その為に選んだのだから
「——ひとまず、2人は今日はこのホテルで過ごして」
1度、荷物を取りに帰ってから。
俺は家を出たあと、念の為に少しだけ歩くようにして、家から離れた場所で湊さんの車に回収してもらって、乃愛と一緒にホテルに着いていた。
「明日からはウィークリーのマンションを借りて、そっちに移ってもらう形になるかな」
「分かりました」
「わたしも念の為にこのホテルの別の部屋を取ってあるから。なにかあったら呼んで」
「……湊さん。迷惑をかけてごめんなさい」
乃愛がすっかり弱り切ったような声で呟く。
きっと、ストーカーへの恐怖と、それによって周りに迷惑を掛けていると思っていることが、どうしようもなく辛いのだろう。
そんな乃愛を見た湊さんは、これまで通りにふにゃりと柔らかく笑って、乃愛の頭に手を置いた。
「おじょーさまが悪いとか迷惑だなんて、誰も思ってませんよー。だから安心しておねーちゃんに任せておいてください」
「……ん」
頭を撫でられている内に、乃愛の顔がほんのわずかに安堵したように緩む。
それを確認した湊さんは、乃愛の身体を軽く俺に預けてくる。
「じゃあ、あとはよろしくねー。ゆーひくん」
「はい。任されました」
すぐに腕にしがみついてきた乃愛を連れて、俺は部屋の中に入った。
特になにも変哲のないホテルの部屋を見回し、息を吐き出して、俺はいつもより柔らかいトーンを意識して、乃愛に話しかける。
「ベッド、どっちがいい?」
「……窓際」
「了解。なら、俺はこっちね」
ひとまず、自分の荷物をベッドの側へ移動させた。
それから、乃愛へと向き直る。
「とりあえず、どうしようか?」
「……お腹、空いた」
「じゃあ、カップ麺でも食べよっか」
ここに来るまでに、あらかじめコンビニに寄ってもらって、飲食料を色々と買っておいたのだった。
乃愛にどれがいいかを確認して、お湯を沸かし始めると、
「……優陽くんも、巻き込んでごめんね」
乃愛の悔恨に満ちた静かな声音が耳朶を打った。
その声に乃愛の方を見ると、俯いてこっちを見ていない。
「俺は巻き込まれたなんて微塵も思ってないよ」
乃愛の前にしゃがみ込んで、顔を覗き込むようにしながら、続ける。
「湊さんが、引いてもいいラインを用意してくれたのに、そのラインを踏み越える判断をしたのは俺自身なんだから」
「でも……!」
「でもじゃないの。乃愛の気持ちも分かるけどさ」
俺だって、自分が相手を巻き込む立場になってたらどうしようもなく罪悪感に駆られていたと思う。
「乃愛はなにも悪いことしてないでしょ? ただ、友達と遊んでただけだし、乃愛が責任を感じないといけない部分なんて1つもないんだよ」
悪いのは全部こんなことをするストーカーだ。
俺になにが出来るか分からない中で、それだけは断言出来る。
「ありきたりな言葉だけどさ、起こったことよりも、これから自分たちがどうするかを考えよう?」
微笑んでみせると、乃愛は唇をきゅっと噛み締め、こくりと静かに頷いてくれた。
(よかった。気休め程度にはなれたみたいだ)
正直、どれだけ前向きな言葉をかけようと、現状の事態がなにか好転するわけじゃない。
それでも、心が折れてしまったらそれこそおしまいだ。
今、俺がやらないといけないことは無責任に大丈夫なんて口にすることじゃなくて、乃愛の支えになってあげることだ。
その為に、俺はワガママを通して乃愛の傍にいることを選んだのだから。
「よし。とりあえず、ご飯を食べよう。話はそれから」
「……ん」
ちょうどお湯も沸いたことだし。
それから、お湯を注いで3分待って、俺たちはカップ麺を食べ始めた。
「……わたし、カップ麺って初めて食べた」
「そうなの?」
「ん。わたしの家には昔からお手伝いさんがいたから。こういうの食べたことない。美味しい」
美味しいものを口にして、気持ちが安らいだのか、乃愛の顔に少しだけ覇気が戻ったように見える。
けど、すぐにまた表情が曇って、俯きがちになってしまう。
「……優陽くん。わたし、これからどうしたらいい?」
これから、か。
俺は食事の手を止めた。
「……まずは、引退配信の延期をファンに言わないといけないと思う」
「……ん」
乃愛も食事の手を止めて、箸の先を見つめる。
でも、多分、本当に箸の先を見ているわけじゃない。
見ているのは、もっと別のなにかだ。
(心が痛いけど、なにが出来るか分からない今だからこそ……)
やらないといけないことを少しずつでも見つけて、それをやっていかないといけないんだと思う。
「それから、このことを皆に話すかどうかだ」
「……わたしは、これ以上誰かを巻き込みたくない」
「……そっか」
俺と湊さんを巻き込んでしまったと罪悪感に駆られている乃愛なら、そう言うよね。
俺だって、きっとそうすると思う。
でも。
「俺は、皆に話すべきだと思う」
「え……? な、なんで……?」
「考えてみてほしいんだけどさ。もし、ストーカーされてるのが乃愛じゃなくて、芹沢さんだったとして、相談されずに秘密にされてたらどう?」
俺の問いかけに、乃愛は口を噤む。
けど、すぐに俺の言いたいことに気が付いたらしく、ハッとする。
「……抱え込んで、相談されなかったことに傷付いて、悲しくなって、怒る」
「うん、そうだね。力になれなかったこと、頼られなかったこと。それは相手にとって、なによりも悲しいことなんじゃないかな」
俺だったら、それが1番悲しい。
もちろん、相談されたところで俺にはなにも出来ないかもしれないけれど……友達を助けられる位置にすらいられないなんて、悔しくて頭がどうにかなりそうだ。
だからこそ、それが嫌で俺は今、乃愛の傍にいることを決めたのだから。
俺の接してきた、自慢の友達の皆だって、絶対にそうするはずだから。
「もちろん、本当にどうするべきかは乃愛に任せるよ」
俺がどう言ったところで、決めるのは乃愛自身でしかない。
「わたしは……」
「大事なことだからゆっくり考えて。巻き込まないのも、相談するのも、どっちを選ぶのも勇気がいることだと思うから」
「……ん」
乃愛は頷いて、無言でカップ麺を啜り始める。
それから、なにも言わないまま、ひとまずシャワーを浴びる為に浴室へと姿を消した。




