それぞれの不満
夫の満雄が残業を終えて家に帰ると、ダイニングテーブルには妻の手料理が並べられていた。息子の雄太はもう夕食をすませたらしく、リビングのテレビを占領してゲームに興じている。
妻の多恵子は愉しげな微笑を浮かべて、
「お帰りなさい、あなた。今日も腕によりをかけておいしい料理を作ったわよ」
「ああ、ありがとな」
多恵子に気付かれないようにため息をついて、満雄は料理に手をつけた。今日の夕食は肉じゃがか。いつものことながら、味が薄い。肉をたべても芋をたべても、味のないスポンジを噛んでいるような感触しか残らない。かろうじて食事の楽しみを与えてくれるのは、ご飯とビールだけだ。
「最近、田中さんの家のシロが全然ほえなくなったのよ。どうしたのかしらね」
「病気でもしたんじゃないのか」
多恵子の他愛のない世間話にも、適当に相槌をうっておく。
多恵子には内緒だが、駅前の定食屋に立ち寄って、空腹をある程度満たしてから帰宅することにしている。あの店の肉じゃがは絶品だ。あれを食べるために、毎日あくせく働いているといってもいい。もちろん、こんなことは多恵子には絶対に言えないのだが……。
夕食後、軽くシャワーを浴びて、満雄はベッドに入った。ひさしぶりに夫婦の甘いひとときを……満雄が多恵子のネグリジェの胸元をまさぐると、彼女の息遣いが荒くなる気配があった。
交わりは十分足らずで終わった。若い頃はもっとたっぷりと愛し合っていたはずなのだが、やはりトシには勝てないのか、最近ではたった十分の交わりでも息がきれる。汗もやたらとかくようになった。このままでは気持ち悪いから、もう一度シャワーを浴びてくるか。
満雄が寝室から出た後、多恵子が気だるそうに裸の半身を起こした。
ああもう、今日もあっという間に終わっちゃったじゃないの。もうちょっと愉しみたいって時に、いつも自分だけ満足して終わっちゃうんだから。若い頃はもっと時間をかけて満足させてくれたのに……。
まあ、いいわ。平日の昼間、旦那と息子がいない間に、新聞配達の男の子とステキな時間を過ごせるんだから。今日だって、彼が何度も私を満足させてくれたのよ。毎日家事に追われているんだから、このくらいの楽しみは許されて当然よね。
満雄がシャワーを浴びてリビングに降りると、雄太がまだテレビゲームに没頭していた。
「何時だと思ってるんだ。いい加減に自分の部屋で寝ろ」
満雄が叱りつけると、雄太は不満げに舌うちをしながらもゲームを片付け、自分の部屋へと引き上げた。
何を考えてるんだ、あいつは。夜遅くまでテレビゲームに夢中になるとは、不健全の極みじゃないか。近頃は、モンスターと呼ばれる悪者を容赦なく駆逐していくという、残虐きわまりないゲームが流行しているらしい。そして、うちの息子もご多分に洩れず、そうしたゲームに熱をあげているようだ。いくら仮想空間の中とはいえ、生物をむやみに駆除するような行為は人間として好ましいものではない。できることならすぐにでもゲームを取り上げたいが……そのあたりのことは多恵子に任せることにしよう。
自室のベッドに横になっても、雄太はゲームを中断させられた苛立ちのため、なかなか寝つくことができなかった。
まったく、口うるさい父親だ。明日は休みなんだし、何時までゲームをやろうとこっちの自由じゃないか。もう少しで大ボスを倒せるところだったのに……。大人は本当に、子どもの楽しみってヤツがわかってない。
でも、いいんだ。ゲームはどうせバーチャルなお遊びだってことぐらい、ちゃんとわかってるんだから。だから僕は、近所の野良犬を適当に痛めつけて、ストレスをうまく発散させているんだ。そうでもしなきゃ、くだらない勉強に追いまくられる毎日なんてたえられないよ。
野良犬いじめって、マジでスリルがあるんだぜ。クラスの友達にもすすめてやりたいよ。まあ、近所の田中さんの犬をいじめすぎて死なせちゃった時はさすがにちょっと悪い気はしたけどさ……。