感情の振動2
足早に鞘付きのナイフを買いに寄ってから、リッケルの屋敷へ戻った。
逸る気持ちを抑えきることは、どうしてもできなくて、屋敷の門をくぐる時には、息が切れていた。
リッケルにはあくまで状況の報告を目的として訪れた。
魔女の騎士として1度訪れ、顔を知られた俺のことを怪しむ者などいなかった。
「体調でも悪いのかな?」
「あ、いいや」
俺の顔色を見て言ったリッケルの、余裕そうな態度が気に食わなかった。
気に食わなかったが、繕っている丁寧な態度を崩す訳にはいかない。
まだ彼は、疑惑の人間だ。もしかしたら、野心を抱く彼の部下が1人でしでかしたことかもしれない。
冷静に。落ち着け。
「少し思うところがって、良ければ話を聞かせていただきたい」
「ほう。気になるな、何でも聞いてくれ」
酔いが回って言葉が崩れていることからも、彼が油断していることはありありと分かる。
商人としての能力が十二分に発揮されない状況になってくれるのなら、願ったり叶ったりだ。
「舌切り騒ぎを引き起こした魔女には協力者がいます。その者がこの辺りを彷徨いていたのを見たので、もしやうちの魔女に依頼した貴方を恨んでいるのではないかと……」
まずはリッケルの顔色を窺ってやろうかと思ったのだが、すぐに反応が帰って来た。
商人の風上にも置けない動揺の仕方だった。
少し声が上擦って、目線を泳がせて、酔いでたるんだ表情はすぐさま引きつり始める。
「予想では、その男は件の魔女か、また別の何者かに操られている可能性が高く、監視を行うかどうか黄衣の魔女と相談しているところですが、いかがでしょうか?」
「ふむ……そこまで君等に手伝っていただくのは申し訳ない気もするが……」
明らかに男に監視をつけることを嫌がっている。
一旦ここで引き下がれば次に出会うまでの間に、口封じに清掃員を殺すつもりだろう。
殺すつもり――しまった。
気配りが足らなかった。
迂闊だった。
言葉を誤ってしまったことに気付いたが、もう口に出してしまった。気付くのが遅かった。
恐らく何の罪もないであろう1人の男を、死なせるように仕向けてしまった。
確実に彼は殺されてしまう。これでは俺が殺したのも同然じゃないか。
リリベルに危害を加えた者という疑いだけで、俺は怒りと焦りで行動してしまった。
いいや、違う。もっと個人的な恨みだ。
俺は、リッケルがリリベルを馬鹿にするような言葉を吐き捨てた時点で、彼に対して殺意を持ってしまっていた。
だから、彼を殺す尤もな理由が出てきたら殺してやろうと考え、やはり彼が悪人だと分かると、ほら見たことかと心の奥底から悪感情を自由にさせてしまった。
こんなナイフまで用意して。
冷静にと努めていたつもりが、全く冷静ではなかった。
後先考えずにリッケルを問い詰めようとしたことが、どれ程愚かな行為か。
反省も自分を慰めるだけの行為に過ぎないと考えると、手の打ちようがない。
ここからどうすれば男を殺させずに済むか、思考を巡らせてみるが、彼が商人であるが故に、何を言っても疑問を抱かせてしまうことは明白だった。
疑問は不安を生み出し、恐れとなって清掃員の口封じに繋がる。
既に男が死んだような考え方をしている自分に、無性に腹が立った。
「そこが、君の良いところなのだけれどね」
ノックもなく、扉を開けながら喋り、主人の許可なく屋敷に侵入するという無作法の嵐を重ねたのは、リリベルだった。
「話の途中だと言うのに、いきなり私を君の膝から降ろすから、何かと思って付いて来てみれば、そういうことだったのだね」
「お、黄衣の魔女殿……!」
「やあ、リッケル君。私は駆け引きには余り興味がないから、単刀直入に質問させてもらうよ」
「な、なんでしょうか」
リリベルは両手を腰に当て胸を張り、少しだけ顎を上げてふふんと鼻を鳴らしてから、堂々と言い放った。
「君がしでかした悪事を、他の商人たちの前で洗いざらい吐くか、今ここで死ぬか、どちらが良いかい?」
優しい言葉で包まずに、真っ直ぐに殺すと言い放ったリリベルに、動揺しない訳がない。
もし、リッケルが白を切り通してしまえば、彼のことを悪く言ったリリベルはきっと悪人扱いにされてしまうだろう。
いくら他の商人から鼻つまみ者にされている彼でも、一応はこの広くて絢爛な屋敷を維持できる程の商人だ。
リッケルの言葉と金で、いくらでも悪い噂は立てられるだろう。
通常の国とは成り立ちの異なるこの国だからこそ、彼女は自由に行動できていたのに、このままではリリベルの立場が危うくなってしまう。
彼女が心優しい魔女であると宣伝していたからこそ、少しでも悪い噂が立てば、ああやはり魔女を信用するべきではなかったという心象を持たれてしまう。
魔女に対する恐れや嫌悪感を、遠い昔から代々その血に刻まれてきたが故に、どの種族からも魔女に対する印象がそもそも悪い。
低すぎる信頼感を元に戻すことさえ未だに難しいのだ。
だから、リリベルがここでリッケルに脅迫紛いの二者択一を迫っていることは、かなり危ない橋を渡っている状況と同じだ。
「黄衣の魔女、単刀直入が過ぎる。もう少し、優しい言葉を使って欲しい」
「これが、私が話せる1番優しい言葉だよ」
リリベルの機嫌が少し悪そうだ。笑顔で返事はしてくれたが、目は笑っていない。
思い当たる節を探していると、彼女との会話の最中に清掃員が移動を始めて、思わず彼を追ってしまったことを思い出した。
リリベルの代わりに、俺が彼女の言葉を代弁する体でリッケルに優しい言葉をかけようとしたが、察知したリリベルが即座に言葉を続けた。
「君の商人としての地位を奪うことを、死ぬことと指している訳ではなく、そのまま命が落ちることを意味しているからね」
彼女は、俺がかけた言葉の意味を理解しつつ、それでもリッケルへの脅迫を続けた。
はっきりと、私は貴方を脅迫していると言ってしまった。
「ま、待っていただきたい。一体、悪事とは何のことでしょうか!」
「全てだよ。今回のことだけでなく、君が後ろめたいと思うようなことを全部話すのさ。尤も、最初から人売りや殺人を後ろめたいことだと思っていないのなら、君が話すことは何もないけれどね」
「わ、私に後ろめたいことなど何1つない!! いくら舌切り騒動の恩があるとはいえ、余りにも無礼が――」
「君は、街を美化する彼と違って正気だね。正気だから聞くよ。舌は私たち魔女にとってそれなりに重要なものだけれど、君たち商人にとっては、一体どれ程重要なものなのだろうね」
直接的な表現をしないところに、手慣れている感じがして恐怖する。
リッケルからは、リリベルの表情はどのように見えていたのだろう。本心と表情とがほとんど一致しない彼女が、それらを一致させた時は大体怖い。




