星の魔女とは10
仰け反ったスターチスは再び此方へ向かって来た。
正確には向かって来ているのではなく、ラザーニャの炎に引き寄せられているのだが。
お陰で盾を何度も振り当てることができた。
スターチスは無言で吹き飛ぶ。
不気味だった。
盾が当たった時の音は、張り詰めた弦が弾け飛んだような奇妙な音だった。
星になろうとしているスターチスの世界と、凝縮した炎になろうとしているラザーニャの世界が、互いに互いの世界を押し付け合っている。
2つの世界の境界面に俺は立っている。
周囲の色を引き込みながら、黒の範囲は拡大していく。
黒に混ざり合おうとしないスターチスは、再び詠唱を始めた。
声は俺でもしっかりと言葉を理解できる速度のものと、早口なものとが同居している。
詠唱させまいと盾を押し構えるが、ラザーニャに制止される。
その必要はないと彼女は示した。
「ありがとう、ヒューゴ」
「この魔法は、古の魔女が編み出した魔法だ」
「他のいかなる魔法使いにも負けない、最も威力のある炎を生み出そうという下らない考えから作られた魔法だ」
「我輩は下らない魔法を放つことさえできなかった」
ラザーニャが背中から呟く。
どこが自虐的に自暴自棄に言い放つ。
「今は、できるみたいだな」
「自信がある。確信がある」
「結構なことだ」
「誰かを巻き添えにだってさせない」
「その自信はどこから?」
質問の答えは返って来なかった。
代わりに返って来たのはひと言の詠唱と、首に組まれた彼女の腕から胸を2度叩く動作のみだった。
『火』
黒だったものが一気に外側に放出された。
黒の先は赤色で染まり、空も大地も消し飛ばす瞬間が覗けた。
後には静寂と暗闇だけがやって来て、暗闇に何も出来ず困った辺りで世界に色が付いた。
再び視界が開けると、抉れた大地は浮いていて、直上の空は半分程が水で覆われている。
その巨大な水はいつまで経っても落ちてくる気配がなく、むしろ空へ舞い上がり続けているように見えた。
俺自身はというと、言葉通りに浮足立っていてどれだけ足を回しても着地ができなかった。
リリベルもラザーニャもそうだが、特定の魔法を極めてしまうと元の魔法が何だったのか最早分からない。
身体は重苦しい。
ラザーニャを背負っているからではなく、上下左右から何かに押さえつけられているような感覚に陥っているせいだ。
ラザーニャに声を掛けるが彼女の返事は依然として返って来ない。
しがみついていた手に力は入っておらず、今はただ背中に身体を預けているだけの状態だった。
肩に乗った彼女の顔を見やると、彼女は目を瞑っていた。
寝ている訳はないことを考えると、気絶していると思われる。
想像を現実に変える世界で、彼女の想像する自身の魔力の限界を迎えたからだろう。
「本当に、助かったよ」
聞こえていないだろうが、ラザーニャへ労いの言葉をかけてやる。
『闇夜に縦横駆く、雷鼓に秀宝咲く――』
心臓が跳ね上がる。
浮遊する大地や水に気取られて、真正面にいた魔女に気付かなかった。
薄紫色の毛先が曲がりに曲がった癖っ毛に、星のような形をした白い花でできた髪留め。
それらは半壊し、身体を炎上させていたが、まだ形を保っていた。
ラザーニャの全力の魔法でさえ、息絶えさせることは叶わなかった。
ネリネの想像力には参ってしまう。
娘はどれだけスターチスを最強に近付けてしまったのだろうな。
それでもラザーニャのお陰で、スターチスは明らかに弱まっている。
彼女が目を覚まして目の前の魔女を見て傷付かないように、俺が止めを刺す。
盾はそのままに、詠唱を始めたスターチスに近付こうとする。
『地に百が裂く、督脈が――』
「遅い、遅すぎる」
半壊した魔女を光が貫いた。
光だけが先にやって来て、光が終わった頃にはまた別の光が尾を引いて、眼前まで飛来した。
それはスターチスであった。
混乱に混乱を重ねて、目の前で起きた事象をどうにか頭で理解しようとして、考え付いた結果は、スターチスがスターチスを貫いたということであった。
星のような両の眼差しが目前に迫ったと思ったが、もうそこにはそれはいなかった。
ただ、言葉だけが遅れて聞こえた。
「とても興味深いから星に降り立ってみたらもっと興味深い者がいた呪いまみれの人間」
尋常ではない舌の回り具合で、1人の魔女から発されているはずなのに、別々の言葉で2重に聞こえた。
スターチスが真横に移動したことに気付いた時には、そこにはスターチスの形をした光だけが残っていた。
目に焼き付いてしまった彼女の顔は、2枚の舌で喋っている訳でもなく、確かに1枚の舌で喋っている。
「夢を見ているのか……? それともスターチスは元々2人いるのか?」
「現実、現実すぎるいいやスターチスは1人でしょ」
「殺しはしない少しだけ遊ぼうせっかく地上に降りて時間を進めたのだから」
とうにか聞き取れている。
どうにか聞き取れるように、スターチスは喋っている。
目に焼き付いた星の光が襲ってくるのかと思ったが、更なる光が目に焼き付いて、光同士が衝突した。
何かの攻撃だと思いつつ無意味に構えたが、少し勘違いをした。
スターチスが話していた相手が俺だったのか、それとももう1つの光だったのか分からない。
ただ、もう片方の光が敵ではないことだけは分かった。
その光は、見惚れてしまう程に折線を描いて、心臓を揺さぶる程の轟音を携えていた。
忘れようのない愛くるしい光だった。




