地下の秘密とは10
赤衣の魔女の治療を受け、すっかり元通りとなりつつある。
白髭の幽霊が再び現れることはなかった。
魂が魔力の塊だというなら、魂ごと燃やされてしまったか。
それか、幽霊は明るさや、生命力のある者を嫌うという話もある。
赤衣の魔女が登場したことで、幽霊が図書室の奥に引っ込んだ可能性はありそうだ。
兎にも角にも、七不思議の脅威は去った。
炎の魔法を多用するから赤衣の魔女と呼ばれている彼女だが、彼女は基本的な魔法の使い方を心得ている。
傷を治療する術もひと通り使用することができ、穴だらけの俺の傷を修復することも難はない。
彼女は片膝を突け、俺を治療してくれている。
治療してもらっている身でありながらこんなことを考えるのは失礼だが、魔女協会の長が片膝を突いて、魔女でもないただの人間である俺を、細かく治療してくれていることがどうにもおかしく映った。
更に失礼だが彼女は、見た目はともかく、中身がまともすぎる。
「なぜ、赤衣の魔女がこんな所に?」
まともな魔女に尋ねる。
少しは魔女らしい所を探りたくて、なぜ、地下の宝探しに興味を持ったのか聞いてみた。
「シュプリン先生に頼まれて来た」
「彼女に?」
「うむ、卿に助力するよう頼まれた。彼女には頭が上がらんからな、頼みを無下にはできん」
頭が上がらないという言葉が出てきて、増々魔女らしさのなさに磨きがかかる。
「頼まれただけで良くこの世界に来ることができたな。心から宝探しをしたいと思わないと、この世界に辿り着くことはできないはずなのだが……」
「正しく。行方知れずとなった生徒たちを救うため、卿を救うため、心よりこの世界に願い至った」
それなら、もう文句のつけようがない。
人を助けると心から考えて宝探しに行きたいと心から願って、この世界に来たのなら、聖人以外の何者でもない。
赤の他人のために、魔女でもない者を助けるために、何が起きるか分からない世界に気軽に足を踏み入れる者を、聖人と呼ばずして何と呼ぶか。
「時に卿はこれまでの実力を発揮できていないと聞くが、それは真か」
俺の身の上話を良く覚えているな。
ラザーニャには、真摯に応対した。
さすがに黒衣の魔女とリリベルと俺によって、世界が塗り替わっているとは、大それ過ぎているので濁したが、それ以外は正しく話した。
なぜ彼女は、それを今この場で問いを投げかけてきたのかを問い返した。
「卿が望むのなら、力を貸すつもりだ」
「魔女の呪いで、か?」
「正しく。付け加えるならば、卿の魔力を読み取ることができたなら、卿が我輩の炎に焼かれて死ぬこともなかろう」
どこかで似たような誘いを受けたような気がする。
今では懐かしい話だ。
「我輩が1人で地下に行き、皆を助けに行く。卿は安全な場所で待っているが良い……と、言って大人しく待つか?」
「そ、それは魅力的だな。だが、それは少し……」
「情けないか?」
「そうだな……」
赤衣の魔女なら後を任せても問題ないだろう。
だが、此方にも矜持と親の責任というものがある。事の発端はネリネなのだから、彼女に任せきりという訳にもいかない。
彼女が俺に戦う力を分けてくれるというのだから、非常に嬉しい話ではある。
ただ、断りを入れざるを得ない。
「申し訳ないが、それは受けられない。もし、受けてしまえば妻に怒られる」
「ならばこの場限りで呪いを結ぶが良い。ことが終われば呪いを離せば良い」
「魔女の呪いはそんなに簡単に解除できるものではないだろう。それに対価もある」
「それも安心するが良い。我輩の魔女の呪いは、卿が恐れるような対価を生まぬ」
一体どういうことか。なぜ、そんなに自信を持って言えるのか。
それを素直に聞けたら良かったが、呪いのことを話している彼女の表情を見てしまったら、言葉が出てこなかった。
ラザーニャ自身がかける魔女の呪いの効力に対する、評価の低さが気になった。
代わりにラザーニャの誘いを断る理由を述べることにした。
「黄衣の魔女は一時的にでも、彼女以外の呪いが俺にかけられることを好まないし、そして気付く」
「ううむ、我輩は夫婦の良しを知らぬが、そういうものなのか?」
「いや、恐らく彼女が特殊なだけだ……」
ラザーニャはどこか納得していないようなしかめた顔をしてから、あっと何かを思い付いた。
「仕方あるまい、ならばこの話は打ち止めだ。卿の傷の修復も済んだ。地下へ行くとしよう」
「ああ、そうだな」
傷はすっかり塞がり、痛みもなくいつも通り身体は動かせる。
ラザーニャに礼を言い、今度こそ東講堂まで行くため、図書室を出て廊下を歩き続けた。
「ここに来る前に、ネリネや黄衣の魔女の様子を見てくれたりはしたか?」
「直接会してはおらんが、シュプリン先生から伝手回って来た。卿の娘はまだ事に気付いておらぬ」
窓辺には水滴が付いている。
雨の到来を確信する。
「話は変わるが――」
「断る」
「……頑固者め」
先に牽制する。
どうしても俺に契約を結ばせようとするが、なぜそこまで彼女は頑なに呪いを結ばせたいのか。
何の気なしに聞いてみた。
「うむ……」
なぜか言い渋られる。
「……なぜ言い淀む?」
「い、言い淀んでなどおらぬ!」
なぜムキになる。
「我輩の炎は、加減が利かぬ。卿も子どもたちも巻き込むやもしれぬ。それを危惧しているが故に、卿に一時的な契約を提案しているのだ」
なるほど。
俺が彼女の魔女の呪いを受け入れれば、リリベルの時と同じようにの彼女の魔法の被害を極小化することができる。
だから、彼女は呪いを結んでほしかったのだろう。
そして、言い淀んだ理由も何となく分かった。
魔法を加減できないという魔女にあるまじき言葉は、彼女の口から出るには重い言葉だ。
魔女協会の長が言ってはならない言葉だと、彼女自身は思っているのだろう。
ムキになったかと思ったら、次の瞬間にはあっさり白状した理由は、判然としない。
判然としないが、想像を膨らませて勝手に理由付けさせてもらうとするなら、彼女の矜持よりも俺の身を案じているからだろうか。
そう思うと彼女の矜持を知らず知らずの内に傷付けてしまったことが、申し訳なく思えた。
だが、それでも魔女の呪いを結んだ先に、リリベルが悲しむ顔があると想像すると、どうしてもラザーニャの提案を呑むことができなかった。
ラザーニャの矜持とリリベルの矜持に挟まれて、苦悩の渦が湧き上がる。2人を納得させられる言葉が思い付かない。
「俺は不死だ。何が出てこようとも、構わず殺してくれて構わない」
捧げられるものは、ちっぽけな俺の命しかなかった。
当然と言えば当然だが、赤衣の魔女は呆れ果てたような表情で俺を見て「やれやれ」と肩を竦めた。
東講堂前の扉に辿り着いた頃には、外は滝のような雨が降り注いでいた。