地下の秘密とは12
例え目の前にいるのが神だとしても、地獄の王だとしても、ネリネが想像したステルグラフだ。
本を書き記した者が、実際に地獄に辿り着き、ステルグラフを見て、何かの拍子に地獄から生還して、文書に遺した。
しかし、地獄の記憶を残したまま再び現世に生き返った者が、一体どれだけいるだろうか。
恐らく、本は妄想だと罵られ、誰にも信じられることはなかっただろう。
ただ、今はそのことに言及することもない。
問題は、筆者の情報だ。
どれだけ濃密な体験をしようとも、筆者が書き残したステルグラフは、その全てを書き切れてはいないだろうし、書き切れる訳がない。
俺が出会った他の地獄の王、アアイアやゼデ、ヤヴネレフ、ヴェッカたちは、残っている記憶だけでも濃密だった。
いざ本にしようと思っても、余りにも情報量が多すぎて書き切ることはできない。
それぞれの地獄の王が見せた力は、地獄を統一するための片鱗に過ぎない。
例えばアアイアなら、武器を集めて形にする力を持つが、その程度の力で地獄をまとめ上げることなどできはしない。彼等には、別の能力があることは明白だ。
だから、ネリネが読んだ本に書かれたステルグラフが、筆者が出会った時のことを正直に書いたか、筆者の誇張が入っているかが、この戦いの命運を分けると思った。
赤衣の魔女の鮮やかな炎が、広い室内を真っ赤に染め上げた。
熱く、我慢は利かない。
だが、死の恐怖を感じる程ではない。走って逃げれば何とかなると思えるくらいの炎だった。
それが万が一にも、生徒たちがこの部屋の隅にでもいないかを確認する行動であると気付いた次の瞬間には、部屋は大炎上した。
その空間にある全てを燃やし尽くそうとする意志を持った、大爆炎。
苛烈な熱波は一瞬で目を焼き尽くし、吸い込む空気全てが炎に代わり身体を中から破壊する。
火炎は流動し、燃やせる物全てを燃やすために、燃えてない箇所を執拗に狙い、焼き尽くそうとする。
炎に焼かれる苦しみを味わう暇がない。
俺は、一瞬で1つ前の混沌とした部屋に生き返り戻っていた。
ステルグラフと赤衣の魔女の戦いの一部始終すら覗く権利もなかった。
それでも赤衣の魔女は、扉を抜けて混沌とした部屋に吹き飛ばされていた。
彼女は生徒が妄想した菓子の家に頭から突っ込み、カラフルな瓦礫が彼女を生き埋めにしようと崩れゆく。
宝の部屋の炎は、彼女が吹き飛ばされたと共に鎮火し、嵐のような風が煙を伴って部屋に流れ込んでくる。
霧のように視界は悪くなり、部屋の温度が瞬く間に上昇していることは肌で感じ取れた。
一方のステルグラフは、部屋から出てくる様子はなかった。
あの身体の大きさで、扉を通過することができないこともあるだろうが、生徒たちの想像通りに宝を守る怪物の役割を遵守しているのかもしれない。
菓子の家まで寄り、瓦礫を取り除き赤衣の魔女を見つけると、彼女は目線だけをこちらに向けた。
無事なようでひと安心した。
「生徒たちは宝の部屋にいないことは分かったんだ。早くここから逃げよう」
手を差し出せば、彼女は真っ直ぐそれを手に取り立ち上がる。
その手は、俺が想像するよりも小さな手であった。
魔女協会の長の手にしては、汚れなく白く、普通の女の子の手であった。
そして、震えていた。
ごく僅かだが、寒さに震えるのを耐えているかのように、小さな震えが手を伝わった。
なぜ、震えているのかは俺にだって分かる。
部屋の奥に立ちはだかる怪物の攻撃を受け、彼女は恐怖している。
見た目こそ血は流れていないが、右足を庇うように左足を突っ張っている。平然を装って痛みを我慢し、顔だけは宝の部屋の奥から逸らさずにいる。
馬鹿げている。無謀だ。
怖いなら逃げれば良い。
死なない俺に全てを任せれば良い。
なぜ死の恐怖に直面して尚も、戦いの意志を取り下げないのか。
俺なら、もしリリベルから貰った不死の恩恵がなければ、さっさと逃げている。死なないで済む出来る限りのことをやって、それでも叶わないなら逃げる。
立ち向かわなければならないことが、リリベルに関していなければ、俺は卑怯な男にもなる。
「それは分からぬぞ。ここは生徒らが考えた世界だ。卿の持つ地図には書かれていない世界の存在もあり得るだろう」
そのような仮定の話をされたら、何とでも言って会話を切り抜けられてしまう。
逆に言えば、彼女はあらゆる可能性を絞り出して、生徒たちの死の可能性を否定している。
増々、赤衣の魔女が分からなくなる。
彼女の可能性を否定する気はなかった。
彼女の想像通りに、地図にはない宝の部屋の秘密がもし本当に存在して、それが生徒たちの発見に繋がるなら、俺だって万々歳だ。
だが、不確かな秘密を確かめに行くために、彼女が身を震わせる必要はない。
「それなら、まず俺が様子を見に行く。何も赤衣の魔女が先陣を切って……」
「何を言うか。先陣を切ってこその我輩だ」
震えて言うべきことではない。
彼女は背は高いが、思ったよりも身体は軽い。無理矢理脇を抱えて持ち上げてみたら、簡単に彼女を横に退けられた。
「無礼な輩だ」
「無礼で結構」
「全く……危険だと感じたらすぐに合図するのだぞ?」
俺の気遣いを無下にしようとしない所も、魔女らしくない。
「分かっているさ」
今度は俺1人で扉の奥へ進む。
赤衣の魔女が燃やし尽くしたはずの部屋は、なぜか綺麗なままであった。
ステルグラフは、宝を守るようにただただ動ずることなく部屋の中央に鎮座している。




