血は争える
「おい、交代の時間だぞ」
「ああ、すまん。全く聞こえなかった」
運転室は扉で仕切られているし、線路を通る車輪の音が五月蠅くて、呼び声が聞こえなかった。
俺は椅子から立ち上がって交代する。
「おい! 窓に血がびっしり付いてるじゃん! 何だよこれ」
「動物か魔物か轢いたんだろう。魔女が作った防御壁の魔法とやらでこっちは傷1つないぜ」
「向こうに到着して、血だらけの列車を見せるのは不味いんじゃねぇか?」
「仕方ないだろう。走ってる最中に外に乗り出して窓を拭く訳にもいかねえし」
血を拭き取るために、列車の外に乗り出して足を踏み外して死にました、なんて笑えない。
ほどんど座りっぱなしで疲れも溜まっているので、すぐに車掌用の仮眠室に向かいたい。
俺は運転室を出て、魔力石が貯蔵されている車両を外の通路伝いに通り抜けようとする。
風を直に受けるため、山を登る途中ということもあってか、しっかりした上着がないと寒い。
今どの程度までの高さにいるのだろうかと、外の景色を見ると、月で照らされた海が辛うじて確認できる以外は、真っ暗で何も見えない。
それでも見える海を見下ろす角度で大体の今の高さが分かる。
今はそれなりに高い所にいる。
早いものだなと感心していると、突然真っ暗な景色の中に明らかに人工物の影が見えた。
それはいくつもあって天辺が三角の形をしている。多分家だろう。
意外と距離が近くてビビる。
そういえばコルトが山の方に故郷があって、列車からその景色が見えるかもしれないって言ってたなあ。
もしかしてこれらがアイツの故郷なのだろうか。
ただ、こんなに列車との距離が近くて、家に住んでいる奴らは音で五月蠅いと思ったりしねえのかな。
視界に入った家はどれも灯りがついているようには見えないし。
少し考えて、さすがに夜中だから皆寝ているのだなと思って、そろそろ体が冷えてきそうだから1号車に入ろうとした。
そうしたら、俺の顔に水滴が飛んできた。
雨でも降ってきたのかと思って空を見上げても、頭上には雲ひとつない。
更に水滴が飛んできたので、一体どこから来ているのか確認するため、貯蔵室の屋根付近を眺めていたら、水が垂れている。
参ったな、水漏れか?
手に水を擦り付けると赤いし鉄臭い。
慌ててもう片方の手で顔に付いた水滴を拭き取ると、手が赤く染まっていた。
血だ。
おいおい勘弁してくれよ。動物がこの上に乗っかっちまってるのか?
そのまま屋根付近に手を掛けて思いきり、屋根の上を覗き込む。
動物じゃなかった。
赤いマントが風にはためいている。
マントに包まれているのは恐らく人間だ。
血だらけで額から血が垂れている。
けれどソイツは死んで倒れているわけじゃない。
片膝を屋根について、こっちを睨みつけてる。
赤い髪に金色の瞳が、月明かりでわずかに照らされている。
この列車に轢かれたとするなら、生きているのが不思議だ。
そして、猛烈に嫌な予感がする。
コイツと関わるのはヤバイ。理由はないが、なぜかそう感じる。
本能的な何かってやつだ。
けれど、怪我をしているから様子を聞かなきゃならない。
「大丈夫ですか」って聞かなきゃならないけれど、言葉が出ない。
ヤバすぎる。
「初めて見るこの走る塊は何と言うのだ?」
「は?」
いきなり何だコイツは。
そんなことより自分の怪我を心配したらどうなんだ。
「いや、いや、いい。お前の血に聞く」
今の会話だけでも十分だ。コイツは普通じゃない。というか会話になっていない。
声から分かる。女だ。
逃げないといけない。今すぐ運転室に戻って助けを呼ばないといけない。
でも体が動かない。
金色の瞳から目を逸らしたら、多分俺は無事では済まない。
だが、このまま見ていても、無事では済まない。本能がそう思わせる。
つまり、どうしようもない。
「ついでに少しだけ血をもらう。安心しろ。死にはしない。ああ死にはしない」
「助け――!」
いつの間にか雲が広がり始めている。
風が強い。
そうだ。仮眠室に戻らないと。
顔に水滴が付き始めてきた。
手に付いた血や、屋根から滴る血がこれで洗い流されている。ああ、面倒なことになるところだった。
そういえば魔女様はどこにいるのだろう。
あ、いた。
魔女様は屋根の上にいる。
赤くて紅くて緋いマントが綺麗だ。
あのマントを見ていると、覚えのない記憶がいくつも重なって脳裏に甦ってくる。
血だ。血がたくさん見える。
聞いたことのない言葉がいくつも口から勝手に出てきてしまう。
不味い。これじゃ気持ち悪くて皆から引かれちまうな。
だが、我慢できずに再び言葉が出てしまう。
「血は、我々は争いを求めている」




