舌切り鋏13
鋏は持ち手が穴開きの丸形だ。指を穴にかけて、外側に広げてまた戻す動作をすることで先に付いた2つの刃を閉じるように切ることができる。
まあ、普通の鋏だね。
さっき落ちて来て、ヴォルミルの横を掠めていったのはこれだったのかな。
「今度は沈めてやる――」
『ぜ!!』
せっかく立ったのに、また転びそうになってしまう。
脳を揺らしてくるのは、ずるい。
どうせ転ぶなら壁際が良い。
ほとんど身体を投げ出す形で跳ねてみて、壁際に身体を付けてから、方向を認識した。
身体の左側がぶつかっているはずだから、右側が……もう訳が分からないや。
だって、げろげろ口から色々出てしまうのだよ。考えごとなんか出来る訳がないさ。
最近は私もヒューゴ君も吐いてばっかりじゃないか。
杖がない。
殴ろうにも、身体は殴るだけの力を入れられない。
何もすることがない。
暇だから、後は、鋏を空で切ってみるしかやることがなかった。
多分、何となくだけれど、私の舌が切れそうな気がした。
いっそのこと心臓でも切れてくれたら、調子の良い状態の私に戻れただろうに。
シャキッ。
鋏の状態が悪い時に鳴る不快な音だった。
残念ながらそれだけだった。
切る分には、ただの鋏だね。
「お、あ……」
また頭の揺れが収まって、ヴォルミルを見てみたら、彼女も私みたいに壁際に寄って辛そうにしていた。
もしかして、鋏のおかげなのかな。
ヴォルミルが苦しんでいるうちに、私は寒くて凍えそうな水場を離れたくて、裂け目を奥へ進んで行った。
「ま、待て……」
彼女の声が聞こえなくなるまで、振り返らずに歩き続けた。
裂け目がなくなって、真っ暗な道に出て、やっと水の冷たさから解放されたけれど、着ている服は随分と水を含んでいるから、身体は重いし、震えは止まらない。
真っ暗すぎて何も見えないから、度々壁にぶつかってしまうので、壁に手をつけながら歩いた。
指先の感覚がないから、まだ感覚が残っている腕で失った触覚を補った。
どうやら私は指に鋏を引っ掛けたままだったみたい。
指先は蝋で固められたみたいに動かなくて、外そうにも外せないからもうこのままでいいやってなってしまう。
多分、奥に進めば進む程、空気が冷えて余計に身体を冷やしてしまっていると思う。
死が近付いているっていう感覚は、経験で身に染み付いているから、もうすぐ死ぬっていう予想には自信がある。
多分、今私は倒れている。
頭の中では歩き続けているつもりだけれど、目を開けているのか閉じているのかの違いすら分からない今の状況では、自分の姿さえ確認できない。
ない感覚が回復しないまま、私はしばらく暗闇の中に身を委ねたままでいた。
身体の中心が暖かくなってきて、目蓋の重さがなくなってきた。
誰かに呼ばれている気がして、それに応えようと思ったら、目蓋が下りていたみたいだって気付いた。
目を開けたらヒューゴ君がいた。
「良かった……」
心配そうに見つめる彼に、何を心配しているのかと尋ねたら私のことを心配していたみたいだった。
「全く呼びかけに反応しなかったから、本当に死んでしまったのかと思った……本当によかった」
大袈裟だね。
いつの間にかに手足の感覚が戻ってきていて、その感覚ですぐに気付いたことは、彼にいやらしい手つきで足先を揉まれていたことだった。
いやらしいって思ったのは、自分の怪我の状態を確かめようとして身体を動かそうとした時に、私が素っ裸で彼の衣服の下に収まっていたと分かったから。
「ふふん、ついに辛抱たまらなくなってしまったのかい?」
「暖めていたんだ! 妙なことを言わないでくれ、意識してしまうだろ……」
それは良いことを聞いた。もっと意識して欲しい。
暗がりだったはずの洞窟で、彼の顔を見ることができたのは、横に焚き火の炎があったからだ。
聞いてみたら、地割れに落ちた他の人から火の魔力石と、木材を貰ったみたい。
でも、この焚き火を囲んでいる者は、私と彼以外は誰もいない。
「皆、死んだ……。誰も助けられなかった……」
「落ちた時に怪我をしたからしょう。仕方ないよ」
「いや。いや、違うんだ。死んだのは、舌を切られたからだ……くそっ、誰も助けられなかった……」
確かに鐘塔で彼を覗いた時に、彼に帯同していた魔力たちは、ここにはいなかった。
頑張って彼等を助けようと、背負ったり肩を貸したりして、ここまで辿り着いたのかもしれない。
でも彼の努力虚しく、誰1人として生きて連れて来ることはできなかった。
可哀想に。
ヒューゴ君がね。
私はそっと彼女の頬を撫でてあげた。
彼の努力に免じて誘惑することは止めてあげよう。




