魔女リリベル・アスコルトの景色3
魔法防護壁の魔法は砂衣の魔女オッカー・アウローラの死の魔法を、抑えるのに有効であることが分かったけれど、完全に抑えることはできなかった。困ったね。
雨も止んで、列車の上は風を受けるだけになっていくらか目を開けていられやすくなった。
貨物車は残り3輌。未だに彼女を退ける方法は見つかっていない。
「意外と使えないな、きみ」
何だとこら。緋衣の魔女エリスロースが私に失礼なことを言うので、思わず雷を落としてやろうかと思った。
従者風の身なりに赤いフード付きのマントを羽織った彼女は、私の後ろから血の槍やら何やらを、砂衣の魔女に投げつけるが、どれも当たる直前で停止し、霧となって消えてしまう。
更に後ろの車輌には、何人もの人影が見える。多分いなくなった従者たちの残りだ。
「時間の無駄だ」
砂衣の魔女は、腐り始めた足場に飲まれて下へ落ちないように、1歩前へ進んで来た。
『瞬雷』
空から一瞬の閃光と爆音が砂衣の魔女目掛けて飛び散るが、彼女へ当たる直前で光は吸収されたかのように消えてなくなり、音は中途半端に途切れて消えてしまった。
「時間の無駄だと言っただろう」
彼女の魔法には範囲というものがある。
その範囲に一歩でも足を踏み入れれば、彼女の時間に囚われてしまう。
故にその範囲の外にいる限りは、彼女に攻撃されることはない。多分。
緋衣の魔女はどうやら冷静さを欠いていたようで、砂衣の魔女の領域内にまんまと入ってしまった訳だ。
今は私の後ろで援護をしてくれている。
次に試すは雷に鋭さを持たせることだ。
本来ジグザグに落ちる雷を、極限まで直進させることで速度を上げる。もしかしたら、砂衣の魔女の呪いを上回る速さなら、彼女に傷を付けられるのではないかと思った。
「エリスロース、ここから彼女までの間を血の霧で直線に描けるかい?」
彼女は「簡単だ」と言い、私の後ろから血を噴き出してきた。
『噴血』
血は私を越えて霧となり砂衣の魔女に向かっていく。
列車は最後尾の車輌にいる砂衣の魔女の呪いのせいで、後ろに引っ張られ速度を落としているが、それでも速度の風に乗って血の霧は素早く動いた。
やっぱり血は砂衣の魔女のすぐ手前で霧散した。
でも、彼女に当たらなくてもいい。私と彼女の間にこの血の霧があればそれで充分なのだ。
両腕を前に突き出して手を開き、魔力を掌に集中させる。
集中させた魔力をできる限り固める。泥団子を作るみたいに固めていく。固めた魔力を頭の中で描いた雷の魔法陣と繋ぎ合わせると、魔力は青い雷へと変化する。
掌の中で甲高い女性の悲鳴のような音が聞こえる。固めた雷の塊は、逃げ場を求めて必死に蠢いている。
ここまできたら後は簡単だ。
『蒼雷』
固めた雷から一ヶ所だけ穴を開けるように、魔力の集中を緩める。
すると緩めた先から雷が、堰き止められた川の水の如く飛び出す。
赤い霧の中をほぼ真っ直ぐに、甲高い悲鳴を伴う青い光が走り去っていく。
雷にも通りたい道があるみたいで、霧や雲を好むみたいだ。だからなるべく小さい霧や雲を作ってあげると真っ直ぐ飛んでくれるのだ。
掌の雷は一瞬で無くなり、青い悲鳴は砂衣の魔女に確かに当たった。
光が弾ける音がして、青い雷が周囲へ飛び散った。
しかし、彼女が倒れることはなかった。少しよろけただけで、後はいつも通りだ。
服は焦げてそこから見える胸には火傷の跡ができていただけであった。
彼女は自分の手を見た後、何度か握っては開いてを繰り返していた。多少は痺れていたみたいだ。
「痛みか。久しぶりに感じた」
格好いい台詞だと思って思わず、おおっと唸ってしまった。
『今日のお前は、昨日までのお前だ』
「あれ、ここはどこだ。何で私は列車の上にいるのだっけ」
砂衣の魔女が詠唱した後、私のすぐ後ろにいたエリスロースが素っ頓狂なことを言い出してくれた。
私が彼女の方へ振り向くと、彼女は私を見て驚いた。なぜここにいるのだ、この乗り物は一体何なのだ、などと私への質問をぶつけて止まらない。
「確か、フィズレとかいう国できみを探していたはずなのだが」
彼女のその言葉を聞いて、正直に言うと驚いた。
私は砂衣の魔女は、時間を遅めるか早めるかの魔法を使うものばかりだと思っていた。
