魔女リリベル・アスコルトの景色
ふと、城での出来事を思い出した。
私の魔力を目当てに、どこかの国の兵士たちが私を捕まえてこの牢屋に閉じ込めていた時のこと。
毎日のように私で愉しむ男たちは、昼を知らせる鐘が鳴ると一斉に牢屋から出ていく習性があった。
食事か休憩か分からないが、大方その辺の用事だと思う。
ただ1人、ヒューゴという名の彼は必ず残っている。
彼は、男たちが出ていくと私にかけられた轡を外してこう言うんだ。
「傷の手当てをしろ」
男たちは私に考え得るあらゆる攻撃を仕掛けてくる困った人たちなのだ。
手足を折ったり、顔を焼いたり、肉を削いだり。もちろん男たちの性のはけ口にもなってあげた。
彼らもきっと日々の生活で大変なことがあるのだろうと、一切の暴力行為については仕方なしと思っていたが、ヒューゴ君は違っていた。
私が何か危害を受ける度に、彼の顔はいつも何か言いたげな険しい表情をしていた。実際、男たちに文句を言うのだけれども「ただの牢屋番風情が何様だ」と文字通り一蹴される。
文句と腕っぷしが両立していれば格好もついたのだけれど、彼はひどく弱かった。
男たちが去った後は、私だけでなく彼もボロボロなのだ。
そのため、彼の言う通りに自分の傷を治すついでに、彼の傷も治してあげることが日課になっていた。
それで、余計なことを言わなければ殴られないのにと忠告したこともあった。
「お前が死ぬと俺が責任を負わされて、下手したら俺も死ぬかもしれないんだ」
彼は黒髪で皺もない若さの人間。
確か年齢は19歳と言っていたか。私より5、6年ほど差がある。立派な大人だ。
筋肉はあるにはあるのだが、他の男たちと比べてしまうとどうしても見劣りしてしまうような体格。
ヒューゴ君は優しいのだ。
私がどんなことをされても死なないということを彼は知っているのに、男たちに文句を言う。
それがとても興味深かった。
もちろん、男たちの中にも私への危害に対して、何かしら思うところがある奴もいた。
ただ、思っているだけで口も手も出さない。それもそのはずで、魔女を庇う奴がいたらその人間は頭がおかしい。
この世界で魔女は畏れられる存在だから。
この世界に災厄を振り撒いたとされる黒衣の魔女。
彼女は世界に病気を振り撒いた。
彼女は世界に争いの種を振り撒いた。
彼女が通った後は、文字通り草も残らない。
最も古い歴史から黒衣の魔女は存在していて、最も古い人間たちは彼女を恐怖していた。
年月を経るにつれて人間たちの歴史の記憶が薄れていき、やがては魔女を畏れず利用しようとさえする者も現れるようになったが、それでも決して魔女に心を許す人間などはいない。
誰も彼もが黒衣の魔女に植え付けられた恐怖が血に刻まれているからだ。
もし魔女である私を庇えば、魔女の味方をする奇人として人間の集合体から外されることになる。
運が悪かったら魔女狩りとして処刑される。
だからヒューゴ君は頭がおかしいのだ。
彼は魔女である私に恐怖しているのに、それでもなお私を人間として扱おうとする。
それがとても興味深かった。
そして今、彼はこう言った。
「正当防衛とはいえ、町人を既に何人か殺してしまった。いや、殺させてしまった。俺はこれ以上彼らに傷付いてほしくないし、お前に彼らを殺させたくないんだ」
ヒューゴ君は、罪のない人間が死ぬことを嫌う。
ヒューゴ君は、彼自身の力量が原因で私が人を殺すことを嫌う。
ヒューゴ君は、自身に命の危機が迫っていると言うのに、自身の良心が傷付くことをひどく嫌う。
それがとても興味深かった。
「正直に言うと、これから永遠にとは考えていないが、――お前の騎士になる」
恐怖の対象となっている魔女である私を怒らせるかもしれないのに、少し怯えた顔をしながら正直に本心を伝えるヒューゴ君。
それがとても興味深かった。
「だから、力を貸してほしい」
この興味深いという感情がいつしか私の頭の中を埋めていって、彼を私の傍に置きたいと思うようになった。
今この時も『興味深い』は増え続けているから若干困っている。
彼の願いに対して私はこう言った。
「うん。力を貸すよ。ただ、私からも君に願いたいことがあるんだ」
彼は緊張した顔で、私に続きの言葉を促してくるのだけれど、その様がとても面白かった。
面白いけれど、可哀想だから間は置かずに伝えてあげることにした。
「これからはリリベルと呼んで欲しいな。リリィでもいいよ」




