出来事の前借り2
六角のシュトロギー。
角が生えていることと目に刻まれた魔法陣以外は、人間にしか見えない。
奴は、ただ剣を振るった。
莫大な剣圧を生んだり、燃え盛る炎や凍える氷結を引き起こすことはなく、正に「ただ」の剣であった。
だからこそ、俺の剣は奴の剣と混じり合うことができた。
あり得ない。
並外れた剣の使い手であれば、その速度に追いつくことは叶わず、膨大な魔力を持つ魔法使いであれば、その魔法に手も足も出ることはない。
俺は今まで、ただの1度も、この持って生まれた身体だけで、まともに戦ったことはない。
ただの盗賊だって、道具に頼った搦め手を使うし、それは強力だ。
この世界はそういう世界だ。
だから、あり得ない。
筋力強化もなく、具現化で小細工をすることもなく、ただ純粋にこの身1つの腕力だけで、相手と剣を混じえられることはあり得ないのだ。
「地道に積み上げた修練の結晶がこれか」
シュトロギーの言葉は、侮蔑と落胆を意味するものだと思った。
出会った幾人もの敵に、何度となく言われた言葉。
『そんなものか』
聞き慣れた言葉に、今更動揺などしない。
いや、多少は心が傷付いているかもしれない。
「余りにも正直な動作だ。右に振ると予想すれば、その通りに振る。陽動や牽制のための、撹乱の動きも使わない」
冷静に分析されるのは恥ずかしい。
「最低だ」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「いや、褒めていない。最低にとって、ヒューゴは最も危険な相手だ」
「は?」
ふざけているとしか思えない言葉に、足を滑らせそうになる。
咄嗟に奴の表情を確認すると、奴の顔は険しかった。
どこからどう見ても、人をからかおうとする表情でないことは明らかだった。
此方の隙に対して当然、奴は攻撃を仕掛けてくる。
腕のある剣の使い手なら、首を刎ねられるか急所を切り裂かれていたことだろう。
だが、奴の剣はそのどれも達成することはできなかった。
俺ごときの反射で、奴の剣を防ぐことができてしまったのだ。
とはいえ無傷ではない。
肩を剣が掠めて痛みを感じている。
普段なら特段気にかけない、身体を動かせる程度の負傷だ。
細かな怪我を気にかけることができるのも、はっきり言って異常な状況であった。
「俺の実力を試しているとしか思えないな。いつになったら本気を出すつもりだ?」
「最低ながら剣での戦いに関しては本気だ」
「剣にこだわる必要はない、だろう!」
奴の剣に俺の剣をなぞらせて、そのまま1歩近付き、奴を袈裟斬りにする。
奴は、避ける仕草も防御の体勢も取らず、しまったとでも言いそうな表情で、大人しく斬られてくれた。
高価そうな燕尾服は肩から反対側の腰辺りまでを、綺麗に切り裂かれて、中から肌の色を隠す程の血が即座に飛び散る。
「最低は、剣しか習わなかった」
シュトロギーは、胸を手で押さえながら、剣を杖代わりにして、痛みに耐える表情とともに、それでも視線は外さなかった。
たったひと切りで奴は満身創痍かのように、振る舞っていた。
「……戦う相手にこんなことを言うのも何だが、もう決着はついたのではないか」
「最低だ。命を奪い切らず、最低に生き恥を与えるとは」
「戦いを避けられるなら、極力避けたい。命を奪わずに済むのなら、そうしたい。俺はそういう人間だ」
シュトロギーは、今度こそ俺を侮蔑するような視線を浴びせた。
見た目通りに気位が高いのか、奴は決着をつけられなかったことを酷く嫌うようだ。
だが、相手の意志など知らないし、寄り添う気もなかった。
殺さずに済むならそれで良い。
俺の心が丸く収まってくれることを優先するのは、当たり前だ。
目で息の根を止めろと訴え続けていたシュトロギーだったが、やがて観念して視線を落とした。
戦いは終わったと認識した俺は、次の言葉を投げかけずに、人探しに戻った。
それが、俺に起きた不可思議な出来事であった。
炎と喧騒の世界は終わり、いつの間にか緑で覆われた森の中に立っていた。
目の前で不敵な笑みを浮かべていた曙衣の魔女が言う。
「良い訓練になったのでは?」
彼女はたったひと言述べて、満足したかのように離れて行った。
彼女と入れ替わるように、クロウモリがやって来て、俺を心配そうに見つめていた。
「大丈夫ですか?」
「え? あ、ああ」
「あの魔女が話しかけてきた途端、ヒューゴさんは呆けていましたけれど……」
「そんなに長く呆けていたのか?」
「いえ、一瞬ですよ」
「一瞬……」
握っていた物が血塗れの剣ではなく、ただの棒切れであることを改めて確認してから、俺はその場にいた全員にエルフだらけの国のことを聞いた。
誰1人として俺が予想していた答えを出してくれず、混乱しきった頭を解消するために、俺はリリベルに泣きついた。




