感染者ゼロ号。
意識が戻った瞬間、目の前に広がっていたのは――惨状だった。
教室の机と椅子が散乱し、ガラス窓が一部割れている。
床には倒れた生徒たちが数人。
叫び声と悲鳴が交錯する中、如月ヒロトが教壇の上に立っていた。
カナメはその姿を見て、思わず息をのんだ。
――ヒロトの体は、明らかに「人間のそれ」を逸脱していた。
制服の背中が破け、そこから青白い突起が骨のように伸びている。
皮膚は蒼く変色し、血管のようなものが網目状に浮かび上がっていた。
何より異様だったのは、その目。
真紅に染まり、黒い円が中心で回転していた。
「……聞こえる……聞こえるんだ、声が……!
ずっと、俺を呼んでた……!」
ヒロトはうわごとのように呟きながら、教室の前方に飛び降りる。
その足取りは異様に素早く、着地の瞬間、床が軋んだ。
「如月ッ、やめろッ!」
担任の教師が制止する声を張り上げるが、ヒロトはそれに反応するどころか、教室の後方へと猛然と駆け出す。
その動きは――“速すぎた”。
人間の反射では追えない。
まるで、加速した映像を見せられているかのような軌道。
「危ない!」
カナメがとっさに叫ぶと、すぐ隣のユイが自分の腕を引いた。
二人が身を伏せた直後、ヒロトの突進が通路を抜け、教室の壁に肩を叩きつけた音が響いた。
壁がめり込む。
白い粉が舞い、石膏が崩れる。
「嘘でしょ……」
ユイが息を呑んだ。
カナメは目を離せなかった。
この“異形化”は夢ではない。
目の前で、人間だったはずの如月ヒロトが、明らかに“何か”と融合していた。
「俺は選ばれた……お前らとは違うんだ……! 俺は器だ……!」
――器。
その言葉を聞いた瞬間、カナメの心臓が脈打った。
さっきの夢……いや、あの空間で聞いた言葉と同じだ。
「器」。選ばれた存在。何かの“始まり”。
「もう、遅い……」
ヒロトの体がさらに変質を始める。
背中から飛び出した骨のような突起が、まるで羽のように展開し、蒼白く光を帯びる。
――このままでは、誰かが殺される。
その思いが、胸の奥で“何か”を呼び覚ました。
カナメの視界が一瞬、暗転する。
そして――額と両手の甲が、熱を帯びて光を発した。
青白い幾何学の紋様が浮かび、ゆっくりと回転を始める。
「カナメ……?」
ユイの声が遠くなった。
周囲のすべてが、スローモーションになっていく。
音も動きも、時間の流れまでもが遅くなっていく。
その中でただ一つ、鮮明に動いているものがあった。
――カナメの瞳。
その虹彩は歯車のように精密に回転し、青い光を放っていた。
始まる。
彼の「器」としての目覚めが。