【第4話:恐れられし者、初めての信頼】
森の生活にも慣れ始めた頃、醜い野獣、ベルゼはふと思った。
「……この森だけで生きるのも悪くはない。でも、やっぱり……人間の暮らしも見てみたいな」
野獣は森の外れへ向かう。木々の隙間から見えたのは、小さな村。木造の家々から煙が上がり、人々の声が風に混じって流れてくる。
その光景を見ただけで、胸が高鳴った。
(ああ……これが、“普通の生活”ってやつか)
そのときだった。
「ひっ……な、何だあれは!? 魔物だ!」
近くにいた子供の悲鳴。畑仕事をしていた人々が一斉にこちらを振り向く。
ベルゼは思わず一歩退いた。
彼らの視線には、明確な“恐怖”が宿っていた。
濁った爪、鋭い牙、漆黒の毛並み。川で見た自分の醜い姿が、今、彼らの目に映っている。
「ち、違う……俺は――」
弁明しようとしたその瞬間、村の奥から怒号が響いた。
「野盗だ! 倉庫が襲われてるぞ!」
ベルゼの耳がぴくりと動いた。
怒号の方角には、荷車と火の粉が見える。村人たちは怯え、誰も近づけない。
気づけば、体が勝手に動いていた。
「放っておけない……!」
森で学んだ地形を思い出し、素早く周囲を見渡す。倉庫の裏には大きな水車と、荷を運ぶための坂道。
「……あれを使えるな」
ベルゼは地を蹴った。
地面が沈み込むほどの脚力で、一気に倉庫裏へ回り込む。
野盗たちは三人。鎧こそ着ていないが、手には刃物と火のついた松明。
「おい、あれ……魔物じゃねぇか!?」「チッ、今は荷物を持って逃げ――」
言い終える前に、ベルゼは地面の石を掴んで投げた。
石は風を裂き、野盗の足元に当たる。
「うわっ!?」
その隙に、彼は水車の軸を蹴った。ギギギと音を立てて水流が逆流し、泥水が野盗たちの足元へと流れ込む。
「足元、すべるぞ」
低く唸るような声でつぶやき、ベルゼは前へ飛び出した。
体の制御はまだ完璧ではない。だが、力を抑えつつ、必要な分だけ筋肉を使う感覚を掴み始めている。
拳が空気を切り裂き、野盗の腹に命中した瞬間――
「ぐえっ!」
人ひとりが宙を舞い、木箱に突っ込んだ。
「や、やめろ! こいつ、化け物だ!」
残りの野盗たちは互いに顔を見合わせ、逃げるように森の奥へと消えていった。
静寂。
炎がぱちぱちと燃え、風の音が村を撫でていく。
ベルゼは息を吐いた。
「……やっちゃった、かな」
その時、背後から小さな声がした。
「……あなた……」
振り向くと、そこにいたのは――あの女性だった。
森で狼に襲われていたあの女性。
あのとき悲鳴をあげて逃げた、あの人だ。
彼女は震える手を胸に当てながら、しかし一歩ずつベルゼに近づいた。
「……助けてくれたのは、あなた、だったのね」
「……え?」
「この前……森で私を助けてくれた。あのとき、怖くて逃げたけど……でも、今日見た。あなたは、人を助ける人だって」
彼女の声は震えていた。だが、その瞳には確かな“勇気”があった。
ベルゼは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……ありがとう。でも、俺は……見た目が、こんなだから」
「見た目なんて……そんなの関係ないわ」
女性は小さく微笑んだ。
「あなたの名前を、教えてくれる?」
「……ベルゼ」
「ベルゼさん。私はリナ。……助けてくれて、本当にありがとう」
リナの言葉に、ベルゼは静かに頷いた。
その瞬間、恐怖と偏見に覆われた村に、ほんの少しだけ――“信頼”という光が灯った。
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