七不思議とは4
次の授業の始まりが近いのか、大きな池から続々と魚人たちが揚がって来た。
ずぶ濡れの身体でそのまま学舎に乗り込めば、廊下も階段も教室も偉いことになってしまう。
その回避策として学校は、薄い空気の膜を全身に覆わせる魔法石を魚人に携帯させている。
膜の内側に残った水分は保湿の役割を果たし、長時間の学校生活にも耐えられる。
水中生活を主とする魚人にとってだけでなく、学校の掃除を任されている俺にとっても良いこと尽くめの話だ。
「ヒューゴ先生、僕、昨日見ちゃったんです」
池から出てきた魚人の1人が俺の方へ駆け寄って来た。
魚人という種族特有の特徴だが、彼等は表情筋が人間と異なって少ない。
口の端が大きく切れて上側を向いているため、常に笑っているように見えてしまうが、それが彼等にとっての普通の表情だ。
人間やエルフ、ドワーフ等との半魚人であれば、表情は読み取りやすくなるが、彼等の感情を表情だけで読み取るのは中々難しい。
商人の国である先生ならば、読み取り辛い感情を読み取ってこそ一人前の先生であると、ケリー学長に伝えられている。
だが、どんなに頑張っても俺には、ほんの少しだけ右肩上がりの見た目で、彼がズーヒーという男の子であることしか判断できない。
先生は大変だ。
「ズーヒー、一体何を見たって?」
「礼拝堂の掃除をしていた時に……見ちゃったんです! お化けを!!」
ラルフとホプズコットがおおと色めき立つが、俺にはさっぱり響かない。
そして、なぜ出会って日が浅い俺に報告するのか。
「ズーヒー君、お化けは、一体どんなお化けだったんだい!?」
「ああ、ああ、肌は真っ青で、目はどす黒かったです……。椅子の端に座って、ゆらゆら身体を揺らしていました……」
魚人の肌色は主に青や緑系が多く、次いで赤みがかった銀色の肌がある。
だから肌は真っ青で、と言われても、違いが分からない。申し訳ないが分からない。
ちなみに礼拝堂の掃除も俺がやっている。
一応、魚人たちの聖域であることを考慮して、誰もいない時に掃除をしている。彼等に自主的に掃除してもらう必要はない。
とはいえ、彼等に掃除しなくて良いとは言い辛い。掃除は、彼等の信仰心と良心の結果による行為であって、それを止める提案は粋なやり方ではない。
「何かしてきましたか?」
「いえ、何もしてきませんでしたが……でも、ずっとぶつぶつ何かを喋っていて……超怖かったです」
「なるほど……ヒューゴさん、これは調べないといけませんね……?」
「お、俺がですか?」
なぜか3人とも当たり前に俺に頼み込んだ。
七不思議の謎の解明担当に、勝手にされている気がする。
七不思議の発生は昼には起きない。
決まって夕方か夜に起きる。
故に、それらの出来事は意図的だとリリベルは語った。
「本当に不思議なら、昼夜構わず起こせば良いのさ。それなのに、わざわざ夜にだけ現れて、皆を驚かせようとする。意図的で恣意的だね」
リリベルは背中にカルミアという背後霊をつき従えている。
行き先は図書室だ。
彼女はリリベルにはすっかり気を許しているが、俺には鋭い視線しか向けてくれない。
亡国ネテレロでの出会いの記憶はなく、カルミアとはこの学校で初めて出会ったことになっている。
変わらないのはリリベルを崇拝する気持ちくらいだろうか。
俺がカルミアに近付こうとすると、彼女は今にも罵倒しそうな眉間の皺寄せを露わにする。
「カルミア、多分君は俺のことを誤解していると思うのだが」
「触らないでください、変態……」
「へんたーい」
リリベルが合いの手で茶化してきたので、彼女のおでこを指で弾いて牽制する。
すると、カルミアの若さに任せた蹴りが、尻に直撃する。
「いでっ!」
「師匠に何てことをするんですか!」
まるでリリベルを守る騎士のようだ。
いやいや、俺が彼女の騎士だ。
すっかり、カルミアの俺に対する印象が地に堕ちてしまったようで、それ以降彼女は口を利いてくれなくなった。
図書室に入ってからリリベルは、読んだことのない書物探しと、ロイ・テルロイが書いたドロドロ愛憎劇の続きを読み始めた。
その間、カルミアは自分の読みたい本を別の書架から持ち出して、わざわざリリベルの隣に座って黙読を始めた。
本当は魔法についてリリベルに聞きたいことがたくさんあるのだろう。
カルミアはずっとそわそわして膝を揺すって、リリベルが暇になりそうな隙を窺っていた。
他者の感情の機微に鋭いリリベルが、カルミアの欲求に気付かない訳がない。
わざとだ。
なぜ、わざわざそんなことをしているのか。
恐らくだが彼女は、俺がリリベルにデコピンをして、そのことに怒ったカルミアが俺を蹴ったことに対して、怒っている。
意地底悪い魔女だ。
まあ、彼女が本気で怒っているのなら、隣にすら座らせないだろう。
本が読み終われば、彼女も許してくれるだろう。
カルミアのおかげでリリベルに近付き辛い状況なので、2人の用事が終わるまで、俺は図書室を散歩することにした。




