6.エルとサーラム
アイが部屋で待っていると、鎧姿のエルが戻ってきた。例によって脱ぐのを手伝う。エルは薄物いちまいの裸同然の姿になると、用意してあった室内着に袖も通さずにクッションに身を預けた。寛いだ様子だった。
「なにか他のお召し物をご用意しましょうか」
「いや、いらぬ。服などうっとおしい限りだ」
砂漠では肌を晒すことは生死にかかわる。むろん今は室内なのでその心配はなかったが、アイは砂漠の民の習慣として昼間から薄着をしている者がいるのは落ち着かなかった。
「それにしてもこの部屋は過ごしやすいな。とても砂漠の中とは思えない涼しさだ」
そう言うエルに、アイは得意げに、
「はい。この部屋では壁の中に水を通しているのです」
「壁の中に? そういえば水の管があったな」
「はい。地下の『もーたー・ぽんぷ』から汲み上げた水を壁に巡らせているんです。暑い昼間は部屋を冷やして、寒い夜は温水にして一定の温度にするからくりなんです。
昔は高楼のすべての部屋がそうだったんですけど、ほとんど壊れてしまって。だからまだからくりが生きている部屋を客室として使っているんです」
続けてアイは地下室についても話した。
「城の地下もそうなんですよ。だからここで働いている子は、みんな地下の仕事をやりたがるんです」
「地下の仕事?」
「はい。昔の資料の整理とか、お掃除とか」
「地下は暗いだろう。怖くはないのか」
「ぜんぜんです。だって地下の『部屋』には灯りがあるし」
「灯り?」
「ええ。特別な灯りがあるんです」
「油の燈明ではないのか」
壁に掛けてある燈明の器を見ながらそう尋ねる。アイは更に得意になって説明した。
「ぜんぜん違います。冷たい光なんです」
「とはまた。奇妙なからくりがあるのだな、この城には。屋上の妙な金物といい実に変わっている」
アイは自分が生まれた紅砂城が褒められたのがうれしくて、手を胸の前でぱちんと合わせて、
「そうなんです。屋上の『れくてな』からもたらされる灯りなんです」
「れくてな・・・」
「はい『れくてな』です。『れくてぃふぁいんぐ・あんてな』の略だそうですけど」
エルは首をひねった。
「かわった響きの言葉だな。砂漠の民の言葉か」
「古代語だそうです。天空にある太陽の座『はつでん・えいせい』が集めたお日様の力を『まいくろ・うぇーぶ』という魔法で天から下ろし、『れくてな』で受けて『もーたー・ぽんぷ』を動かしたり、『部屋』に冷たい光を灯したりするそうです」
「ははあ」
エルは訳知り顔で、
「よくある太陽信仰だな。なるほど砂漠の民ならではの教義であろ。偉大なる日輪の加護という訳か」
「・・・そうかもしれません。わたしも実はよくわからないんです」
と舌を出す。
「なるほどな。わたしも諸国を見てきたがやはり砂漠の国というのは独特だな」
そしてふと何かを思いついた顔で、
「どうだろうアイよ、ひとつ頼まれてはくれぬか」
もとよりラミュー館主からはエルの希望に従えと命じられていたのだ。アイは何の疑問もなく応えた。
「はい。なんなりと」
「この紅砂城に興味が出てきた。案内してもらえぬか」
「ええっ」
「砂漠の城郭都市のようす、その有様を見て回りたい」
「それはつまり、お忍びで?」
「うむ」
アイは目を白黒させて額に手を当てた。
「もちろんお館様にも内緒で、ということですよね」
「うむ。ファーコンにも黙って置こう。あれはじいやのように口うるさい男でな」
共犯となった二人の乙女はくすくすと笑い合った。エルは楽し気に、
「さしあたっての問題は部屋の外の護衛だが・・・なんとしよう。何か用事を言いつけて追い払うか」
けれど、アイは、
「もっと良い方法があります」
「どうするのだ」
「抜け穴を使うんです」
