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2.まかない頭バルボラ


 その朝は目の回るような忙しさだった。


 商館の台所では、いつもの倍の量の朝食を作るようまかない(がしら)のバルボラ母さんからの指示があった。


「さあ、あんたたち、気張って働きな! しばらくはまかないの量は二倍だからね!」


 太い腰に手を当てて、大声ではっぱをかける。


「しばらくって、お昼もなの、おっ母さん」


 下働きの子がそう聞くと、


「昼も夜もだよ。ここ何日かは忙しくなるんだからね。覚悟おし」


 アイよりも年下の少女たちがえーっ、と不満の声を上げる。娘の一人が、


「じゃあさ、わたしたちも二倍食べていいよね! 忙しくなるんならさ」

「もちろんだとも。その代わり、二倍働くんだよ」


 どっと笑い声が巻き起こる。バルボラはいつものように手をパンパン、と叩いて、


「さあさあ、口よりも手を動かしな。怠ける子はおしおきだよ。そのかわり働きがよかったら地下の『部屋(ルーム)』担当にしてやるからね」

「はーい」


 地下での仕事は荷物の整理や片付けといった雑用だったが、誰もがやりたがる人気の仕事だった。なぜなら地下はいつもひんやりとしていて、うだるような暑さの地上とは雲泥の差だったからだ。


 それに『部屋(ルーム)』と呼ばれる特別な一室の担当になると、商館の大人たちから読み書きそろばんなどの特別授業を受けることが出来た。


 下働きから抜け出して責任ある仕事を任されたいと考えている者には魅力のある仕事場だったのだ。毎年、将来性があると見なされた年少者が選抜されて、一定期間『部屋(ルーム)』担当になるのが通例だった。


 アイは煮炊きの火加減を見つつ、ここに来たばかりでまだ慣れていない年下の子たちの仕事も見てやっていた。なにかと器用なアイはいくつもの仕事を掛け持っていて、文字通り台所を走り回っていた。


 朝食は小麦のナンと乾燥野菜のスープを基本に、身分に応じて幾つかの段階に分かれていた。もっとも豪華な朝食は二種類の肉と芋をすり潰して油で揚げたものに、卵料理と甘いお茶がついていた。いつもならそれはお館様一人分だけだったが、この日は他にもう二人分を用意するように言われていた。


(きっと今朝見たあの二人の分だわ。兜に羽飾りがついてた。指揮官らしい二人は特別待遇なんだわ、きっと)


 料理が出来上がると、給仕係の男の子たちが次々に皿を運んでいく。そして最後の皿が出て行くのと入れ替わりに、今度は食べ終わった皿が運ばれてくるのだった。


 男の子の一人に聞くと、倉庫に五百人分のナンと、水を二樽運ぶように言われたのだという。


(あの兵士たちの分ね。やっぱり倉庫に隠れているんだわ)


 台所から出なくても、アイには今朝方の客人たちの姿がおぼろげに見えてきた。きっと何か密命を帯びた軍団が補給と休息のために立ち寄ったんだ。紅砂城は非武装中立国だから本来は許されない行為のはずだった。


 でもラミュー館主がじきじきに出迎えている。利に聡いお館様のことだ。きっとなにか儲けになる算段があるに違いなかった。


 朝の仕事がひと段落して、ようやくアイが台所の片隅で床に座ってナンとスープの遅い朝食を取っている時だった。


「アイ、ちょっといい?」

「なあに、ネーナ姉さま」


 台所に入ってきたのは美しく着飾った女性だった。柔らかなシルクのドレスは台所にふさわしくなかったが、彼女もほんの数年前まではアイと一緒に火床の係りをしていたのだ。


 食事の手を止めてアイは目の前に立ったネーナを見上げた。


「ちょっとお使いを頼まれて欲しいんだけど。あんた、これから市場まで行って来てくれない?」

「市場? でも、そろそろ昼食の準備を始めないといけないの」

「火床の心配はしなくていいよ。バルボラ母さんには話を通してあるから。あのね、サーラムの店から化粧品を買ってきて欲しいの」

「サーラムの」


 思わず弾んだ声で答える。


「そう。この前行ったときに夜用の鮮やかな色合いのが一揃いあって、それを今夜のもてなしで使いたいの。なんかね、急に歓迎の宴が開かれることになったのよ。だからお館さまからは特別きれいにしていろ、て言われたから」

