舌切り鋏10
ヒューゴ君の魔力を調べて、彼が1つの場所に留まり続けていることを確認してから、最も近い地下へ進む裂け目を目で探した。
貧民街の風景は、その名に負けない見た目になっていた。
裂け目に呑まれるように家々が傾き崩れていたり、道と呼ぶことができないくらい歪に盛り上がったり凹んだりしている道は、私の知識と経験で表現できる貧民街に良く合致する。
家に住めなくなった人たちが外に溢れている。
焚き火を何人かで囲み、暖を取りながら横になっているけれど、到底眠ることに集中はできないでしょうね。
たまに、身なりの良い一団が現れて、浮浪者に毛布や食事を与えて去って行く。
それぞれの思惑があって困窮者たちを助けて行く商人たちを見てしまうと、乾いた笑いが自然と出てしまう。
困窮者たちが救われやすい国で、とても良い国だと思う。
手頃な裂け目を見つけて、飛び降りる準備をしようと思っていたら、1人の女がじっとこちらを見つめていた。
家がなくなって寒さに身体を震わせた女は、丁度良い腰の高さまで積み上がった瓦礫の上に座っていた。
余程寒いのか、膝を小刻みに上下させる速度は、誇張なく目にも止まらぬ速さだと思う。
巷ではあの仕草は貧乏ゆすりと呼ばれるらしい。
そんなに寒いのなら、そこら辺で灯されている焚き火に集まれば良いのに。
「今時、そんな真っ黄色のマントを着る奴なんていないぜ?」
うわ、話しかけてきた。
早くヒューゴ君を迎えに行きたかったから、無視してさっさと裂け目に飛び降りようとしたら、彼女は私を呼び止めた。
私の足を確実に止められる数少ない言葉を、よりによってヒューゴ君を一刻も早く助け出したいこの状況で、彼女は私に向けて放った。
「ヴォルミル」
傾きかけた身体を戻すために、咄嗟に杖を地面に突っかけた。
きちんと彼女の顔と姿を見るために、横目で見るのをやめた。
「俺の名前はヴォルミル・ヴィブラシオ。魔女協会に所属しているが、冠はない」
「魔女が魔女に対して、真名を名乗ることの意味を理解して言っているのかな?」
「当ったり前だ」
魔女協会の習わし。魔女に対して真名で名乗ることは、決闘の合図に他ならない。
ヴォルミルと名乗った彼女は私よりも年上か、大人っぽく見える。
背は高く、顔も長い。
目つきがきつく、髪は後ろで結わえているけれど雑。
声は女性らしさよりも男性らしさを感じる、低くしゃがれた声を発する。
マントは羽織っているけれど、その辺のお店に売っているような粗雑な旅人のマントにしか見えない。
魔力が込められた刺繍も見えないし、実際に本当にただのマントだと思う。
マントの下は緩く丈の長い服に、同じく遊びのあるズボンを履いている。
ヒューゴ君の男心をくすぐるために、秘密裏に衣服を買って集めている私とは違って、見た目には気を使わないタイプだろうね。
ごろつきみたい。
だから、彼女に尋ねてしまった。
「一応聞くけれど、魔女、なんだよね?」
「ん? ああ、良く間違えられるが俺は女だぜ?」
彼女の眼は本気で私と戦おうという意志を見せる眼だった。
『歪んだ円卓の魔女』の中で、1番弱そうだと思われていた私は、他の魔女と比べても決闘を申し込まれる数が多かった。
一旗揚げて大魔女へ成り上がろうとする魔女たちを、私は何人も相手してきた。
彼女の眼は、その魔女たちと同じだった。
「で、どうなんだ? まさか俺にだけ名乗らせて逃げるような腰抜け魔女じゃないよな?」
ヴォルミルの足が小刻みに揺れているのは、寒いからではなく本当に貧乏ゆすりをしているからみたい。
物凄くせっかちな魔女だ。
私がここに来るのを待っていた。私が返事をしてくれるのを待っていたんだ。
「今の私は、別に黄衣の魔女でなくなっても気にならないのだけれどね」
今は、この黄色のマントに込められた格式よりも、ヒューゴ君の方が大事だってはっきりしている。
はっきりしているけれど。
「肝心の私の騎士が、私が黄衣の魔女でなくなることを喜ばしく思わなくてね。だから、言うよ」
私は彼女の名乗りに合わせた。
冠なんていらないけれど、魔女の矜持なんてほんの少しくらいしか持ち合わせていないけれど。
黄衣の魔女ではなくなった私をヒューゴ君がどう思うかを想像して、想像した結果、恐ろしい結果になってしまう可能性が少なからずあるって思って、やっぱりヒューゴ君の救助を後にした。
「黄衣の魔女、リリベル・アスコルトだよ」