けれど、彼女が時間を操る魔法を得意とするというこを考えると、これは記憶の時間を逆行させる魔法だ。
過ぎ去ったものを元に戻せるなんて、まるで神様みたいだと思った。
「すごい! 面白い!」
私は正直に砂衣の魔女を賞賛した。拍手もしちゃった。
彼女の魔法に興味がある。彼女の魔法を使えば、もしかしたらダリアを助けられるかもしれない。
だから、尚更殺してはならないと思った。と言っても、今のところ彼女を殺せるとは思わないけれどね。
「緋衣の魔女に当たったか。まあいい」
「お、お前は!? なぜお前がここにいるんだ」
「その問答は既に行った。くどいぞ」
私を挟んだ2人は会話にならない言葉の応酬を繰り広げていた。
砂衣の魔女は、1歩ずつ進むのではなく2歩、3歩と一気に詰め寄り始めた。どうやら本気で私たちを仕留めたいらしい。
彼女が歩く度に、足元の屋根は腐っていく。
「次は貴様だ」
私と目が合った砂衣の魔女は、緋衣の魔女に使った魔法を私にかけようとしている。
打つ手がないな。
仕方ない。死なないとしても、気付いた時にはお婆さんの姿になっていないことを祈って目を瞑る。
『今日のお前は、――』
「ぉぉぉぉぉおおお……」
何かの呻き声が聞こえる。
声の主はどうやら下にいるみたいだ。
これだけ風を切る音と列車の車輪の音が耳を占めているというのに、声はそれらを押しのけて割って入ってくるのだ。
「おおおお!!」
砂衣の魔女の足元が崩れ落ちて、剣が飛び出てくる。黒い剣だった。
元々彼女のおかげで屋根がぼろぼろだったこともあり、彼女の周りにある屋根や壁もついでと言わんばかりに崩れていくのが見えた。
無数の破片の中から黒い鎧が勢いよく飛び出てきて、砂衣の魔女のマントを掴んだ。
黒鎧が砂衣の魔女に近付くと、彼女の『魔女の呪い』によって飛び出す速度が遅くなっていく。黒鎧は形を保ち続けるも、まるで溶けるかのように表面が崩れて黒い霧が出ていた。
けれど、勢いがなくなっても、黒鎧が溶けても、彼が砂衣の魔女の服を掴んだことによって、彼と彼女の距離が離れることはなかった。
黒鎧は私の魔力が元になっていて、鎧には魔法防護の力がある。
だから彼女の時間に少し遅れはしたけれど、彼は追いつくことができた。
「馬鹿、な!?」
彼は、速度が落ちても止まることのない勢いそのままに彼女に頭突きをした。
ゆっくりとした頭突きなのに、砂衣の魔女から呻き声が聞こえた。初めての彼女の痛がる声だった。
私は、すぐにでも彼を援護しようと魔法を詠唱したかったけれど、できなかった。
私が負けると思って諦めたその時に彼が現れた、その瞬間を意識した時から、私の胸が痛くて痛くてとてもじゃないけれど詠唱に集中できないからだ。
幸いなことに砂衣の魔女は彼の頭突きの勢いを受けて、列車の外へ飛び出してしまった。これで砂衣の魔女を退けるという私の目的が達成された。
そのまま彼女は地面に叩きつきられて転がっていくが、すぐに立ち上がる姿が見えたので、死んではいないようで良かったと安心する。
彼女が列車から落ちたと同時に、列車がいきなり大きく前後に揺れる。彼女の時間から外れた列車が元通りの速さの時間になったからだろう。
私はその揺れによって、よろめき勢い余って前へ飛び出してしまい、砂衣の魔女と同じように列車の外へ飛び出しそうになってしまう。
「リリベル!」
けれど、彼が飛び出した私を胸に抱き抱えてくれた。
砂衣の魔女に時間の魔法をかけられた訳ではないのに、彼が私の元へ向かう瞬間をとても遅く感じた。
困った、胸が痛すぎるよ。
その後私と彼は、壁と屋根がなくなった貨物車の床に叩きつけられるが、彼の黒鎧のおかげで無事だった。
本当は砂衣の魔女の呪いを受けた彼の身体を心配しないといけないのだけれど、私は気持ちが抑えられなくなって、間髪入れずにすぐに言葉を口に出してしまう。
「ヒューゴ君! 君は! 本当に君は! 私が嬉しいと思うことをどうしてそう簡単にできてしまうのかい!」
彼の兜に、遅れて落ちてきた黒い剣が当たり、「痛っ!」と彼は叫ぶ。
何とも締まらないが、それはそれで面白いと思う。
「俺がリリベルの騎士だからだ」
それはとても興味深くて面白い台詞だった。




