【第15話:仮面の賢者、貴族との盤上戦】
王立学士院での発表から三日後。
ベルゼの名は、すでに王都の上層にも届いていた。
「仮面の賢者」
「言葉と数字で戦を制す者」
市民たちはそう噂し、学士たちはその分析力に驚嘆し、
そして貴族たちは――その存在を“危険”と見ていた。
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午後、マルタ商会の応接室。
分厚い封蝋のついた書状が届けられる。
宛名はベルゼ。送り主は――グレイモンド卿。
《改めて貴殿と話がしたい。
我々の間に、誤解があったようだ。》
マルタは露骨に眉をひそめた。
「誤解? ふざけてるの? あんたを暗殺したくせに!」
リナも同じく憤る。
「行っちゃダメだよ、ベルゼさん!」
だが、ベルゼは静かに首を振った。
「行くさ。敵の“手の内”を知らなければ、次の一手は打てない」
仮面の奥で、その瞳が冷静に光る。
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夕暮れ。
再び訪れたグレイモンド邸は、前回よりも静まり返っていた。
招かれた客はベルゼ一人。
案内された部屋の中央には、黒と白の石を使った盤――**戦略盤**が置かれていた。
「ようこそ、仮面の賢者殿」
グレイモンドは笑みを浮かべながら、盤の向こうに座る。
「今日は剣でも金でもなく、“知”で話そう」
「……いいでしょう」
二人は席についた。
盤上の石は軍勢を、陣形は領土を表す。
王都では古くから、貴族同士の政治交渉をこの盤上戦で行うのが習わしだった。
一手、また一手。
白の石を操るグレイモンドが攻め、
黒の石を握るベルゼが守る。
「なるほど……悪くない。
だが、君の防御は美しいが“実戦的”ではない」
「戦とは、力ではなく構造です。
あなたの陣は華やかですが――脆い」
ベルゼの指が盤上を走る。
一見無意味に見える動きが、数手後に複雑な陣形を生み出す。
「……っ!?」
グレイモンドの表情がわずかに歪んだ。
まるで、計算され尽くした罠に嵌ったように。
「あなたの支配は“見せかけ”です。
その裏で、民は疲弊し、商会は搾取されている。
このままでは、いずれ反乱が起きる」
「ほう……脅しか?」
「いいえ。推論です」
沈黙。
部屋の空気が一瞬で張り詰める。
やがて、グレイモンドはゆっくりと笑った。
「面白い……本当に面白い。
やはり君は、ただの商人の客人ではなかったか」
ベルゼは立ち上がる。
「今日のところはこれで」
「また会おう、“仮面の賢者”。
次は――盤の上ではなく、現実で勝負だ」
扉を出た瞬間、ベルゼの手がわずかに震えていた。
「……やはり、ただの貴族じゃない」
屋敷を出ると、リナが待っていた。
「無事でよかった……! 何話してたの?」
「戦いだよ。
――言葉で、そして思想で」
ベルゼの視線は王城の塔を見上げていた。
そこにはまだ、誰も知らない大きな闇が潜んでいる。
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