人間の養殖場と屠殺
6本腕の人間もどきはじたばたと動きながら俺の方へ突っ込んでくる。
走って逃げて鉄柵の道の十字路を右に曲がる。人間もどきは行き過ぎ去るのを止めるために、鉄柵に手をかけて速さを調節し、俺と同じ道へ曲がってきた。
長い身体を気持ち悪くうねらせる様はまるで蛇のようだ。
『ファイア!』
走りながら後ろを見ずに炎の魔法を当てると、人間の叫び声が聞こえた。炎は効くようだ。
まだ回復魔法で身体を完全に癒やしている訳ではないので、身体が少し痛む。
鉄柵内にいる家畜化された人間たちは皆俺たちへ視線を向けていて、尋常ではない恐怖を俺に植え付けている。今は柵内で大人しくしているがジャンプすればすぐにでも飛び出してこれるだろう。もしそれで人間もどきに加勢されたら多勢に無勢だ。とてもではないが太刀打ちできないだろう。
炎の魔法を連続で詠唱して人間もどきにぶつけると、その場で炎を振り払っている姿が見えたので、更に追撃する。
無我夢中で炎の魔法を詠唱し続けた結果、人間もどきは火の塊となって動きを完全に止めた。
大きな火柱となって周囲を煌々と照らしている。
この世界にはあんな悍ましい化け物がいるのか。
この鉄柵に囲まれた人間たちも含めて、初めて見るこの世界に恐怖と動揺が止まらない。
アレがオークと仲良くやっている光景を想像できないのだが、一体あの人間もどきは何のためにここにいたのだろうか。
松明で照らしながら、暗がりの奥へ進んで行き上を目指すが、どこもかしこも人だらけだ。
柵内を四足歩行でしとしと歩く人間たちを見ると、とても同じ生き物には見えない。
餌らしきものがバケツに入っているのか、手で中の物をすくって食べている者がいた。それは蝿がたかっていて、とてもではないが、俺が平気な顔をして食べられる物ではない。
ある者は、バケツの餌が空になっているのか柵内にいる他の人間を食い散らかしている。共食いだ。
飛び出た中身を食い漁る様は、凄惨で凄まじい吐き気を催させる。
爪を全く切っていないであろうその手は、軽く撫でただけで肉を切り裂けそうな程に、鋭くなっている。その手で相手を容易に狩ることができるのだろう。
「言葉は分かるか?」
もしかして言葉を返してくれるのではないかと思って、話しかけてみたが近くにいた者から一斉に俺に視線が集まるだけで、後は何も起きなかった。
俺に彼らを助ける勇気は正直湧かなかった。彼らを人間として見ることはできない。
それに可哀想だとは思ったが、彼らを救うには俺の掌は余りに小さすぎる。
オークにとっての食糧という認識しかないから、そう思ってしまっているのだろうか。
だとしたら俺も大分残虐な人間だな。自虐を込めて鼻で笑ってしまう。
しばらく歩いていると壁に突き当たったので、今度は壁に沿って歩き始めてみた。
すると石を削ってできた階段を見つけた。これで上へ行ける。
上の階にオークがいるとも限らないので、慎重に石段に足をかけて1歩ずつ音が出ないように登っていく。
しかし、途中で俺の足が何者かに掴まれて引っ張られる感覚を覚えた。
恐る恐る後ろを振り向くと人間もどきの腕が、俺の足をしっかり掴んでいて、俺に笑顔を見せていた。
心臓が止まるかと思った。
「ウヴォアアァァ!!」
笑顔のまましゃがれた叫び声で、俺を無理矢理階段から引き摺り下ろしてきた人間もどきは、腕をがむしゃらに振り回して俺を殴りつける。
だが、対処法が分かるだけ気持ちは軽い。
炎の魔法を人間もどきが動かなくなるまで詠唱し続けた。
倒した頃には詠唱するために叫びすぎたせいか、息切れ激しく肩で息をするしかなかった。
炎の塊を眺めて完全に動かなくなったことを確認してから、再び階段を登ろうとした時、ふと奥の方に人間がいるのが見えた。
柵内ではなく通路にいる。
これだけたくさんの鉄柵の囲いがあるのだから、1人ぐらい脱走しても不思議ではないと思った。
だが、通路にいる四足歩行の人間に近くに、今まさに鉄柵に手をかけて登りつめた人間がいるのが見えた。
その内鉄柵が揺れて、金属が擦れる音がいたる所から聞こえ始めたので、見える範囲のあらゆる鉄柵を観察してみると、どこもかしこも鉄柵の外に出ようとする人間だらけであった。
なぜ彼らはいきなり行動的になったのだろうか。
俺は床に倒れた炎の塊となった人間もどきを視界に映して嫌な予感を覚える。
まさか、今倒した人間もどきたちがここを管理していたのか?
