出来事の前借り
できることなら大声で彼らの名を呼び、反応があるかすぐにでも確かめたかった。
だが、多くの人影を見かけてしまうと、声も上げ辛い。
人影たちそれぞれが、武器を持ち合わせているとなれば尚更だ。
炎と死体の道を見て回って分かったことは、ここがエルフの国だということだ。
最たる特徴である長い耳と、恐ろしく整った顔や綺麗な肌が至る所で見られた。
正しく人形のようだ。
どれも死んでいるが。
石畳を駆け続け、ようやく見つけた人工物は建物の残骸であった。
黒く炭化し、そこがどういう部屋だったかの判別は、全くできない。
周囲の至る所で火の手が上がっていることを考えると、この建物は意図的に燃やし尽くされたのだろう。
だが、隠れるには丁度良かった。
残骸の影に身を潜めて、周囲の様子をもう少し窺う。
エルフと誰かが戦っているところまでは理解できた。
エルフばかりを見るということは、エルフ対何者かの種族間の争いだろうか。
ともなればエルフと戦っている相手が気になるというものだ。
周囲を見渡し、隠れられそうな建物の目星をつけて、移動する。
また別の隠れ場所を探して、移動する。
同じことを繰り返しても、見えてくるのはエルフたちが忙しなく走り回る姿か、死体だけだった。
ある意味で変わり映えのしない状況に嫌気が差して、それこそ奇跡でも起きやしないかと祈った。
そして、祈りが届いた。
「最低だ」
6本の捩じ曲がった角を頭に生やした、汚れや皺1つない綺羅びやかな燕尾服を着た男が、影に隠れもせず道の真ん中から、建物の影に隠れた俺をただじっと見つめていた。
届いた祈りが必ずしも良い方向には向くとは限らないものだ。
いつ、どうやって、そこにいたのか。
最新の注意を払って辺りを警戒していたはずなのに、いつの間にかそこに立っていた。
周辺の爆発音よりも響いてよく聞こえる石畳を叩く靴音が、徐々に大きくなっていく。
「剪裁する者を殺す程の手練れと、こんな僻地で出会うとは推知の余地もなかった。最低だ」
小気味良い靴音を最後に、壁の先で奴は立ち止まった。
強い気配を壁越しにひしひしと感じて、これ以上は隠れ続けていられない。
「しかし、解せない。なぜ隠れ続ける? 最低はヒューゴが隠れていることに気付いていることを知っているはずなのに。出てきてはどうだ?」
出て行くつもりはなかった。
奴に姿を見られないように、姿勢を低くして逃げるつもりだったからだ。
それなのに、俺は男の前に堂々と立ってしまっていた。
構えもせず、胸を張って、まるで友と接するかのような感覚で、俺は立っていた。
掌を何度も握り直して、身体が動くことを確認する。
大丈夫だ。間違いなく俺の意志で身体は動く。
「シュトロギー……」
「たった1度聞いただけの名を今でも留めていたとは、驚嘆であり、最低だ」
今でも?
今でもも何も、俺と奴は昨夜会ったばかりのはずだ。
さすがに昨夜出会った怪しい男の名を忘れる程、俺は耄碌してはいない。
俺のことを余程忘れっぽい人間だと思っているのだろうか。
「俺のことを手練れだと評してくれるなら、見逃してくれても良かったんじゃないか」
「闇討ちの可能性を空にできない」
「なら改めて言うぞ。俺は戦うつもりはない。人探しで忙しいんだ」
強気に言えば見逃してくれるのではないか。これはただの願望だ。
「血塗れの剣を持ち、人探し、か?」
「信じてくれなくて構わないが、気付けば持っていただけで、俺の剣ではない」
「最低の言い訳だ」
「最低で構わない。それで、どうなんだ。見逃してくれないのか?」
剣を握る手に自然と力が入った。
「ヒューゴがどれだけの手練か興味がある。個人的な興味に心を呑まれるのは極めて最低だが……」
右目に刻まれた金色の魔法陣が色めき立つと、黒いモヤが奴の身体から生まれる。
モヤは奴の右手に集まり、無形から固形に変化した。
両側に刃を持った長い刃渡りで、丁度俺がよく使っていた黒剣に似ていた。
奴はその重みを確かめるように、ゆっくりと舐めるように剣を回した。
「知恵を持つ者として尽きない興味の前に、最低は無力だ」
シュトロギーは極めて強い個人的な感情で、戦いを選んだ。




