振動世界8
彼は次第に怒り始めました。怒りたいのは僕の方です。
「ああ、駄目だ駄目だ駄目だ!」
ちょっと力が入ってしまって彼の服を破いてしまいました。
それで周囲の人だかりの中から1人の女性が割って入って来ました。僕たちが喧嘩をしていて、しかもそれが激しくなってきたので、止めに入ろうとしたんだと思います。勇気のある女性です。
「ちょっと落ち着いて! 一体何があったの!?」
「この方の様子がおかし――」
女性の顔を見て、彼女が正義感で動く人ではなく、邪悪な思想で周囲に凶を振りまく悪人だということが分かりました。
彼女は笑っていました。
余り健康的ではない顔色でした。貧民街に住む人ならあり得る顔色かもしれませんが、ここに住む人たちは僕が思うより元気な人たちばかりです。
直感です。嫌な予感を身体全体が伝えてくれました。
顔を見てから、匂いを嗅いでみました。今まで何人もの魔女と会って、魔女特有の匂いを知ったからです。その匂いと同じだったらということを、考えました。
腐ったドブみたいな、ずっと嗅ぎたくない最悪の匂いを放つのが魔女です。
魔法の研究かなんだか知りませんが、どいつもこいつも死体に触れ過ぎなんですよ。
女性はゆっくりと僕に近付いて、他の皆に聞こえないように、顔を見られないように、口の端をすごく上げて、羽虫みたいな小さな音で囁いてきました。
「勝手に治してもらっちゃあ駄目だなあ〜。それは私の舌じゃあないか?」
「……貴方のではありません」
「お? ん? 誰かと思えば、白衣の魔女じゃないか。それにお前、最近話題になっている魔女殺しかあ? 人相書にそっくりだなあ」
良く見ると男の方は立ったまま動かなくなっていました。もうオルラヤさんの方ではなく、女の方を怯える目つきで震えながら見ていました。
彼は自分の意志で舌を集めている訳ではなくて、この女に命令されてやらされている節がありそうです。
「白衣の魔女の邪魔をしないでください」
「は〜は〜は〜。邪魔をされているのはこっちなんだよなあ。領域に土足で踏んで回っているのはそっちなんだよなあ」
もし、ここで僕が女を殴れば、僕がこの国にいられなくなってしまいます。
黄金の杖を持った男が、いきなり女を殴り殺したなんて噂はすぐに広まると思いますし、顔も覚えられてしまうと思いました。
僕だけがこの国にいられなくなるのは平気ですが、僕の短慮でオルラヤさんの居場所がなくなってしまうのは避けたかったです。
攻撃してきたら殴り殺す。
僕は、それしか考えていませんでした。
「殴りたい? は〜は〜は〜。わざと声をひそめて話している意味は分かるかなあ?」
「……ふう」
深呼吸です。落ち着くことが大切です。
「で、貴方は舌を集めて何がしたい魔女なんですか?」
この女が1番聞いて欲しいことを聞いてみました。
魔女だから、喜んで答えるのは分かっていました。
「舌を集めて何をする〜? そんなの、最強の魔法使いになるために決まっているじゃないか」
まず、魔女だということが分かりました。
後は、なぜ舌を切るのか、その理由次第で殺します。
「偉く簡単な野望ですね。他の魔女は、意味が分からないことばかり言っていましたけれど、貴方のはまだ分かりやすいですよ」
褒めてないですが、女は嬉しそうでした。
拳に自然と力が入って、手を出す準備はできていました。
「魔法は言葉で、舌は魔力だからねえ。舌をたくさん集めたら、良い魔法が使えるんだよ。分かるう?」
「分かりません。他人の物がないと最強になれない魔女は、最強じゃないと思いますから」
わざと挑発して攻撃させようとしましたが、バレバレだったみたいであからさまな魔法を放とうとしませんでした。
その代わりに、魔女は口を開けて顎下まである長い2枚の舌を伸び出させてきたました。
物凄く気持ち悪いです。舌は継ぎ接ぎだらけで、顔の大きさに合っていないので、化け物にしか見えませんでした。
魔女は、僕にしか舌が見えないように、わざわざマントを広げて他の人たちに見えないようにしていました。
まだ、誰も彼女のおかしさに気付きませんでした。
「白衣の魔女は舌を治します。僕は貴方を彼女に近付けさせるつもりはありません。これ以上ここにいるのは無意味だと思うので、さっさとどっかに行ってください」
魔女は2枚の舌を再び口の中にしまい、それからマントを戻して指を左右に振りました。
「は〜は〜は〜。『歪んだ円卓の魔女』の舌を前にして、どっかに行く訳ないよお」
「それに、私は近付かなくても、戦えるよ?」
オルラヤさんに危害を与えると分かった時点で決めました。
『2枚舌』
この女は殺します。




