【第16話:商会戦争(マーケット・ウォー)開幕】
翌朝、マルタ商会の倉庫に異変が起きた。
「な、なんだって……!?
納品予定の小麦が――半分以上、届いてない!?」
報告に駆け込んだ商人の声は震えていた。
帳簿を確認すると、すべて正式な契約書と印がある。
だが、その運搬業者のほとんどが、グレイモンド卿の傘下。
「やられたわね……」
マルタが拳を握りしめた。
「完全に法の範囲内で締め上げてくるなんて、さすが貴族。
あの人……最初からこれを狙ってたのね」
ベルゼは静かに帳簿を見つめた。
「彼は“盤上の戦い”を現実で再現しただけです。
これはもう、貴族の遊戯ではない――経済戦だ」
「どうするの?」
「逆転の一手を打つ」
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◆ 夕刻 ― 王都南部の市場
王都最大の市場では、グレイモンド傘下の商会が小麦を買い占め、
値段を一気に吊り上げていた。
「今週はこれで最後の小麦だ! 一袋銀貨三枚!」
「高すぎるだろ!」
「文句があるなら他所で買え!」
混乱と不満の声が広がる中、
一人の仮面の男――ベルゼが静かに露店の前に立った。
「……俺の番だな」
彼は懐から羊皮紙を取り出す。
王都西部の小農家たちと結んだ、**“直接取引契約”**の証書。
マルタ商会の流通網を通さず、農民自身が市場で売る仕組みだ。
「どういうことだ? 直接……農民が売る?」
「しかも値段は……銀貨一枚!?」
瞬く間に人々が集まり、グレイモンド側の露店が空になる。
「バカな! あいつらの物資は抑えてたはずだ!」
「どこから仕入れたんだ……!?」
「あなたが“貴族の権力”で封じた道を、
俺は“人の信頼”で開いただけですよ」
ベルゼの低い声が響く。
その言葉に、農民たちも顔を上げた。
「ベルゼ様が言ってくれたんだ、
“自分の作ったものを、自分の値で売れ”って!」
怒号と歓声が混ざる中、
グレイモンド側の商人が慌てて撤退していく。
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◆ 夜 ― 商会の屋上にて
リナが屋根の上に座り、遠くの市場の灯を見下ろしていた。
「……あんなに嬉しそうな人たち、初めて見た」
ベルゼは仮面を外さず、静かに頷く。
「金は人を縛るが、信頼は人を動かす。
貴族の“支配”は恐怖でできている。
だからこそ、恐れない人々の輪が一番の脅威になる」
リナが小さく笑った。
「ねえ、ベルゼさん。
あなたって――本当は何者なの?」
沈黙。
風が二人の間を通り抜ける。
「……さあ。
俺自身、それをまだ探している」
リナはその横顔を見つめた。
仮面の奥の瞳は冷たいようでいて、どこか痛みを帯びている。
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◆ 一方その頃
グレイモンド邸。
敗北の報告を聞いた男は、ワインを掲げながら薄く笑う。
「なるほど……“力”ではなく“人心”で対抗するか。
面白い。ならば次は――法で縛ってみようか」
蝋燭の炎が揺れる。
その背後には、黒衣の書記官が静かに立っていた。
「準備を進めろ。
“仮面の賢者”を、正式に――王法違反で告発する」
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