知らない場所、知っている場所
気がつくと、そこはどうみても神社の境内などとは違う場所だった。
「鳥居…くぐったよね…?」
確かに潜った。
立ち眩みだったのかしら、と思ったけれど振り向くとそこには神社も無ければ、潜ってきた鳥居もない。
「……うそでしょ」
帰り道が、わからない。
その上、深夜だったはずの宵闇は消えて、明るい朝の日差し。
追ってきた光とよく似た色の柔らかい太陽がのぼっている。
「朝!?え?私気を失ってた?……って、飛行機!!!!」
はっと我にかえって慌てて時計を見るけれど、腕時計は2時過ぎ。
先ほどからほとんど時間は経っていない。
「時計…壊れてる…?」
動いてはいるけれど、この時間が正しいのかどうかもわからないし、状況が飲み込めない。
いずれにしても、こんなに陽が高く昇ってしまっていれば、乗るはずだった飛行機はもう飛び立ってしまっているだろう。今更間に合わない。
周囲を見回すけれど、人の気配は無いし、来た道も無いのだからどうしようもない。
がっくりとうなだれたけれど、しばらくすると、
「こうしていても何も変わらないわね」
と思い至った。とにかく街に戻って今後のことを考えなくては。
立ち直りが早いとはよく言われるけど、めそめそしててもなにも変わらない、といつも思う。小さい頃から、留守番が多かったせいか、何事も切り替えて考える癖が出来ているのだ。
両親は海外なので、とりあえず祖母に電話をして、飛行機に乗り損ねたことを伝えなければ…。
下げていたポーチからスマホを取り出すけれど、なんと電波がない!!!
またもやうなだれる…。そしてまた立ち直る。
とにかくここから移動しなくちゃ。
と、周囲を再度見回すと、なんと小さな家が見えた。
「あれ?さっきは森しかなかったような…?」
気が動転していたのかしらと思いつつ、足を進める。
唯一あったのは、大きな庭のある小さな家。
「誰か…いらっしゃらないかしら…」
一歩ずつそっと近づく。
「すいませーん!どなたかいませんか?」
声をかけてみるものの反応はない。
門をくぐり、庭の間を抜けて玄関に立つ。
扉はうっすらと開いていたのでそっと中を覗き込む。
石造りの外壁、木の扉。
中にはロッキングチェアとテーブル。
なんだか、どこかのドラマとかで見たような…
森の中の小さな家。という感じのなつかしさを感じる家。
とはいえ勝手に入るわけにもいかないので、そっと扉を叩く。
コン、コン。
返事はない。
恐る恐る扉をあけて、そっと1歩中に入った。
中はあたたかい。
スープと焼きたてのパン、そして複数の花やハーブの香り。
「まるでうちのカフェみたいな香りがするわね…」
思いがけずほっとした。
とにかく…。今は人の気配は無いけれど誰かが生活しているらしい。
「こんにちはーーー。すいませーーーん。どなたかいらっしゃいませんかー?」
最初は小さな声で、それからどんどん大きく最後には出せる限りの大声で呼んでみたけれど、反応はない。
「困ったわ…」
改めて見回すとテーブルの上に一枚の紙が置かれていた。
そこには見たことのない文字。
なにか助けになるかと期待したのに残念だ。
「困ったなあ……お留守かしら……」
改めて紙を手に取る。勿論読めない。
「メモも読めないし……。ここ、どこなんだろう。せめて読めればいいんだけどなあ……」
そう呟いた瞬間――
また目眩がした、更に身体が突然燃えるように熱い。
そして、頭の奥に、何かが流れ込んでくる。
知らないはずの景色。
この家での生活。
一人でスープを作る自分。
窓辺に干した薬草。
(あ……)
そうだ。
ここは、私の家だ。と、唐突に理解した。
思い出した、が正しいかもしれない。
私はこの世界を、この家をよく知っている。
私は、日本に生まれ変わる前――
この家で、一人で暮らしていた。
スープを作っている途中で、突然めまいがして。
倒れた。
死ぬのだと思った。
なのに。
私は璃里衣として、生まれ変わり、生きてきた。
今の瞬間までこの世界のことは完全に忘れて、普通に人生を生きていた。
今この瞬間まで、この世界のことを全く思い出しすらしなかった。
それなのに、今、なぜか“あの時間”に戻ってきている。なんというか、人生に璃里衣の20年が横入りした感じ?
鍋からはまだ湯気が立っている。
記憶と同じ景色。
スープが冷めていないところを見ると、時間はほとんど進んでいない。
「……夢?」
頬をつねる。
痛い。
いや、そもそも、手にはスマホ、腕時計。
テーブルの紙を、もう一度見る。
今度は読めた。
そこにはこう書かれていた。
『星が呼んでいます』
「……は?」
書いた覚えがない。
でも、文字は自分の筆跡だ。
そして、その瞬間。
遠くで鐘の音が鳴った。
王都の、神殿の鐘。
――聖女選定の儀が始まる合図。
…だと思う。記憶が正しければ…。
璃里衣――いや、この世界での名はまだ思い出せない“私”は、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
私も本来行くべきだった選定会。
王都に住む15歳以上未婚の貴族女性は次代の聖女候補として、一定期間の神殿奉仕が義務となっている。
一般的に思われるような厳しいものではないので、通過儀礼的な認識ではあるけれど、これを経て初めて社交界デビューが認められるので、ほぼ全員が15歳になると神殿に奉仕を申し出る。
そんな聖女候補に今日大聖堂に集まるようにと連絡があった。
いよいよ次世代聖女が選ばれる日が来たのだ。
何もかも思い出したわけではないし、まだふらふらする。
自分に起きたことが、わかっているようないないような。
とにかく、私はここにいて、
どころか、さっきまでは、違う世界にいた。
ただ、間違いない。ここは私の住まいで、このスープは私が作ったものだ。
そして、聖女選考の指定日時にも関わらず、私は「ここに、いた」ということ。
お気に入りだったスープカップに懐かしさを感じつつ、そっと鍋からすくう。
ゆっくりと窓際に近づいて、庭を見ながら一口飲む。
それはなぜか、祖母から教わったスープレシピで作る味にそっくりだった。




