架空飲食店レポート
今日は、きさらぎ駅前の食堂セントラル街にあるカレー屋に来た。
創業は五年ほどとなるが、店の佇まいは半世紀もかくやといった年季を感じさせる。
恐らく、居抜き物件なのだろう。
さて、そんなことよりカレーだ。
無類のカレー好きである筆者としては、店の歴史とか店主の人柄とか、ぶっちゃけどうでもいい。
メニューはラミネートされた紙ペラで一枚。
飲み物のメニューは無く、ただ、鶏、豚、牛の三種の肉と、それぞれに普通と辛いの二種の辛さ、ご飯の小、普通、大の選択肢があるだけだった。
各席にはスプーン、フォーク、福神漬、らっきょうの酢漬け、醤油、ソースと一通り揃っている。
着座すると、店主が空のコップと、氷と八分の一カットされたレモンが二つ入った水のピッチャーを持ってきた。ここからはセルフらしい。
「注文は?」
店主が尋ねる。
そういうシステムかと理解した筆者は、今日はとりあえず全種コンプが目的だったので、小サイズで全種類を頼んだ。
すると店主は――
「野菜乗せますか?」
と、聞き馴染みのない質問をした。野菜? はて、ジャガイモなどはトッピングということだろうか?
しかし、それならトッピングとしてメニューに乗せればいいのに。
筆者は困惑したが、郷に入りては郷に従えとも言うし、とりあえず全部に乗せてもらうことにした。
筆者が答えると――
「ドレッシングはかけますか?」
またまた謎の質問が来た。
トッピングのジャガイモや人参などの野菜にドレッシングをかけるというのか?
少し悩んだが、ここは先程と同じ理屈で「はい」と答えた。
ちなみに、ここのライス小サイズは茶碗すり切り一杯。普通は二杯。大は四杯なのだそうだ。
ということは、小で頼んだ筆者には、ひょっとしたらルゥの海に浮かぶ小島のような盛り付けで来るのだろうか?
少しウキウキしながらよく冷えたレモン水を啜って待つと、それはやってきた。
「ん?」
それは一面薄い緑色をしていた。正確には、薄緑色にオレンジの線が引かれていた。
出された皿には一面、ドレッシングのかかったキャベツの千切りが乗っていたのだ。
いや、千切りの隙間からカレーのルゥの色が見える。
しかし、ご飯は見えない。
ま、まぁとにかく食べてみるかと、筆者はスプーンでキャベツを少し退けると、たしかにカレーはそこにあった。
まず筆者が掘り当てたのはどうやらチキンらしかった。肉は大ぶりにカットされた鶏ももがゴロゴロと入っている。
色は少し乳白色が混ざっていて、生クリームかココナッツミルク、はたまたヨーグルトが入っていると見える。タンドリー風だろうか?
しかしご飯が見えない。
もしやと思い、スプーンを皿の底まで沈めて掬ってみると、白いそれがようやく顔を出した。
ご飯は皿の底に敷いてあり、その上全体にカレールゥがかかっていて、ダメ押しとばかりにキャベツが乗っているのだ。
隣で野菜まで全て大盛りを頼んでいた、常連と思われる男に皿が運ばれてきたが、目を疑った。
山になっていた。キャベツの山だ。肝心要の大盛りカレーも全く見えない。男はそれを喜々として受け取り、慣れた手つきでスプーンでキャベツとカレーを混ぜ始めた。
ああ、そういう風に食べるのかと、筆者はこの店の流儀を教わった。
隣の男に倣い、筆者もカレーを下から掬い上げ、キャベツを下に潜り込ませ、まるでビビンバでも食べるかのようにかき混ぜた。本当にこれはカレーなのだろうか?
まぁこの際、見た目はともかく、味だ。
鶏肉とキャベツ、そして溶けかけの玉ねぎを混ぜ込んで掬い上げ、口へと運んだ。
筆者の普段のレポを読んでいる人ならばお分かりだと思うが、あれが効いているだの隠し味はどうなのと理屈っぽいことを分析屋っぽく並べるのは筆者は嫌いだ。たまに魂からそういうのがポロッと出てきてしまうことはあるが、基本は美味いか不味いか。口に合うか合わないか。筆者が伝えるのはそれだけだ。
故にただ一言。
「美味い」
筆者はそう言わせてもらう。
ぶっちゃけこれがまだ普通の辛さなのか辛口なのかは分からないが、これを基準値とするのならば、かなりレベルが高いと言わざるを得ない。
何だこれと思ったキャベツも食感と甘味が程よい。ドレッシングは有っても無くても良いかもしれない。
これに福神漬やらっきょうはむしろ異物ではないかとも思えるが、キャベツ無しで頼んでいる人には必要なのだろう。
現状、そんな客は見当たらないが。
一皿目はあっという間に無くなってしまった。
次いで二皿目。今度は迷うこと無くキャベツとカレーライスを混ぜ始める。
さっきよりも色が濃い。そしてまた鶏肉だった。
これは辛口? それとも……。
二皿目と対戦開始。
同じくらいの旨味が来る。やはり美味い。違うことといえば――
「うおっ、来た。かっら!」
辛い。これが辛口。そう、舌と脳が伝えてきた。これぞ辛口、これが辛口だと。
自然と鼻水と涙が出てくる。
水を煽るとレモンの風味が口の中を爽やかにするが、辛さは変わらない。
ふと、壁の張り紙に目が行った。
『辛さも楽しめ』
牛乳などの辛さを抑えるものは頑として出さないという店からのメッセージだろうか。
だが、端から筆者はその辛さのために来たとも言える。仮にメニューにあったとしても、ラッシーや牛乳などを頼むということはしなかっただろう。
熱さではなく、辛さでハフハフとしながら辛口チキンカレーを平らげた。
新しい水を一杯飲み干し、もう一杯注ぎ、次の皿へと視線を向ける。
残り四皿。いずれもキャベツが乗ってどれがどれなのか分からない。
宝探しのようであり、ロシアンルーレットのようでもある不思議な感覚だ。ワクワクする。
よしコレだと、皿の中を混ぜる。
さてさて次は――お?