そう言うと、アイは作り付けの寝台の布団をはぐり、板の一部を持ち上げて見せた。そこには下へ続く細い階段があった。
「これで誰にも知られずに商館を出られます」
「これはこれは。まったくこの城は退屈させぬな」
「さ、お早く」
エルはアイに促されて抜け穴に足を踏み入れる。ひんやりした空気の流れが感じられた。
長い階段をふたりは黙って下へと降りていった。ところどころに明り取りの小さな窓があるだけの薄闇の中を。
途中でエルに待つように言うと、アイは隠し扉を押し開いていずこかに出ていった。すぐに戻ってきたアイの手には洗いざらしの白い装束があった。
「これを着てください。ネーナ姉さまの外着を拝借して来ました」
「ほう、これが砂漠の民の服か。着るのは初めてだな」
ゆったりとした裾の長い服で、肌の露出は最小限に抑えられていた。アイの助けで手早く着付けを済ませる。
二人は階段を更に降りて、ある扉の前に立った。階段はまだ地下へと続いていたが、ここが一階の出口だった。アイはエルに服のフードで顔を隠すように言うと、そっと扉を押し開いた。
二人は台所の横を通って商館の外に出た。はた目にはアイと同僚の少女がお使いで出て行ったようにしか見えなかった。
石積みの街をアイとエルは手をつないで歩く。道にはひっきりにしに人やらラクダやら荷押し車が行き来していた。人々の肌の色も、しゃべっている言語もさまざまで、交易都市の面目躍如といった趣だった。
「活気があるのだな」
「ええ。都市全体が商人の街ですから」
やがて二人は泉水広場に出た。石造りの人造のオアシスを中心にした、紅砂城内で一番にぎやかな場所だった。
オアシスを一目見たエルは、
「面白いな。オアシスというよりも公衆浴場のようだ。泳いで見たいものだな」
アイはあわてて、
「だめですよ、煮炊きにも使うんですから。それに外で肌をさらすなんて」
「ふうん。ここではそうなのか」
「お国では違うのですか」
「ああ。暖かな日は川や湖で泳ぐのだ。もちろん服など全て脱ぎ捨ててな」
「男も女もですか」
「そうだ」
「なんだか恥ずかしいですね」
「そうか? わが国では人間の肉体はこの世でもっとも美しいものとされている。本来人間は服を着ないことの方が自然であるといわれているぞ」
「・・・なんだか行くのが怖くなって来ました」
そう聞くとエルはまた、はははっ、と男のような笑い声を上げた。
「だいじょうぶ、すぐに慣れる。実のところこういった暑い日には全て脱ぎ捨てたくてしかたがないのだ」
「だめですって。ここでそんなことをしたら、お日様に焼かれて火ぶくれになってしまいます」
「そのようだな」
どこまで本気なのか、エルはふたたび声をたてて笑った。
広場には、あいかわらずあちこちに露天や幕舎が店を出していた。それらを冷やかしながらそぞろ歩く。
「まるでお祭りのようだな。今日はなにか特別な日なのか」
「いえ、いつもこんな感じですよ」
「この賑わいでか」
「はい。この都市には毎日のように異国からいろいろなものが流れ込み、また出ていきます。中には手違いで多く仕入れてしまったもの、荷が遅れて目的地につくまでに痛んでしまうようなものも出てきます。そういったものがこの市場に並んだりするのです」
「なるほどな」
しきりと感心しているエルをアイはうれしそうに見ていた。何にでも興味を持って喜んでくれるので案内のし甲斐があった。
最後にアイはサーラムの店へとエルを案内した。
「面白い人がいる店なんです」と。
「おやまあ、これはまた」
エルを一目見るなり、サーラムはうれしそうに、
「今日はまた、べっぴんさんを連れて来ましたな」
「お客人なの。今日はご案内というわけ」
「ほうほう。それはまた」
サーラムは愛想よく、
「では記念に宝石はいかがです。この瑪瑙などうつくしい御髪によく合いますよ・・・おや」
