弥太郎が口を挟んだ。「叡山の少し北に、一人合わせておきたい者がおります。この者との面会もあり、北周りをお勧めいたします」


 とはいうものの、国司が国入りするための道は予め美濃を経て北上するものとされており、前例を違えることは難しい。前例が全ての決定の元であるということと同時に、五畿七道の観点から考えても、美濃から北上して飛騨に入る、という方が自然である。美濃も飛騨も東山道だが、北回りの道を取るということは北陸道を通り飛騨入りするという形となる。畿内を発して幹線道路を通ろうとすれば、井ノ口(現在の岐阜市)から分岐する道を使うのが最も自然であり、また当然のことである。

 この当然のことを破れと、平然と城井弥太郎らは言っているのだ。草太は少し迷った。


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