対岸は晴れ
貨物車の荷物があちらこちらに散乱しているせいで、歩き辛いしたまにコケる。
積み上げられていた箱の蓋が床に落ちた衝撃で開き、中に入っていた商品がそのまま出てきてしまう。散乱している物は果物であったり、香辛料であったり、衣類であったり様々だ。
リリベルの部屋みたいに汚い。
コルトはこの惨憺たる有様を見て、「目的地に到着するまでに何とかしないと」と言うが、車掌たちだけでどうにかなる量ではないと思う。
コルトの蝋燭の火のおかげで、辛うじて見える足元に不思議なものが見えた。
戻る1つ前の貨物車でも同じものを見た。
扉だ。四角の小さい扉がなぜか床に取り付けられている。身体を縦に入れれば通ることは容易だろうが、入ったとしてこの下には何があるのだろうか。
この貨物室内の空間を考えても、扉を開けたらすぐ地面が見えるだけではないだろうか。
外に出るための扉か?
しかし、貨物室の扉は横から開くように大きな引き戸がある。わざわざ床に扉を作る必要もないだろうし、別の用途のための扉であると推測されるが、分からないので素直にコルトに聞くことにした。
「この下は重りを敷くための空間があります。この列車はフィズレとエストロワの境にある山を通り道にしていますが、山を海沿いに走るのでその時に海から強い風が吹くのです。貨物を全く積まずにその道を通った場合、風に煽られて貨物車が倒れてしまう可能性があります。そのため、荷物がない時はこの下に重りを積んで列車が倒れないようにするのです。この扉は運行中に重りの位置がずれてしまった時でも作業できるように作られました」
馬車よりもずっと大きくて重量もありそうなのに自然風で倒れてしまうとは意外だ。
コルトは「今はこの通り荷物がたくさんあるので、重りは入れていません」と言いながら、少しでも元の状況に戻そうと飛び出た箱の中身を拾っては入れている。
もしかして、先程の引っ張られるような揺れは、強烈な風が吹きついているから起きているのかもしれない。
これならリリベルの探索は途方に終わって、すぐに戻ってくるかもしれない。
「あの、気になっていることがあるのですが」
コルトはどことなく怯えているようだった。
続きを話して良いか許可を取る彼に、俺は続きを促す。
「お2人は縄を解いてどこへ行こうとしていたのですか……?」
様々な弁解の言を思いついたが、どれも彼を納得させられそうにない。
そもそも縄を縛られる原因になったリリベルの言葉が致命的だ。大好きな読み物の台詞を言ってみたかったので言いましたって狂人もいいところだ。
狂人?
あ、良い手があった。
そして、すまんリリベル。
「俺の妻は病気で気が触れてしまったんだ。だからたまに訳の分からない行動をとってしまうのだ」
コルトは訝しんでいるが、とりあえずはそれで納得してくれたようだ。
気が触れているのは事実だし、訳の分からない行動も実際とるので嘘は言っていない。
散乱した荷物の海をかき分けて、どうにか食堂車に俺とコルトは戻って来た。
俺とリリベルが縄で縛られた時よりも更に雰囲気は重苦しくなっている。
そして、食事時には座っていた人が今は3人いない。
ウォルフガング・カンナビヒ辺境伯、ロイド・ハント、ディルト・ヴァイオリー大臣の3人だ。
この場にいる全員に、リリベルは貨物車の箱の中に、他にいなくなった従者たちがいるかもしれないので探しに行ったと伝えた。
幸いにも俺とリリベルを強く疑っていたハントがいないのと、リリベルをよく知るロベリア教授が、彼女がこれまでにしてきた良い行いの数々を話してくれたことで、ぎりぎりのところで皆の信用を保つことはできた。
その後は、ロベリア教授が俺に耳打ちする形でこれまでの状況を説明してくれた。
彼の話によると、俺とリリベルが貨物室へ連れて行かれた後は、事件は解決したとばかりに皆それぞれの客室に戻って行ったそうだ。
ケヴィンがカンナビヒの部屋の扉を鍵で閉め、外からは誰も入れないようにした。
ヴァイオリーの死体を発見したのはストロキオーネ司教だ。
列車内で人殺しが、しかも2国間の要人いる中で起きた事件だ。目的地に到着した後、どう対応するかを相談するために彼の部屋の扉を叩いたそうだが、返事はなかった。
不審に思った彼女が扉を開けたところ、開けたすぐ目の前の窓際でヴァイオリーが倒れていたそうだ。
ストロキオーネ司教はたまたま見回りをしていたケヴィンを見つけ、この事態を解決すべく他の客を食堂車に集めようとさせたが、その中でハントも死んでいるのを確認した。
ヴァイオリーは首を綺麗に切り落とされていたのに対して、ハントは胸や背中や手足に無数の刺し傷や切り傷があった上で首を切り落とされていた。
ストロキオーネ以外は、ケヴィンに食堂車へ集まるよう呼ばれるまで部屋から出てもいないし誰とも会っていないとのことだ。
果たして全員が本当のことを言っているのか怪しいところだ。
カウゼルがこの際目的地に到着するまで食堂車で待っているのはどうかと話したが、おそらく誰も頷かないだろう。
ふと窓を見ると、外が光り、雷の音が聞こえる。