2人とも黄衣の魔女2
知る神がいた所までの道のりが近くて良かった。
迷路のような廊下だったから戻ることができないのではないかと心配したが、無事に本を発見することができた。
早速、本を手に取り中を開こうとする。
「この建物の地図を知りたい。知る神よ、どうか教えて欲しい」
念じるだけで良いのか、言葉にしなければならないのか分からなかったので、声に出して知識を乞う。
しかし、知る神は応えてはくれなかった。
スーヴェリアやヴラスタリは、この神を教えたがりの神だと揶揄していたが、今はどういう訳か教えてくれないのだ。
せっかく、この状況を打開できそうな存在に出会えたというのに、また振り出しに戻りそうで嫌気が差してきた。
「最初に出会った時は、五月蝿いぐらいに目の前で羽ばたいていた癖に……今は……」
『五月蝿い』という言葉で、これまでの砂漠での思い出が一気に甦る。
今は、建物の外で聞こえていた砂嵐や暴風雨の音が聞こえず、建物内部でも音が聞こえない。そのことが何を意味するのか。
身体が危険と恐怖を呼び起こして、周囲の警戒心を強める。
今は、騒いでいた神々が沈黙を守らなければならない時間なのであると悟った。恐らく、外は夜だ。
知る神は、確かに俺に知識を教えたがっていた。俺に知識を与えて、対価として信仰を得ようとしていた。
その神が羽ばたかずに床で静かにしていたのだ。
黙する神の愛する静寂を守るために。
気付いた時には全てが遅かった。
慌ててランタンにいる神に光はいらないと願うが、目の前の暗闇に、別の暗闇が浮き出ていることは分かった。
光が消えても尚、はっきりと廊下をひしめく黙する神の姿がそこにあった。
知る神を抱き抱え、セシルも俺も口を結び息を止めた。
黙する神は静寂を確かめるようにゆっくりと歩んでいた。
今度は神に怒られないように黙っていようと決心していたから、問題はない。
後はこの息が保つかどうかの話だ。
無論、静寂を破った者が虫に変えられるという逸話を聞いた今では、死んでも息を止め続けなければならない。
『転移』
しかし、またしても沈黙は破られてしまった。
今度は俺もセシルも黙っていた。音を出さないように努めていた。
音の主は別の者の仕業だった。
黙する神は怒り狂うと思った。巻き込まれて俺たちが虫に変えられないかと恐怖した。
だが、心配をよそに怒りの声が聞こえてくることはなかった。
暗い廊下が目の前にあったはずだが、一瞬で景色が塗り変わり、目の前から黙する神が消え去る。
表現が難しい浮遊感に襲われて、何が起きたのかと考えている間に、目の前に1匹の猫が立っていた。
4本の足ではなく、2本の足で立つ猫だ。
白い毛並みに翠色の大きな瞳を持った猫。知り合いだ。
「錆衣の……魔女?」
「お久し振りですね、ヒューゴ様」
鉄が錆びた時の赤茶色と全く同じ色をしたマントを羽織り、魔女といえばこの帽子という帽子を被っている。
『歪んだ円卓の魔女』の1人、錆衣の魔女チル・アンダイン。
リリベルは彼女のことを最強と称する。
当然、正式にリリベルが魔女協会に舞い戻っていない今は、警戒すべき相手である。
その様子を察したのか、彼女は目を細め口元を緩めて言った。
「安心してください。砂衣の魔女様から既にお話は窺っています」
「話?」
「ええ。アスコルト様……いえ、リリベル様が魔女協会に戻っていただけると、私は聞いております」
「勿論、ヒューゴ様が提示する条件も窺っておりますよ」
チルは手を招いて、俺を先の場所へ移動させようとしていた。
だが、いきなり訳の分からない場所に連れて来られて、此方は滅茶苦茶に混乱している。
ここがどこだか分からないが、強制的に別の場所へ移動させられたことは確かだ。すぐにリリフラメルたちを確認して、必要ならば助け出さなければならない。
彼女の話を悠長に聞いている場合ではない。
彼女に訴えかけるが、彼女の態度はその言葉遣いとは裏腹に冷たいものであった。
「ふふふ、ヒューゴ様は私について来るしかありませんよ」
ついて来なかったらどうなるか分かっているな?
そう思わせるような圧が感じられた。
顔は笑顔を作っているが、表情全体が笑っているように見えない時は、大抵目が笑っていない。
だが、彼女は目の端を垂らしていて、表情全体が笑っている。それなのに、笑っていないと感じられてしまうのだ。
セシルに何か良い手はないか心の中で尋ねるが、彼女は沈黙を貫き続けた。
もう1度尋ねるが返事はない。
代わりに返事をしたのはチルだった。
「セシル様はヒューゴ様の頭の中にいませんよ。彼女は元いた場所で待たせています」
「な……ん……」
「転移先と転移元でヒューゴ様の身体を完全に等しくするには、非常に緻密な魔力の操作が必要になります。指がなくなっては困りますでしょう」
絶対にわざとセシルを置いてきたのだと分かった。
緻密な魔力操作は事実必要なのかもしれないが、最強の魔女がその程度のことで融通を利かせられないとは思わない。
セシルもリリベルもリリフラメルもいない。
たった1人で、最強の魔女と共に知らぬ場所へ向かわされるということは、凄まじい重圧であった。
彼女の猫特有の軽やかな足取りは、やがて幅の広い長めの階段に案内した。
空は夜真っ只中で、辺りは暗い。
だから最初は眼前に聳え立つ城のような建物が、見覚えのない建物だと思ってしまった。
見覚えがないなんてとんでもない。
何度も見た建物じゃないか。
そこは魔女協会の本拠地、魔女聖堂であった。
魔女が一堂に会する場所であり、リリベルが魔女協会と決別した場所。
俺とも因縁の深い場所に、遂に訪れてしまった。