豚バラ肉だ。それもゴロゴロと塊で入っている。この店の肉はどうやら大きめで入れるらしい。
色は普通の一般的なカレーの色だ。これはひょっとしてと、一口口に運ぶ。
「うん、やっぱり普通の辛さ! 美味い!」
さっき辛いのを食べたお陰か、こっちがむしろ甘口にも思えてくる。しかし美味い。
めちゃくちゃオーソドックスなカレーの味をしている。何の奇も衒っていない、一般的なお家カレーといった味わい。実家のカレーを思い出す、どこか懐かしさまで感じる。これがこの店の本来のベースなのだろうと確信を持って言える。
言い忘れていたが、この店のカレールゥは、どれも粘度高めのドロドロ系だ。
小サイズだったこともあり、飲み物のようにするりと平らげてしまった。コレだったら普通サイズでも欲しかったかも知れない。
郷愁のようなものに少し後ろ髪を引かれながら、次の皿を混ぜる。流石に四皿目となると慣れたものだ。
ん、色が濃い。そしてコレまた豚だ。これで残ったのは牛だけということになる。
では、如何に――
「うぉおおお! さっきよりも、さっきよりもガツンと――」
辛い! 鶏の方はいくらかヨーグルトか何か、乳製品で辛さが抑えられていたと分かった。これがこの店本来の辛口!
涙と鼻水に加えて、今度は汗が吹き出てくる。
水ではもはやどうにもならない。これはキャベツが倍は欲しい。それくらいキャベツの自然な甘さが舌に恋しい。
「店主さん、キャベツを追加で貰えませんか?」
「追加は普通盛り五十円、大盛りなら百円だよ」
「普通で」
「あいよ」
キャベツの追加を頼み、少し待つと、小皿で小山になったキャベツが目の前に置かれた。
筆者はいそいそとポークカレーの皿に投入し、再びかき混ぜ、それを口に運んだ。
まだ辛い。が、これくらいならば全然イケる。キャベツ様々だ。
牛乳やラッシーなど頼まないと前述した筆者に対し、読者の皆様はキャベツの追加注文をしたことに思うところがあるかも知れないが、はっきり言おう。それはそれ、これはこれだ。
文句ばかり言うそんな君たちはキャベツバンザイと三回唱えたまえ。
唱えたかな? では次だ。
残った牛肉のカレーだ。
この文面だと残り物のように見えるが断じてそうではないと申し開いておく。
さぁ辛いか普通か、どっちを取っても当たりで大勝ちなババ抜きのようだ。
いざと、皿をかき混ぜる。
これまたゴロゴロと肉が入っている。脂身が少ない。もも肉だろうか?
色味は辛口のポークカレーと同じくらい。もしかして辛口か?
ではと一口。
「う、うわ、うわうわうわ……」
肉が、柔らかい……。
そしてそして恐ろしく高級感のある味わい。
こんな町中華の居抜き物件のような店で、突然高級ホテルのレストランで出てくるようなビーフカリーがお出まししてきたではないか!?