俺が番人を倒したせいで、彼らは安全が確保されて逃げ出そうと思い至ったのだろうか。
俺が再び顔を上げるといつの間にかたくさんの人間が、柵の外に出ていて俺をじっと見つめていた。
「まさか、攻撃してこないよな?」
言葉を理解しているとは思えないが、願うように彼らに問いかけてみた。
だが、返ってきた答えは否である。
人間もどきと同じように、獣の雄叫びを上げて一斉に4足で俺の方へ走り込んでくる。
6本腕の人間もどきなんかより遥かに足の速い人間たちは、あっという間に俺のもとへ辿り着き、尖った爪を突き立て始める。
黒鎧を纏っていなかったら、既に彼らの餌になっていただろう。
必死に炎の魔法を詠唱して、まとわりつく人間たちを引き剥がそうとするが、次から次へとやって来てキリがない。
視界の端には、俺を無視して階段の先へ行こうとする人間もいた。
彼らは空腹を満たすために、餌を求めてこの部屋から脱走してしまった。
まずいな。
オークたちはあの強靭な肉体があるから良いが、リリベルたちには被害が及ぶ可能性がある。
はからずしも人間もどきを倒したことは悪手となってしまった。
幸い襲ってくる人間たちはあくまで人間だ。大した食事も与えられていないから、強く振り払えば取り付く彼らを退けることはできる。
しがみつこうとする人間を、炎の魔法や蹴ったり殴ったりすることで退けて、階段の先へなんとか進む。
次の階へ上がると、そこは明かりで十分に照らされていて周囲の光景を見渡しやすかった。
手に持った松明を石の床の上に捨てて、剣を抜く。
俺の後ろからは絶えず人間が湧き出ていて、俺を食べようと襲う者もいたが、ほとんどはその先へ向かって行った。
自分が襲われているのにも関わらず、俺は目の前にある光景からしばらく目を逸らすことができなかった。
下の階層は家畜化した人間がいた。それだけでも信じ難い事実だったが、その上の階層は更に信じ難い事実だ。
ここにも人間がたくさんいた。
だが、ここにいる人間はどれも女ばかりで、下の階にいた者よりも少しは血色が良い。
最も特徴的なのは皆一様に腹が膨らんでいることだ。下の階でも腹を膨らませていた人間はたくさんいたが、膨らみ方が異なるように感じる。
その腹の膨らみ方は病気とかではないと思う。
腹の中に人間がいるような膨らみ方だ。
ここは人間の養殖場だ。
下からやってきた腹を空かせた人間は、その血色の良い人間たちを食らい、腹が満たされている人間は、性欲を満たしたり、あるいは同時にことに及んでいる者もいた。
部屋の奥に見える谷の外からは爆音とオークの叫び声。この部屋には誰かを襲おうとする獣の雄叫びと、女や子供と思われる悲鳴。それらがいくつもいくつも混じり合って耳に入ってくる。
「ここは地獄かよ……」
無意識に呟いてしまったが、多分、この場にいる誰にも俺の言葉は理解できないのだろうな。
何とも言い難い虚無感に感情を支配されながら、俺は自分に噛み付いたり爪を立てたりする人間を屠殺した。
俺は、久しぶりに俺の心が壊れていくのを実感した。