エザフォスとアギレフコ
「いっそのこと月を壊そうよ!」
リリベルが突拍子も無く、気の狂ったことを言い出す。
だが、これだけ想像を超えた桁違いの異常事態を脱するためには、気の狂ったことの1つや2つやってのけないといけないのだと思った。だから、俺はリリベルに賛成した。
「馬鹿なことを言うな……。第一、月を壊したら、夜は暗闇になるぞ」
「暗闇になるだけでしょう? それでこの地に住む全ての者が、この先も生き永らえることができるというなら安い犠牲だと思うよ」
夜空に月が無くなるなんて、今まで想像したこともなかった。
頭の中で想像する夜空に浮かぶ月の絵は、いつも静かに光輝いてこの大陸を照らしていた。それが無くなれば、彼女の言う通り、この世界の夜は正真正銘の闇に包まれることになるだろう。
リリベルの言う通り、それでも死ぬよりはマシだと思った。
「月は白竜の魔力によって作られた物だろうね」
「言うなれば、月は、この世界で最も大きな魔力石だね」
「だから、私が月の魔力を使って魔法を放てばいいのさ。月自身に向けてね」
リリベルは続けて俺たちにそう提案した。
なるほど、言い換えれば確かにあれは魔力石だ。魔力石だと思ってしまえば、ただの日常の道具だと思ってしまえば、少しは気分が楽になった。
「しかし、月に魔力が残っている状態で月を壊そうとすれば、中にある魔力はどうなる?」
「中に入っている魔力がそこら中に飛んでいくと思います。もしかしたら大地に降り注いでくるかもしれないです……」
シェンナの問いにダナが冷静に仮説を唱えた。
しかし、リリベルはその問題に対しても、顔色を変えずに笑顔のままで答えた。彼女はいつも見る仕草をする。両手を腰に当てて、ふふんと鼻を鳴らす仕草だ。
「私は、黄衣の魔女。魔女の中でも1、2を争う程の魔力量を操る魔女だよ」
「私が月の魔力を全てこの身に吸い上げて、搾りかすとなった月を破壊してみせよう!」
小さな魔女の心強い宣言に、2人はたじろいでしまった。
だが、その後すぐにシェンナが単純な疑問を呈する。
「で、月へどうやって行くんだい?」
と言っても現状手段は1つしかないだろう。
「棘の生えたドラゴンに連れて行ってもらおう」
まるで、子どもみたいに無邪気で無謀な提案をするリリベルだったが、俺は否定しなかった。なぜなら、俺もそうなるだろうなと思ったからだ。
シェンナは口を開けたまま黙ってしまっている。
ドラゴンと今日初めて会った俺にとって、ドラゴンが人間や魔女などに対して、どう接するのかは分からない。もしかしたらドラゴンが大人しく背中に乗せて月まで送ってもらえないかもしれない。
だが、少なくとも会話できることを俺は知っている。白いドラゴンを倒そうとする棘のドラゴンと、月をこの地に堕としたくない俺たちとの利害はきっと一致するはずだ。交渉の余地はあるだろう。
「話をするには相手の名を知っておいた方が良いだろう。名前は知っているか?」
俺はリリベルに棘の生えたドラゴンの名を尋ねた。俺の順応振りにダナは未だ唖然としていて、シェンナは「参ったな」と苦笑いをしていた。
「ふむ。えーっと、確か……」
リリベルは人差し指を自分の唇に当て、あちらの方向を向いて考えたのち、あっと声を上げて思い出したことを口にした。
「棘の生えたドラゴンの名はエザフォス。ちなみに白いドラゴンの名はアギレフコだね」
「何だか月をぶっ壊すことで話が進んでいるようだけれど……」
「怖かったら地上で待機していても良いのだよ?」
カチンと言う音が聞こえた気がした。多分悪気のないリリベルの素直な一言が、シェンナに眉をひくつかせたと思う。
だが、彼女はあくまで冷静に取り繕った。
「アギレフコって言ったっけ? 私とダナはあの白竜に月を意識させないように、地上から援護する」
「なるほど、それなら任せるよ。あ、地上に戻ったらエリスロースに声をかけてくれ。協力してくれるはずだよ」
シェンナは軽く頷いて、部屋の出入口から顔を出して外の様子を窺った。手で合図して、全員が部屋を後にして結晶の道に躍り出る。
谷の端と端を繋ぐ橋の役割をしている結晶の塊から空が望めるが、相変わらず巨大な月が白い輝きを放っている。
大地との距離はもう僅かにしか見えない。
地上にいた時に巻き起こっていた、空へ吹き上げるような風が今ここでも感じ取れる。良く見ると地上付近にある石段の破片や、松明、オークの武器などが風に乗って、月へ向かっていた。月の強大な魔力によってあらゆる物が吸い込まれて行っている。
もしかしたら月の魔力に身を任せていれば、俺たちも風に乗って簡単に月に辿り着くのではないかと思ったが、待っている間に大地が無くなっていたらたまったものではないので、その妄想は心にしまっておくことにした。
「さすがに足場がこれだけ光っていれば、目立つよな……」
シェンナが剣で奥の通路を差すと、オークがこちらへ走って来ているのが分かった。明らかに俺たちの方へ向かって来ている。
オークたちの走りを見たリリベルが結晶の床に手を付いて目を瞑って集中し始めると、結晶の光が徐々に失われていき、代わりにリリベルの身体の周りを稲光のようなものが走り始めた。同時に俺やシェンナの髪の毛は逆立ち始めて、なんだか手先がピリピリと痺れるような感覚がやってくる。
「初めて見た。こんな膨大な魔力を一度に扱える者がいるのか……」
シェンナはリリベルに対して、驚きを超えて最早尊敬の念とも言える目線と口調で話していた。
今までの彼女の使っていた魔法の中で、魔法を使う前から周囲に影響を及ぼすようなことはあまり無い。初めてかもしれない。
彼女は一体どれ程まで魔力をその身体に溜め込むことができるのか気になった。俺が彼女に教わった話では、人に流れている魔力管に溜め込める魔力は、そう多くないはずだ。それなのに、彼女はそこら辺の人間が束になっても敵わない程、魔力をその身に吸収し続けている。白く輝く結晶は、あっという間に輝きを失って、霞みがかったような不透明な結晶と化している。
『赤雷』
いきなりリリベルが詠唱した。
多分、雷の衝撃で鎧の中の俺はしばらく大変なことになるのだろうな。そう思いながら、兜の縦に入った隙間から目の前の谷間を見つめていると、幾つもの赤い閃光が彼女の近くから発せられる。
赤い閃光は谷の横に突き出た通路を見事に破壊し、オークたちの進路を失わせた。驚いたのは俺の想像よりも音が小さかったことだ。いつもであれば、しばらく耳が誰かの手で塞がれたようになって音が聞き取り辛くなるが、今はその様子がない。それでも五月蝿いには五月蝿いが。




