黒衣の魔女8
「ふう、気が済んだ。つまり、あの女は過去に神の座を追われた者なんだよ」
「奴はなんでまた神に戻りたいと思ったのかは分かるか?」
彼女は右の拳を引いて、左手を右上に伸ばす謎のポーズを取って、興奮した小動物の如く鼻息荒く宣った。
「勿論だよ。私を誰だと思っているのさ」
ふんすふんすという音が聞こえる。お前は犬か。
「でも、直接本人に聞いた方が早いのではないかな?」
「えっ」
瞬間移動は驚くからやめて欲しい。
リリベルは俺の視線から外れて、横側から声をかけてくる。
その位置に視線を移すと、彼女の他にもう1人新たな姿があった。
光を返さない真っ黒なマントの下には真っ黒なローブを着ていて身体の輪郭は分かり辛い。真っ黒な長髪、真っ黒な魔女の三角帽子。顔は整ってはいても、いかにも魔女と呼ぶに相応しい怪しさを感じる雰囲気を持ち合わせている。
「魔女といえば」を想像すれば、真っ先に出てくる魔女像と一致する。
これこそが魔女だ、という姿をした者は、正に黒衣の魔女だった。
「皆の魂を壊さず私の中でとっておいた甲斐があったよ」
慌てて鎧を着ようとするが、外から着る手段がない鎧だということを思い出して、一気に焦りの汗が身体中から吹き出してくる。
そんな俺の焦りを制したのは、リリベルだった。
「ヒューゴ君、安心すると良いよ。魂だけの彼女に、喋る以外の価値はないからね」
恐る恐る振り返って黒衣の魔女の様子を窺うと、奴は何か見えない力によって無理矢理身体を折り曲げられたように、もう1つの木箱に座らされていた。
「空の入れ物を生み出して、一体何のつもりだ」
「彼に君の野望を話してごらんよ。あ、これは神様の命令だからね?」
「う……ぐ……あ……」
黒衣の魔女は、明らかに自身の意志による口の動きとは別の動きをさせられている。
これが、リリベルの最も憎むべき世界を破壊した魔女の姿だとは、到底信じられない程のリリベルの言いなりであった。
リリベルに隷属した黒衣の魔女は、不本意な表情をしながら口を動かし始めた。
「私は生命のある世界を創る使命があった」
「まるで誰かから命令されたかのような話だな」
「かもしれない。だが、実際は分からない。この世界で私はこの世界のことしか知識を持つことが許されていない」
黒衣の魔女は、魂を持ち自我が芽生えた瞬間から、世界を創る使命があったと言い始めた。
それが何のためなのかは奴自身も理由を説明できない。ただ、強烈な使命感によって、生命が存在する世界を創る意志を持っている。
それが、黒衣の魔女自身の意志であるかと問われれば、第三者の視点である俺からは、とても奴自身の意志であるとは思えない。
「それなら、自分がどうやって生まれたかも分からないのか?」
「その通りだ。初めから私はこの姿で始まっている」
リリベルからこの世界の知識を授かったことで、妄想が良く働いた。
恐らく黒衣の魔女を作った者は、この世界の外に存在するまた別の誰かなのだろう。
奴の意志そのものも、呪いのように植え付けられた固定された思考に過ぎない。黒衣の魔女の存在自体が、世界を創る魔法と思えば何の不思議もない。
黒衣の魔女を元神として、外の世界の誰かを便宜上、神の王とでも呼ぼう。
神の王が、仮に黒衣の魔女に使命を持たせてこの世界を作らせたかったのなら、神の座を争わせる文化を作る必要はない。世界を創ることの邪魔になることは明白だ。
神の王が、1人の人間が想像できるモノの考え方をしていないのであれば話は別だが、もし人並みの心を持っているのなら、邪魔な文化の意味は察しがつく。
「この世界の外にいる奴か奴等かは分からないが、そいつが神の座を奪い合って戦う者たちの様子を見ることが目的なのではないか?」
一瞬、場が固まったような気がした。
だが、すぐにリリベルが反応してくれた。
彼女は瞬間移動と共に、俺の顔に抱きついて喜びを表現した。喜びの理由は、その動作の後に告げられる。
「全知があるのに、まさかヒューゴ君の想像力に負けるなんて思いもしなかったよ!! ああ、君に興味を持って本当に良かった!」
とにかく俺の言葉を肯定してくれたことだけは理解できた。
「それなら、黒衣の魔女に生物を作る意志を持たせた意味も理解できるね」
「この世界は、初めから争いが起きることを望まれた世界なのだな」
神の王は、ありとあらゆる可能性に分かれた争いの世界を見ることができる。
神の座を争う文化のせいで、果てしなく続く醜い争いに終わりが訪れることはない。
自身に影響を受けないと分かりきっているのなら、ただ見る者にとっては、この世界は最高の見せ物であり、娯楽なのだろう。
「ああ! ああ! ヒューゴ君! ヒューゴ君!」
感極まったリリベルの行き過ぎた愛情表現を受けつつ、黒衣の魔女を見やると、奴は毅然とした態度のままでいた。
動揺している様子はなく、ただ1つ、強い意志を瞳に宿らせて言葉を放った。
「どのような理由があろうと、私は神の座へ再び戻らねばならない」




