黒衣の魔女6
リリベルは、彼女が持ち合わせている最上級の優しさで持って、この世界について分かりやすい言葉で俺に教えてくれた。
先に彼女が言った通り、ここはリリベルが神様になった世界であり、俺が昔いた世界とは全く異なる世界だと言い切った。未来の世界ですらなく、完全に切り離された別世界である。
彼女は神になり、俺の望みを叶えようとした。
しかし、望みを叶えることはできなかったと言う。
神になり全てが彼女の意のままに作ることができるはずなのに、世界の構築は思うように進んでいなかった。
今、この場の不毛な大地も、俺のために急ごしらえで作ったもので、命は1つとしてない。
理由は勘違いをしていたからだ。
「私や黒衣の魔女が目指した神の座は、思ったより良い椅子ではなかった。言う程全知ではなかったし、全能でもないんだ」
彼女が言うには、空の上の暗闇の先にいくつも瞬いていた小さな光は、1つ1つが世界だった。
彼女が就いた神の権能は、あくまで小さな光1つ分にしか及ばず、暗闇の先にある光たちに関する知識はなかったのだと言う。
遥か昔に俺が生きていた世界も実は、その小さな光の1つに過ぎず、本当の意味での世界を知るには、彼女には知識も力も不足していた。
彼女の全知は、あくまで俺たちが生きていた世界でしか適用されない。
「まあ、外の世界を知るよりも、ヒューゴ君やヒューゴ君が生きていた世界を作り直すことに興味があったから、その点の知識不足に関して特に不満はなかったのだけれどね」
彼女は空中に浮き、あてもなく漂いながら会話を続けていた。
もう慣れてしまった。
「でも、全てを元に戻すことは私にはできなかったんだ」
端的に言うと、彼女が持ち得る全ての知識と力を結集させても、即座に世界を作り直すことはできなかった。
「可能性と言えば良いかな。例えば、ヒューゴ君という命1つにしても、君はあらゆる可能性を含んでいる」
「幼い頃から奴隷として生きて、私と出会って、私の騎士になる。これだけでも出会う場所や瞬間が少しでもずれてしまえば、未来の可能性が大きくずれてしまう」
1つの命を完全に復元するだけでも、非常に緻密な魔力の操作が必要となる。それなのに、世界中の膨大な数の命を完全に復元しようとすれば、僅かな可能性のずれが起きただけで、未来が変化してしまう。
「数え切れない時間を使っても上手くはいかなかったよ。作っては消して、作っては消してを何度も、何度も何度も何度も繰り返しても、いつまで経っても納得のいくものは出来上がらなかった」
「つまり、神でさえ世界を意のままに作り上げる程の力はないということか……」
「そういうことだね。意外と神様ってコツコツ仕事することの方が多いみたい。大災害を引き起こしたりする神様の気持ちが分かったよ」
神がことが思うように運ばない歯痒さを、洪水や嵐の大災害で表していると彼女は言うが、できればそれは知りたくなかった。
神の存在を疑うことはなくなった今となっては、神に対する落胆を強めたくなかったからだ。
彼女は不意に思い立ったかのように体勢を変えて、周囲に鍋や皿に食材を生み出した。
「久し振りで腕が落ちているかもしれないけれど、食べて行ったらどうかな? ここに来るまでに碌な物を食べて来なかったでしょう?」
魂を取り込むために悪食の限りを尽くしたことを、彼女はまだ覚えてくれていたようだ。
それならと俺は俺で彼女に提案をさせてもらう。
「それなら、その前に髪を切らせてくれないか」
地面に垂れ下がる程の髪を見ていると、無性に切りたくなる。かつては日課だった彼女の散髪が恋しかったのかもしれない。
彼女はふふんと鼻を鳴らして微笑みながら、目の前にハサミを生み出した。
「万全の状態で切って欲しいから、鎧は脱ぎなよ」
彼女が喋っている間に、既に脱げないはずの鎧と剣は横に置かれていた。
神としてではなく、彼女の手によって作られた料理は、残念ながら吐き戻してしまった。
彼女は、長い間食事をしなかったことで内臓が拒絶反応をおこしたことと、単純に料理が不味かったことを理由に挙げて、俺を介抱してくれた。
「ごめんね。私が与えた呪いのおかげで、今の私には君の可能性が余計に読み辛くてね。こうなることを推測し辛いのさ」
「俺の方こそすまない。せっかく作ってくれたのだから、しっかりと食べる」
「それなら新しいお皿を用意するよ」
懐かしさを感じる過去の習慣を、噛み締めるように蘇らせていった。この時間は幸福であった。
一瞬だけ、このままこの世界で、幸福を享受し続けたいと心の中で考えたら、リリベルに注意されてしまった。それ程、今は幸福だった。
「君は、あるべき世界に戻り、私を救うべきさ」
幾つもの世界があり、リリベルが1人ぼっちで神を営む世界があると聞かされた上で、彼女のその言葉を聞くことは辛かった。
それでも俺に残された手段は少ないと分かっていた。彼女も察していただろう。
目の前の彼女ではないリリベルと、世界を救うための相談は、どれだけ彼女の心を苦しめるのか理解できるからこそ辛いのだ。
「ふふん、それなら私のことも救ってもらおうかな?」
彼女は両手を腰に当てて胸を張り、自慢げな表情を見せて言った。
俺が想像していた重苦しい雰囲気は、実際には微塵も感じなかった。懐かしいリリベルのそのポーズは、この世界で最も信頼できるポーズだ。




