勉学とは4
ひと目見て彼女をカルミアと認識できたが、カルミアの方は俺をヒューゴだと認識した様子はなかった。
もし声をかけて、3姉妹のように不審がられて、騒ぎでも起こされたら良からぬ噂が立ちそうだったので、重ねて謝ってからその場を去った。
それでも、まさか彼女たちがここにいるとは思いもしなかった。
一体、どのような因果でフィズレの学校に訪れたのか、本人たちに聞きたくて仕方がない。
片方だけが相手のことを知っている状況は、こんなにもどかしい気持ちにさせられるのか。
リリベルがいた書架に戻ると、彼女は丁度本を読み終わっていて、本を元の位置に戻しているところだった。
「もう読み終わったのか? 早いな」
「まさか。じっくりゆっくり読み、明日への楽しみとして取っておくのだよ」
「続きが気になって眠れなくならないか?」
「それこそが読み物の醍醐味というものさ」
そんなものかね。
「それよりも、どこに行ってたのかな? 気になる本でもあったのかい?」
彼女は、この膨大な本棚で俺がどのような本に興味を示したのかに興味を持っていた。
ランタンの薄暗い灯りでも分かるくらい彼女の目は輝いていた。
本当は顔見知りと出会ったと伝えたかったが、彼女の期待を裏切るのも心が引けてしまい、1つ向こうの本棚に興味があったと嘘を吐いた。
当然、そんなことを言えば彼女は本棚を見に行ってしまう。
軽やかなステップで彼女が裏手に回って、適当な本を手に取る。
ランタンの灯りを寄越して、文字が見えやすいようにしてやると、やがて彼女は妖艶な笑みを浮かべ始めた。
「へぇ、意外とこういう物に興味があるのだね」
彼女の含みのある笑いが気になって、彼女の後ろから本の中身を覗くと、凄まじく下品な表現の文章が書き連ねられていることが分かった。
男と女が夜を重ねている状況で、物語の登場人物の一挙手一投足が事細かに書かれていた。
「紐できつく縛られた彼女の柔肌が盛り上がり、恨めしそうに睨みながらもこの先に起きることを期待するかのように、紐が上下……」
「読むな読むな」
「帰りに紐でも買って行くかい?」
「買わん買わん」
本をゆっくりと閉じて、元あった場所に戻す。それだけの行動なのに、彼女は指先で撫でるように本の背表紙をさすり、ゆっくりと振り返って本棚に背を付けた。
あからさまに男心をくすぐるための、精神攻撃を仕掛けてくる彼女の手を取り、早くその場を立ち去ることにした。
顔見知りのことを伝える気はすっかりなくなってしまっていた。
授業が終わったネリネを迎えに行き、彼女に初めての学校はどうだったか尋ねた。
「楽しかった!」
彼女は目を輝かせて言った。
たったひと言の感想でも、その中に多くの出来事と感情が詰まっている。抑揚と表情で、ありありと分かった。
彼女が初体験した授業は、文字の読み書きから始まり、簡単な数の計算、この国の歴史などであった。
基本的に年齢の制限はなく、受けようと思えばどのような年齢でも受けられる。
子どもたちと大人たちとで先生の教え方を臨機応変に変えているようで、手厚いと思った。
ただ、やはり商人の国というべきか、ネリネから詳しく聞いた授業の内容は、どれも端々で商人という職業に通じるような教えが織り込まれているようだった。
例えば剣術訓練の授業では、なぜ剣術を学ぶ必要があるのかという問いに対して、盗賊に襲われた際に持ち物を守るためだと先生は説いた。
建前では命も同じぐらい大事だと付け加えているが、その説明の本質は、持ち物という名の商品が命と同じくらい大事なものだと言っているようなものだった。
「先生の言葉を一言一句覚えているのか?」
「テストに出るから覚えてって言われたから、全部憶えたよ!」
「す、すごいぞーネリネ」
恐らくだが、ネリネは人間の覚え方とは違う覚え方をしている。
言葉を頭の中で思い出し反芻したり、紙に書き留めておく行動はしていない。先生から教えられたことを全て覚えているネリネという個体を、自らの願いによって形作っただけだ。
綺麗な書本はたった1度読んだだけで終わり、恐らく2度目に開かれることはないだろう。
彼女は、想像で現実を作り変えることができる子なのだ。
過程をすっ飛ばして結果だけを取得し、積み重ねた努力と経験による思考の裏付けを放棄する学び方は、学ぶ喜びを遠ざけている。
だから、家に帰ったら優しく彼女に説いてあげないとならない。
リリベルだって思い描いた予想の実践と、結果の回顧を行い、魔法技術を向上させている。彼女は学びも悦びとして取り入れ、その行動を享受しているのだ。
願えば何でもできる彼女にとって、それは難しいことではあるが、ネリネにもそうなって欲しい。
学校の敷地を出るまでに、ネリネの教育方法を考えながら歩いていた。その道のりで何人もの見覚えのある者たちを視界に入れていたが、その時は深くは考えが及ばなかった。