「夜の準備を今からするの?」

「そうよ。女に磨きをかけるの」

「へぇ?」

「なんか特別なお客様らしいから念入りにね。なにしろ、」


 声を低くして、


「どうやらどこかの国の王族らしいの」

「へぇ!」


 朝のあの人たちのことだ、とアイは確信した。


「それでね、わたしの魅力で虜にして、取引を有利にしたいのですって」

「虜?」

「そうそう。ふふん、わたしの美しさにメロメロにならない男はいないからさ」


 と腰をくねくねと動かして踊って見せる。


「ネーナ、無駄口はおやめ」

「きゃっ、って、バルボラ母さん」


 いつの間にかやって来ていたバルボラは腕を組んで軽くネーナを睨んでいた。


「ちっさい子になんてこと言うんだい」

「あーら、背丈ならもうわたしと同じくらいじゃない。それにアイだってもう十二よ。何も知らない子どもじゃないわ」

「子どもだよ。まったく、いいかいアイ、ネーナみたいに男に媚びるようなマネはするんじゃないよ。お前はまじめな働き者だ。人間、地道に生きてりゃ道も拓けるってもんだ」


 ネーナはふふん、と鼻でわらって、


「嫌ねー、母さんったらわたしの若さと美しさに嫉妬して。いいことアイ、あんたも顔立ちはそう悪くないんだからさ、どっかでいい男を見つけるといいわ」

「またそんなことを、この子は」


 しかしネーナはバルボラの言葉を無視して、


「ふっふーん、もしわたしがどこかの王様に見初められたら、こんなところ抜け出して王妃にだってなれるのよ。商館で台所仕事をしていたわたしがさ」

「ばかなこと言ってないではやくお行き。あんたも奥で仕事があるだろうに」


 ネーナはふわりとドレスの裾を翻して、


「わかってますよーだ。じゃアイ、頼んだわよ」

「はい、ネーナ姉さま」


 そしてネーナは踊るような軽やかな足取りで台所を出て行った。


 バルボラは大きくため息をついて、


「やれやれ、あの子も悪い子じゃないんだけどねぇ」


 アイはナンとスープの入った椀を持ってぼんやりとネーナを見送っていた。バルボラはああ言うけれど、アイは陽気なネーナのことが好きだった。


「アイ、ぼうっとしてるんじゃないよ」

「あ、はい」

「さっさとお食べ。ネーナのお使いがあるんだろう」

「はい」

「お前は賢い子だから分かっていると思うけど。男に頼るようじゃいけないよ。自分で考え、自分の足でしっかり歩ける女におなり。そうすりゃどこでだって生きていける。たとえ紅砂城の外でだって」


 意外な言葉にアイはまじまじとバルボラの顔を見た。「紅砂城で生まれたものは紅砂城で死ぬ」そう言われて来たのだから。


「なんだい、その顔は」

「あ、いえ、なんでも」


 ふっと真顔になってバルボラは言った。


「いいかい。この世には確かなことなんて何もないんだよ。お前も地下の『部屋(ルーム)』担当になった時に教わっただろ。この城の成り立ちと紅砂漠の伝説を」

「はい」

「あれをお伽話と思っちゃいけないよ。永遠不滅のものなんてありはしない。そうさ、ネーナの若さと美しさだって同じことさ。ほんの二十年後を考えてごらん。そうすりゃネーナだってあたしのようになるさ」


 そしてポン、と太ったお腹を叩いてみせる。アイは、昔バルボラ母さんがものすごい美人で、お館さまのお気に入りの愛人だったらしい、という噂を思い出した。


 黙ってしまったアイに、バルボラは、


「あんたにゃまだ早い話だったね」


 そうつぶやくと、いつもの顔にもどって、


「さっさとお食べ。仕事は待っちゃくれないよ」


 アイはナンをスープに浸して柔らかくすると、急いで口に入れた。



3.に続く

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