エルの髪に見覚えのある珊瑚の髪飾りを見つけて、
「それは昨日さしあげた髪飾りですな」
アイははにかんで、
「わたしなんかよりも似合うと思って」
「なにをおっしゃいます。黒髪には赤珊瑚が似合いますものを。亜麻色の御髪に合うのはこちらです」
うやうやしく瑪瑙を捧げ持つ。が、エルは冷ややかに、
「口がうまいな商売人。あいにくとそんなものに興味はない」
ぴしゃりとはねつける。サーラムはめげずに、
「宝石にご興味はないと。ではこちらの紅はいかがですかな。肌の色がいっそう映えますぞ」
「商売人」
「サーラムとお呼びを」
「ではサーラム。ひとつよい事を教えてやろう」
「なんでしょう」
「わたしはしまりのない愛想笑いをする男は信用しないことにしている。心にもないことを言い募るいやしき口舌の徒など」
「はは、これは手厳しい」
あくまで笑みを絶やさずに応じる。
「なれどこちらも商売でしてな。お客さまをよい心持ちにさせて金を使わせるのが商人の腕の見せ所でして」
エルは、はははっ、と笑うと、
「正直なやつだ。アイ、なるほどお前の言うとおりだ。愉快な男だな」
「恐れ入ります」
うやうやしく頭を下げるサーラム。アイは複雑な気持ちで二人を見ていた。つい昨日まではサーラムのことを考えると幸せな気持ちになれた。
だが今はエルのことを考え、エルのそばで彼女を見つめることこそ幸せだと思うようになっていた。もちろん、だからと言ってサーラムのことを嫌いになったわけではないのだが。
別れ際、サーラムはアイに声をかけた。
「午後にでも昨日の御代を取りにうかがうとネーナさまにお伝えください」
アイとエルは昼前に商館に戻ると、抜け道を逆にたどって部屋に戻った。どうやら二人の脱走は誰にも気づかれなかったらしい。
ただ、ネーナのところにサーラムが代金の取り立てに来ることを告げに行くと、不審そうにこう言われた。
「あんた、なんで伝言なんて出来るのさ」
「なんでって」
「朝からエルの旦那と部屋で一緒じゃなかったの?」
「え」
ネーナはああそうか、とつぶやいて、
「あのエルって男、寝起きが悪いんだ? それで暇になって市場に遊びに行ってたのね」
あいまいな笑顔でネーナの追及をかわすと、アイは軽い昼食を用意して伽の間に持って行った。小麦粉を練って二度焼きした菓子と濃い甘いお茶。二人は肩を寄せ合うようにして同じクッションに身を預け、甘露を啜った。
エルは、ああ、と嘆息すると、
「何年かぶりで穏やかな心持ちになった。礼を言うぞアイ」
「もったいないお言葉です。わたしもエルさまとご一緒できて楽しいです」
「うむ。おぬしは良い娘じゃな。その一言で救われた思いがする」
「大げさです」
「大げさなものか」
エルはアイのおとがいに手をやり、顔を自分に向けさせた。
「おぬしの黒い瞳を眺めていると吸い込まれそうになる。黒曜石のように美しいな」
「エルさまの碧い瞳も素敵です」
それは二人にとってこの上もなく安らぐ甘いひと時だった。アイは自分が初めてすべてをゆだねられる人に出会ったことに気づいた。
この人だ、と思う。
出来るならわたしはこの人と一緒にいたい。この人と共に歩みたい、と。
だがそんな幸福なひと時は扉を叩く音に破られた。荒々しい音にアイはびくりと体を震わせ、反射的にエルから体を離した。
「誰か」
エルが鋭く誰何すると、扉の外の護衛が、
「ファーコン将軍閣下にございます」
「通せ」
部屋に入ってきた将軍は相変わらず鎧を身につけたままだった。だがその顔には疲労の色が見えた。
「エル様、報告が」
そしてちらりとアイを見る。
「良い。この者に隠しだては無用だ」
ファーコンは大きく息をついてから話しはじめた。
「ユーリアン帝国です、エル様」
7.に続く