5.館主ラミュー
翌朝、アイが目を覚ますと、部屋には誰もいなかった。昇る朝日を見ずに寝坊するなど久しぶりのことだった。
身繕いを済ませると、とりあえず仕事場である台所に行く。朝食の用意は一段落ついていたが、手伝おうとするアイを年下の子が、
「アイ姉さまは今日は休んでいいっておっ母さんが」
「バルボラ母さんが?」
「はい。ゆうべはしんどかったろうからって」
アイは何と言って行って良いか分からずに頭をかいた。
「なら、何か食べるものをお願い。お腹が空いたわ」
「夕べの残りの肉がありますけど、それでいいですか」
「うん、お願い。ナンに挟んでもらえる」
有り合わせの遅い朝食を台所の隅でとっていると、入り口からひょっこりと顔を出したものがいた。
「こんなところにいた。なにやってんのよ、アイ」
「ネーナ姉さま。おはようございます」
「おはようじゃないわよ」
ネーナはあきれて、
「やれやれ、なんだってあんた台所になんているのよ? エルの旦那にひっついてなきゃダメじゃない。情の薄い女だと思われるわよ」
「そうなの?」
「そのなの! ったく。で、どうなのよ、可愛がってもらえた? あのエルって男に」
アイはあいまいな笑みを浮かべて見せた。
「それなんだけど」
「うんうん」
興味津々のネーナに、
「あのひと、わたしに妹になれだって」
「いもぉとぉ?」
ネーナは顔をしかめて、
「なにそれ。夢見がちな乙女じゃあるまいし。あんたのこと妹にしたいって言ったの?」
「うん」
ネーナはすっかり興味を失った様子で、
「とんだ肩すかしね。その様子じゃあんた、何もなかったわね」
「さあ?」
「やーれやれ。あんたが指名されたときは流石にむっとしたけど。いまはハズレを引かなくてよかったと思うわ。あんな腰抜け男」
「あのひとのことを悪く言わないで。とっても優しいひとよ」
「あのひと、だって。いっぱしの女みたいな口をきくようになったじゃない」
そして、
「ああそうだ、あたし、あんたのことを呼びに来たんだったわ」
とつぶやくと、
「お館様がお呼びだよ、アイ」
「はい」
「ったく、返事だけはいつも素直なんだから。いつもの執務室よ。早く行きなさい」
「はい、ネーナ姉さま」
アイは残りのナンを口に押し込むと、大急ぎで台所を出た。
執務室では、ラミュー館主が太った体をソファに横たえていた。傍らの卓に置かれた皿の上には干した果物が山になっており、ラミューは太い指でそれらを摘んでひっきりなしに口に運んでいた。
「おお、来たなアイや」
「はい、お館様」
「うむうむ、夕べはご苦労だったのう。で、どうであった。ン? 可愛がってもらえたか。ン?」
ネーナと同じようなことを聞かれて、アイは内心辟易しながら、
「とても可愛がっていただけました。寝床の中で」
「そうかそうか。よしよし、気に入ってもらえたのであれば重畳」
ラミューはうれしそうに両手をこすり合わせた。
「あの、お館様、それで御用というのは」
「ン? おお、それよそれ。よいかアイよ、これからエル様の滞在中はずっとその側にはべっておれ」
「はい?」
「つまりだ、他の仕事はせんでいいからエル様のお世話をしろということだ。ご希望をなんでも聞いて、言うとおりにするのじゃぞ。一日でも長くこの紅砂城に逗留していただけるようにな」
というからには、エルはすぐに出発するつもりなのだろうか。アイは不安になって、
「あの、あの方たちも何処かに行ってしまわれるのでしょうか」
「そうじゃ。当然であろう。この紅砂城は砂漠の中継地じゃ。ひとは一時の休息に立ち寄るのみじゃ」
「・・・そう、ですね」
「ま、とはいえもう数日は居るじゃろうて。物資の手配やらなにやらあるでな」
「数日、ですか」
「うむ。ここに長く留まるものはおらぬ。知っておろう。ここに留まるはここで生まれ、ここで死ぬさだめの、わしやお前のようなものばかりじゃ。人は訪れ、そして去っていく。それこそが紅砂城の真理というやつじゃ」
意外に達観したラミューの物言いにアイは少しだけ感心した。が、
「とにかく、エル様一行はここに居る限りは金を落としていってくれる。連中、気前はいいのじゃ。軍資金だけは豊富じゃからな。有り金を残らずむしりとるくらいのつもりでお世話いたせ」
「はあ」
結局はお金なのか、とアイはがっかりしたが、口に出しては、
「わかりました。誠心誠意がんばります」
「うむうむ、心強いのう」
そして、
「エルどのは配下の者と軍議の最中という話じゃ。部屋で待っておればじき戻って来よう」
「はい」
「よいか。くれぐれも粗相のないようにな」
「はい」
6.に続く