立つ鳥跡を滅茶苦茶濁す
俺たちは3号車の2つ目の部屋を与えられており、部屋を出ると長い廊下がある。
廊下には大きな窓がいくつも取り付けられていて、今は夕暮れ時の美しい海の景色を眺めることができる。
1号車にはストロキオーネ司教、2号車にはヴァイオリー大臣がそれぞれ2部屋ずつ使用しているようだ。
もう1部屋は付き人用の部屋だろう。
それ以外は付き人も含めて1部屋を割り当てられている。
それでも部屋の中は仕切りを立てる箇所があったので、付き人と主人とで同じ空間を過ごさないようにはできそうだ。
おそらく他の部屋は既にそうしているのだろう。
教えてくれたのは、食事の準備ができたと部屋の戸を叩いたコルトという名の車掌である。
「これからフィズレとエストロワの国境にある山へ向かって少しずつ登っていきます。実は私の故郷がエストロワ側の国境沿いにあって、山から海の景色が一望できるのですよ」
「そうしたらコルトさんの故郷がこの窓から見えてくるのですね」
「ええ、そうですね。ただ、故郷を通過する頃には夜なので、残念ですが真っ暗で何も見えないと思います」
コルトは苦笑いで返した。
仕事をしている中で、故郷を通るというのは感慨深いものがあるのかと思ったがそうでもないようだ。
食堂へ向けて歩き出そうとした時に、後ろから怒鳴り声が聞こえた。
「一体何をやっているのだ! こんな簡単なことがどうして出来ない!」
廊下中に怒声が響き渡り、陶器の割れる音が聞こえる。
「申し訳ありません。お隣はエストロワ国のカンナビヒ辺境伯がおりますが、辺境伯は少々気の激しい方でして……」
「いえ、大丈夫です」
「私たちが寝ている時に、怒鳴り声で起きるのは嫌だね」
コルトが俺たちに不快な思いをさせたことを陳謝している。
取り繕った俺に対してリリベルは正直に物を言ったので、少しひやひやした。
俺たちはコルトに案内されるまま、4号車、5号車と同じ作りの廊下を進んで行く。
5号車の1つ目の部屋を通り過ぎたときに、また怒声が聞こえた。
「魔女が乗るなんて聞いていないぞ! なぜ災いを呼ぶ輩を列車に乗せたんだ!」
コルトが怒声に気付くと何度もお辞儀をして再び謝った。
「これが正しい反応だよ。安心したよ、まともな人がいて」
皮肉で言っているのか分からないが、リリベルが素直に思ったことを口にした。
その調子で偉い人と会話してほしくはないので、会話する時は取り繕って話してほしいと彼女にお願いした。
「黄衣の魔女殿は他の魔女とは別格でございます。聡明な方で、我々に危害を与えるような方ではありません」
怒声に返事をする者の声が微かに聞こえた。どうやらロベリア教授の声だ。
ロベリア教授はリリベルと知己の間柄ではあるし、彼女の素性も知っている珍しい一般人だ。
リリベルのことを高く買ってくれているようで、彼の言葉を聞いたリリベルは無言で両手を腰に当て、ふふんと鼻を鳴らしていた。
コルトはそれを見て苦笑いをしている。
「こちらはフィズレ国の商人ハント様が、隣の部屋はフィズレ国学院に勤めているロベリア様が滞在しております」
「ロベリアという方は知っています。彼の招待で我々は来ました」
「おお、そうでしたか。4号車と5号車にいらっしゃる方たちは、この列車を作るにあたってかなりの額を出資していただきましたので、初運行に招待しております」
列車を作る金はどこから出ていたのか薄々気付いてはいたが、やはり商人が絡んでいた。フィズレ国の商人ならば、相当の金を持っているだろうし、それだけの出資者がいるなら、この列車を作り上げたという話も納得だ。
5号車を超えて食堂車に到着すると、これでもかというぐらいに複雑な装飾が施された天井がすぐに目に入った。
どこを見ても金、金、金、たまに宝石といった具合である。
俺には一生縁のない部屋だと思ったが、案外分からないものである。
メイド服に身を包んだ給仕係が4人並んでいて、俺たちが食堂に入るや否や席に案内してくれた。
正直落ち着かない。
テーブルは白く汚れのないクロスが敷かれていて中央にランプが置かれている。
天井にシャンデリアが吊り下げられており、蝋燭の火で照らされているので、食堂の端から端でも顔はある程度確認できた。
席でその景色を眺めて待っていると、コルトが続々と他の賓客を食堂に案内していった。
席に着いた人は皆、身だしなみがしっかりしている。
「魔女殿、列車の乗り心地は如何でしょうか」
ロベリア教授が立ち止まり、リリベルに話しかけてくる。
「たまに大きく揺れるのが気になるかな。長時間生き物を乗せるのには適さないのじゃないかな」
彼女が正直に言うと、ロベリア教授はそれを素直に受け取り、設計者に改良できるよう取り合ってみると返答した。
俺はついでとばかりに彼に質問をしてみた。
「俺は騎士なのだが、ここに座っていていいのか?」
着席している者はリリベルを含めて地位がある者なのだが、名目上彼女の騎士である俺がここに座っていて良いのか気にかかった。
「大きな声で言えませぬが、騎士や使用人はこの場には付き添えないようになっております」
それはそうだよな。
身分違いの人間がこの場にいるのは良くないと思い、俺は席を立とうとしたが、彼が手で制止する。
「私から皆様に、お2人は夫婦として紹介しております。他の方が何と仰るのか分かりませぬので、夫婦としてお過ごし下さい」
俺とリリベルは呼吸に失敗してむせてしまった。
皆の視線が集まってしまう。
彼は優しいのか、それとも俺たちをからかいたいのか。
「仕方ないね。この列車にいる限りは夫婦として振る舞おう。ねえ、あなた?」
俺より早く咳が止まった小さな魔女が、すぐに順応して俺をからかい始めた。
「そ、そうだな。えーと……レディ?」
かしこまった場での妻の呼び方は何と呼べばいいのか分からないので、それっぽい呼び方をしてみる。
彼女は鼻で笑って満足気にしている。
正直、身分を隠してこの場に溶け込もうと振る舞っているのは、何だかスパイになった気分で楽しい。
ロベリア教授はそんな俺たちの姿を見て微笑むと、リリベルの後ろにあったテーブルの席に着いた。
食事は見たこともない物ばかり皿に出される。多分すごく手が込んでいる。
テーブルに座る者は俺たち以外では皆1人だけなので、微かに食器の音がするだけだ。
この場の雰囲気もあって味わおうにも緊張して味が分からない。
途中、給仕係が水を運んで来てくれたので、落ち着かない気を紛らわせるために水を飲もうとしたら、リリベルに足を優しく突つかれた。
「それは指を洗うための水だよ」
慌てて水の入った椀を置いてことなきを得る。
彼女はどうやってその知識を得たのだろうかと考えていたら、「師匠に色々教えてもらったんだよ、色々とね」と答えてくれた。
「皆様、お食事はいかかでしょうか。この旅の思い出の1つとして楽しんでいただけたら幸いです」
客車側からヴァイオリー大臣とストロキオーネ司教が現れ、演説を始めた。
良く見ると、この食堂車にはヴァイオリー大臣とストロキオーネ司教が着席するテーブルはなかった。
その後もつらつらと興味のない話を聞かされて、話が終わると2人は再び客車の方へ戻ってしまった。
しばらくして肉料理が皿に置かれて、何の味付けがされているのか分からない肉を黙々と食べていると、突如俺の後ろの席で怒声が響いた。