雨降って地緩む
貨物室のある地点から一歩足を踏み入れると、壁や天井を叩く雨音が気持ち悪く聞こえるようになる。
雨粒がぶつかってから弾けるまでの音が長く聞こえるような感覚で、それがあらゆる所から発してくるものだから非常に気持ち悪い。吐きそうだ。
『彩雷』という魔法で細い線のような光を壁や床など、そこら中をジグザグに這わせているおかげで、明るさを保つことができている。
その明るさの中で見えた足元に散乱している果物が、列車の傾きに合わせて転がっているが、異常に遅い。
試しに転がっている果物を1つ手に取ると、何かに引っ張られているように重さを感じる。かじってみたけれど、普通の果物の味で変わったところはない。美味しい。
放り投げてみるとすぐには落下せず、とても、とってもゆっくりと回転しながら落下している。
この地点から先は、私の時間と私以外の時間にずれが生まれているみたいだ。
更に奥に進もうとすると突如目の前に何か大きい物体が落下してきた。その物体が落下する速度は、私が感じるのと同じような速さ、つまり物が落ちたらこのぐらいの速さで落ちるだろうという本来の速さだった。
上を見上げると、大小様々な木片が宙空を漂うように落下しているのと同時に外の景色が見えた。屋根が崩れ落ちたようだ。
自然の雷光によって雨粒が貨物室内に緩やかに落下しているのも見える。
落ちてきた物体に視線を移すと、赤いマントに包まれた女がいた。
首が無理矢理継ぎ接ぎしたような縫い跡があって、赤髪に所々白髪が混ざっている。片腕は無いが、無い代わりに赤い液体が怪しく蠢いているのが見える。
この赤い液体から放たれる独特の魔力は多分、緋衣の魔女、エリスロース・レマルギアだ。
私の「やあ」という掛け声に彼女は静かに笑っている。
彼女の口がもごもごと動いているので、屈んで彼女の髪の毛を引っ張って顔を近付けさせるとどうやら喋っていることが分かった。
「砂衣の……魔女……」
その言葉だけで、この異様な空間の原因が大体理解できた。
『歪んだ円卓の魔女』の1人、砂衣の魔女オッカー・アウローラ。
死の属性を持つ魔法を得意とするエルフ族の魔女。彼女は自身に『魔女の呪い』をかけており、彼女の近くに存在するあらゆる物を老いて朽ちさせる。
彼女の魔法は時間の流れを変化させる。
5度目の奇妙な揺れが起きる。
そして、エリスロースが落ちてきた穴から次の貨物室へ向かう奥の扉までの天井や壁が、細切れにされたように崩れ始め、風に吹き上げられて宙を舞っている。
床の木材は所々苔が生え始めて、ゆっくりと黒ずんでいき腐っていくのが見える。
私がいる場所より先は遮る物が無くなって、雨風が入り放題だ。
奥の扉が風でゆっくりと吹き飛ぶと、扉が元々あったその先に砂衣の魔女が立っていた。
そして、後ろに続く次の車輌が遠ざかっているのが見える。今いるこの車輌が最後尾になってしまったようだ。
なるほど揺れの正体はこれだったのか。
通常通りの時間で走ろうとする列車に対して、時間の流れを変えられた最後尾の貨物車が足を引っ張っていたのだ。
だから最後尾の車輌が離れる度に、通常通りの列車が、勢い余って加速して大きな揺れを発生させるのだね。
揺れの謎を解明して納得した後は、砂衣の魔女に目を合わせる。彼女はこちらに驚いた顔を見せている。
彼女は驚きながらも一歩足を進める。進んだ足元から木の枝が伸びて葉がつき始めているけれども、すぐに葉が落ちて枯れている。
「黄衣の魔女か? なぜここにいる」
「話すと長いのだけれど、この乗り物を作るのに私が協力していてね。協力したお礼に乗せてもらっているところだよ」
「そうか」
エリスロースの頭を掴んでいた手を離して立ち上がって、砂衣の魔女と相対する。
これだけの雨風に関わらず彼女の服や髪は濡れていない。ただ、服は使い古したかのようにほつれや穴があってぼろぼろだ。
後ろ髪を三つ編みにして結んでいる茶色の髪は、風の影響を受けていない。
「手紙は読んだか?」
砂衣の魔女から届いた手紙は読んだばかりだから記憶に新しい。
緋衣の魔女が管轄する町が滅ぼされたから、彼女を見つけたら保護して欲しいという内容だったけれど、今こうして手紙を出した本人と保護の対象が同時に居合わせているのだから面白いものだ。
気になる点は、砂衣の魔女が緋衣の魔女を襲っていると思えるこの状況だ。
裏を読むとするなら、『本当は緋衣の魔女を殺したいけれど見失ったから、彼女と知り合いである私が会うことがあったら、足止めしておけ』という意味だろうか。
「読んだよ。それで、これはどういう意味かな?」
私はエリスロースを指差して砂衣の魔女に問う。
喧嘩腰で話していると誤解されるかもしれないから、笑顔は絶やさないようにしている。
この場にいる3人の魔女を除いて、未だにあらゆる物体の動きは緩慢で音は間延びしている。そろそろ吐きそうだよ。
「紫衣の魔女の馬鹿な遊びに付き合っているだけだ。緋衣の魔女は魔女狩りの対象になっている。そこの女は、泥衣の魔女と魔人微睡む者に、黒衣の魔女の魅力を伝えて世界を破滅に向かわせるように唆した」
私はエリスロースに顔を落として彼女に真偽を問う。
「そうなのかい?」
私の問いに対して彼女は首を横に振った。
「違うと言っているけれど?」
「殺人犯に人を殺したのかと聞いて、はいと言う奴がいるか?」
砂衣の魔女の言うことももっともだ。
彼女が首を横に振った行動は見なかったことにして、後は砂衣の魔女にお任せしようとしたら、頭上から人が落ちてきた。
その人間は身なりが整った女だったが、どちらかというと従者が着るような目立たない服装だった。
いなくなった従者がどこにいたのかと思ったが、なるほど列車の屋根の上にいたのか。
雨が降っていて、夜で周囲も暗いので、景色が判然としないが、まだ山の上を走っているとみて間違いないだろう。
そうだとすると、この寒い中ずっと雨に打たれて屋根の上にいたことになるが、余程の根性があるねと感心してしまう。私だったら寒さで既に泣き言を言っていると思う。
従者風の女は雨に打たれながらもじっと私を見つめてくる。ちょっと怖い。
「魔女の騎士は今、我々の目の前にいる。いつでも血の魔法で首を落とせる。血は見たくないだろう?」
なるほど、脅されているね。
だけれど、脅しに困った訳ではない。ヒューゴ君を人質に取られていると分かった今、やることはただ1つだ。思考する必要もなく即決で、次の行動へ移す。
「砂衣の魔女。今、私は緋衣の魔女に脅されてしまった。だから、君をこの場から退けることにする。ごめんね」
舌を出して片目を瞑って茶目っ気を演出するも、砂衣の魔女から舌打ちされてしまった。ひどいよ。
私の決意を聞いた従者風の女はそそくさと食堂車へ向かう扉を開けて逃げて行った。
「貴様ら……」
「怒ってる?」
さて、退けるとは言ったものの、どうやったら彼女をこの列車から降ろすことができるだろうか。
なにせ彼女は魔女の中でも1、2を争うほど世界の時間を歪めた魔女だ。
「後悔するなよ……。いや、後悔しろ! 私の時間に貴様の雷は届かない!」




