“それ”の声。
――目が、霞む。
如月ヒロトの怒声が遠ざかり、クラスメイトたちのざわめきも、担任の制止の声も、どこか水の底から聞こえてくるように鈍くなっていた。
カナメの視界は、じわじわと黒く縁取られ始めていた。
けれど、これはただの貧血やストレスではない――そんな直感だけは、確かにあった。
椅子に座ったままの体がふらりと揺れ、気づけば、床がどんどん遠のいていく。
意識が、抜け落ちる。
頭の奥で、“誰か”がノックするような音が鳴っていた。
――コン、コン、コン……
次の瞬間、カナメは、何もない空間に立っていた。
灰色の霧が広がり、上下の区別すらつかない。
重力も、時間も感じない。
ただ、そこに“存在している”という感覚だけが、妙にリアルだった。
「……ここは?」
声に出したつもりが、自分の耳には何も届かなかった。
足元を見ると、何もないはずの虚空に、自分の影が映っていた――否、影ではなかった。
それは、“もう一人の自分”だった。
白い服に身を包み、目を伏せた少年。
顔は見えない。けれど、確かに自分と同じ輪郭を持っている。
その存在が、ゆっくりと顔を上げた。
そして、口を開いた。
「――ようやく、目を覚ましたか。器」
ぞわり、と背筋が凍る。
カナメは一歩、後ずさった。
「……誰だ、お前」
「お前に似た形をしているのは、お前の理解に合わせているだけだ。
安心しろ、まだ完全には始まらない」
「……“始まらない”? 何が……」
少年のような“それ”は、笑った。
唇の動きすら、どこか機械的で、感情をなぞるだけのような笑み。
「――世界の再演。そして、選別だ。
だが今はまだ、その入口に過ぎない。第一段階が始まっただけだ」
「……選別って、何の話だ。俺に関係あるのか?」
問うたはずの声は、自分自身の耳にも届かない。
だが、“それ”には確かに通じていたようだった。
「あるとも。君は“そういう存在”として選ばれた。
目覚めの鼓動はすでに鳴っている。君の内に、歯車は回り始めたんだよ」
その言葉と同時に、空間全体に響く音――
――カチリ、カチリ……カチッ。
まるで機械の歯車が噛み合うような、金属音が脳内で反響した。
カナメは、胸元を押さえる。
痛みではない。
だが、内側から“何かが動いている”のが分かる。
異物感とも違う。
けれど、自分の一部ではないと断言できない何かが――そこにいた。
「……これは……何なんだ……」
気づけば、周囲の霧が音を立てて崩れていく。
そして、意識は、現実へと引き戻されていった。