優しさと殺し合い
遺跡の奥へ歩くと谷側の音が聞こえなくなって、右手に持った松明と黒鎧の擦れる音だけが聞こえる。
鎧に身を包むと鞄ごと鎧の中に収まってしまうので、胸に息苦しさが生まれてしまう。もちろん我慢するしかない。
遺跡自体は大して深い道のりではない。ドラゴンがいる最奥の祭壇まで、分かれ道もなく一本の道で辿り着く。
罠といった類のものはないので、道を一歩一歩確認して歩く必要もない。
そのため、俺はできるだけ早足で歩く。リリベルのもとへ早く行きたい。
祭壇の手前にある大きな部屋に到着すると、松明の明かりが2つ見えた。
明かりに気付いて急いで部屋の入口前の壁を陰に隠れるが、遅かった。オークの叫び声がこだまして、鎧の音がこちらへ近付いてくる。
右手に松明を持ったまま、空いていた左手で黒剣を掴み取る。
どうせ松明の明かりで俺の位置はバレたも同然だ。オークの鎧が上下する音が至近まで聞こえたら、飛び出して足か腕を切って戦闘継続できないようにしてやればいい。
そう物事は上手くいかないものである。
今が絶好のタイミングだと思って飛び出したまではいいが、既にオークが剣を横振りしていて、俺は剣を構える暇も無く吹き飛び壁に叩きつけられる。
壁に叩きつけられた衝撃で一瞬目を瞑ってしまったが、次に目を開けた時にはオークの腕が俺の首元を掴んでいた。俺は黒鎧を着込んでいて普段よりも一回りも二回りも大きいはずなのに、容易くオークの手は俺の首を掴み取っている。それ程オークの手が大きいし、体も大きい。
俺が掴まれている腕に剣で刺そうと頭で思いついて行動に移す前に、既にオークは俺を反対側の壁に投げ飛ばしていた。一体どれだけの腕力なのか、軽々と俺を宙に浮かせるその筋力には感服する。
いや、感服している場合ではない。
このままでは反撃される前に殺される。
吹き飛ばされた衝撃で松明は落としてしまったが、剣だけは何とか離さなかった。
リリベルの魔力で、物理攻撃にもある程度の耐性がある黒鎧だが、そんなことはまるで関係ないと言ったような背中の痛みを感じさせる。
この黒鎧をもってしても、一瞬で走る命の危機に冷や汗が止まらない。
何でもいいから剣を振って距離を取ろうと、思い切り腕を振ったが、既にオークは俺の剣の間合いの遥か内側に迫っていた。
強靭な脚力であっという間に距離を詰めていた。今まで訓練していた剣術はまるで使い物にならない。
オークは俺の両腕を掴むと、膝で思い切り俺の胴体を蹴り上げる。
鎧の防御を超えた衝撃が俺自身の腹に伝わり、呼吸ができなくなる。
2度、3度と連続で膝蹴りを胸当てに当てるオークの速さに俺はまるでついていけない。
鎧が中々壊れないと思ったのか、今度は俺の左腕に狙いを変えて、両手で思い切り腕を捻じ切ろうとしてきた。
腕当てが今まで聞いたことのない軋み音を上げている。多分、腕当てが壊れたら、その勢いのまま俺の腕が捻じ切れるだろう。
取れた腕って『ヒール』でくっつくのか?
くっつかなかったら洒落にならない。
『ファイ……ア!』
右手でオークの顔に向けて炎の魔法を放つ。
顔に当たったのだが、全く怯みもしていない。
しかし、目を瞑っていたのか、一瞬だけ腕を掴む力が弱まったので、俺は左手に掴んでいた剣を離して右手に持ち替え、オークの腕に突き刺す。
魔力で作った剣だけあって、俺の腕力でも突き刺すことはできた。包丁で肉を刺した時の感覚と少し似ている。
オークは悲鳴を上げて俺の腕を離したので、すぐに俺はオークとの距離を取って黒剣を持ち直す。
落ちた松明の明かりに照らされて、刺された腕を抑えるオークが見える。
今度こそ剣を構えて今度は、オークの足を切るために、力を込めて振り抜く。
しかし、突然頭に衝撃が走り、俺は後ろへ吹き飛ぶ。
巨大なハンマーが俺の兜に当たっていたのだ。
油断した。もう1人オークがいた。
床に仰向けに倒れ込んだ俺の兜にある縦に入った隙間の視界から、一瞬でオークの鉄靴に包まれた足が現れた。
俺は連続で何度も頭を踏みつけられる。踏みつけられる度に意識が遠のいている気がする。
剣で反撃しようにも、黒剣を持っていないことに数度踏みつけられてから気付いた。
必死に体勢を変えて、横に転がって避けようとするが、今度は左腕を片足で押さえつけられて、兜への足踏みが続行された。
もう1人のオークも加勢し、胴当てや腰当てをハンマーで叩きつけ始めた。腰当ての下のもも裏は防御が薄いため、俺が叫び声を上げるには充分な痛みを与えられた。
オークがハンマーを再び叩きつけて俺が叫び声を上げる前に、俺は炎の魔法を詠唱する。
しかし、一瞬動きが止まるだけで後は何も変わらない。
剣もないし、魔法も効かない。自力で押さえつけられた腕を脱する手段がない。俺の意識が無くなったら、おそらく黒鎧は無くなるだろうか。
もちろん生身になったら、俺は一瞬で死ぬだろうな。
いや、聞いた話だが、なるべく死なないように限界まで痛めつけてから殺すというのだから、すぐには死なないだろうな。
既に意識は薄れてきて、頭を抑える力も無く、オークの踏みつけに任せて頭や胴体が跳ねているのを実感している。
やっぱり俺はそこまで強くなっていはいなかったようだ。
口や鼻から何か出ているが、おそらく鼻水や涎と言った類ではないだろう。
鉄臭い。
『血飛沫』
俺の口や鼻から出た血が兜の外に流れ出て、針の形となるのが見えてから、すぐに視界から消えたと思ったら、オークの1人が先程までよりも大きな悲鳴を上げて離れた。
俺の左腕は解放される。
次は悲鳴を上げる声が聞こえるまま、今度は壁に何か柔らかいものを何度も叩きつける音が聞こえて、そのうちグチャグチャと言い始めた。
かなり大きく低く鈍い音で、水分が飛び散る音も聞こえる。
俺をハンマーで叩きつけていたオークは、叫んでいるオークを心配して見に行っているみたいだ。
攻撃がない。
やがて床に何かが倒れる音が聞こえる。
俺は必死に首を動かして音をした方を見ると、オークが一体倒れていた。
血の呪文が聞こえたが、未だに何が起きたのかはあまり理解できていない。何度も踏みつけられた衝撃で、頭の中が霞んでいるように思考が働きにくい。
それでも俺に背を向けているもう1人のオークに気付かれないように、松明の明かりでわずかに光る黒剣にどうにか手を伸ばす。
ハンマーを持ったオークが俺の方へ振り返り、鼻息をかなり荒くして唸っていた。
俺が殺したと思っているが、多分誤解だ。
ダナの古き仲間かもしれないと思って、オークをなるべく殺さないようにしようと気を使っていたが、それはやめだ。
もう本気で殺し合うことでしか、この場の争いを解決できそうにない。
『目的を果たして!』
黄衣の魔女の言葉ばっかり思い出して仕様がない。
目的のためには、殺さないという選択肢を捨てないといけない。
本気で、自らの意志で、俺はこの生きているオークを、殺すことにした。
どうにか動く右腕で黒剣を構えて奴を睨み、お互いに叫びを上げる。