いや、見た目は完全に黒一色のビビンバなのだけれども。
小サイズカレーで唯一、千円という価格設定なだけはある。普通盛り千五百円、大盛り二千円は妥当だと言えるだけの味だ。
ジャンキーで家庭的だった今までとのギャップがすごすぎて胃がびっくりしてしまう。
少し間を置こうと筆者はここで水を煽り、これまで全く手につけていなかった福神漬やらっきょうをつまんだ。
「ふぅ……よし、行くか」
見た目だけジャンキーな高級カリーに再び挑む。
「うわ、うまぁ……」
声が漏れる。これを食べて声が漏れない人はよっぽど食べ慣れているか馬鹿舌だと声を大にして言える。
これだけのために毎日ここに通っても、片道七百円は安い。
しかし、これに至ってはキャベツはいらなかったかも知れない。
口惜しく感じながらも匙は進み、瞬く間に完食してしまった。
そして最後の一皿、恐らくこれは牛の辛口だろう。
ワシワシと高級な味わいのカレーをキャベツとご飯とで混ぜに混ぜる。もはやここまで来ると一種の儀式のようにも感じる。
それでは――
「うまぁ、柔、……から……辛い! 美味い! から……うま……」
カレーを貪るだけの怪物へと成り果てる過程を読者の皆様にお見せしてしまったのはとても心が痛む。
だが仕方がないのだ。辛さと美味さが渾然一体となったこの一皿を前にして、人としての体裁を保つことなど不可能なのだから。
さて、閑話休題だ。
辛さは豚の辛口ほどではないが、鶏よりは辛い。二種の中間といった感じだ。
普通の方で感じた、「キャベツ要らなくね?」感は鳴りを潜めた。しかし豚ほどキャベツを欲するような辛さではない。
じんわりと汗が滲み出てくるような後から後から効いてくる辛さが食欲を増進する。
どこぞのスナック菓子ではないが、やめられない止まらない。
口の中でホロホロとほどける牛肉の肉本来の甘みが、まるでしぐれ煮を食べているような錯覚を起こす。
皿を舐め取るほどの勢いで、これまたあっという間に完食してしまった。
流石に六皿も食べると腹はきついものなのだが、あまり重く感じない。
レモン水を飲み干し、客足の落ち着いてきた店内で、最後に店主にインタビューをする。
「ご馳走様でした。とても美味しかったです」
「おう、どうもどうも、お粗末さん。いい食べっぷりだったよ」
「少し美味しさの秘密みたいなものを差し障りのない範囲でお答えできませんでしょうか?」
「秘密も何も、凝ったことはしてないよ。レシピ全部言ってもいいぐらいだ」
「ええ!? いや、流石にそこまでは……」
「大丈夫大丈夫。何でも聞いてくれ」
「ではお言葉に甘えまして……。まずお肉なんですが、特に牛がとても柔らかくて、とてもいい肉を使ってらっしゃるのでは?」
「いやいや。普通の輸入の牛モモだよ。一晩玉ねぎのすりおろしとパイナップルジュースに漬け込んでるんだ。だから柔らかい」
「なるほど。では、豚や鶏は?」
「鶏は、ブルガリーの無糖ヨーグルトに赤缶のカレー粉混ぜたやつで漬け込んでて、豚はカットしたのを一回焼いてるくらいだな」
「ブルガリーヨーグルトに赤缶とは、かなり庶民的ですね」
「そうだよ。全部スーパーで買えるやつだ」
「ええっと、じゃあカレーの味を決定しているルゥなんかはなにか秘密があるのでは?」
「無い無い、そんなもん。だってあれ、業務用の大容量フレークタイプのルゥだもん。それにくくまろの中辛混ぜたのがベース」
「ええ……じゃあ、辛口は?」
「あれ? あれはシルバーカリーのバリ辛よ。ジャマの極辛も試したんだけど、シルバーの方が好きだったからそっち使ってる」
「え、えーっとぉ……。ビーフカレーがすごく高級感があって特に好きだったんですけど……」
「ええ!? そうかい? 嬉しいねぇ。ハネンツのデミグラスソース缶と一本五百円くらいの赤ワイン入れてビーフシチューっぽくしてんだけど、そのお陰かね? やっぱ、なんだかんだ言われても、大金はたいて研究し続けてる企業様の調味料が最強だわなってことですな!」
「そ、そう、ですね……。ありがとうございました……えぇと、美味しかったんでまた来ますね」
「おう、今日はありがとうね! またどうぞ!」
ええと、というわけでレポートを終わります。
何も言うな。何も……。
――以下、所在地、営業時間など――
きさらぎ駅を降りてすぐ (きさらぎ駅には改札、出口は一つしか無い)目の前の食堂セントラル街に入り、左手三件目の赤い暖簾が目印のお店。
暖簾にはカレーと白抜きでシンプルに書かれている。店名はなく、ただカレー屋とだけ名乗っている。
営業時間は午前十一時からで、ルゥが無くなり次第営業終了となるが、定時は十九時だそうだ。
味は間違いないものだから、騙されたと思って食べに行ってもらいたい。
おっと、電話番号を忘れていた。番号は――
■■刂ー竇シ樊□□クだ。お昼時は忙しいのでそこはずらしてかけてもらいたい。
『編集部からのお願い』
このレポートの受診後、当編集部記者『■鮴■ズツ■――氵刂ヘ■――孺コリ (0010101FA)』との連絡が途絶えました。
きさらぎ駅は、編集部含め、所属記者のいずれも実在を確認できず、現在足取りを追うことも不可能となっております。
警察にもすでに捜索願を出しております。
恐れ入りますが、取材の過程で顔馴染みとなったご店主様方や、記者のご友人、ご親族の方による情報提供をお待ちしております。
この記事を世に出すかで我々は苦悩しましたが、一つでも多くの手がかりになればという思いで掲載に踏み切りました。
再三のお願いになりますが、些細なことでも構いませんので、情報提供をよろしくお願いいたします。
――編集部一同より
架空の街と分かりやすいようにと『きさらぎ駅』を使い、最初は架空の店だけど実際にありそうな料理のレポートだけを書くつもりだったのですが、せっかくの『きさらぎ駅』なんだからと魔が差したためにこうなりました。