3重10
砂衣の魔女は一転して気分が良くなった。
口調や声色が変わった訳ではないが、エリスロースを元の地位に戻すという条件を認めてくれたのだ。
更に、頭を地面に擦り付けて、渇く神を殺すのではなく弱体化させたいと言うと、奴は助言までしてくれた。
見下していた相手に有益な情報を与えるという行為は、気分が良くなければ行わないことは明白だ。
俺がヘリつくばっていることが、奴にとっては余程喜ばしいことらしい。
「緑で何重にも囲め。それだけで砂が外へ広がることはなくなる」
「俺たちでは緑を作ることができない。どうか砂衣の魔女から緑衣の魔女に頼んで緑を増やしてもらえないだろうか」
俺たちにはできないが、砂衣の魔女にはできるということが、奴の優越感を増長させる。
リリベルの信用を取り戻すために、俺たちが渇く神を止めるという話だったはずだが、いつの間にか砂衣の魔女に全てを委ねることになっていた。
砂衣の魔女の助言を聞いた時点で、俺たちには成し遂げられないことだと理解できた。
悠長にしている時間がないことを踏まえると、緑を操る魔女に頼むことが1番手っ取り早い。
『ヒューゴには矜持というものはないの……?』
リリベルのためなら幾らでもドブに捨てられる。
『まあ、貴方が良いと思うならそれで良いけれど……』
残念なものを見るようなセシルの視線が突き刺さったまま、砂衣の魔女との話が無事に終わりそうなことを感じて安堵する。
「辺境にわざわざ私を呼び寄せて、苛立たせたことは不問にしてやろう。今は多少気分が良い」
ん?
「何を言っているのだ……? 亡国ネテレロで待ち合わせるように指定したのは砂衣の魔女だろう」
顔を上げて奴の顔を見ると、奴はまた眉をひそめていた。
奴も想定外のことを感じているが、俺も同じように想定外のことを感じている。
想定外のことが何かの勘違いであったと思いなおすことができるように、確認のために追加で奴に質問を行った。
「『魔女協会に戻してやる代わりに、亡国ネテレロで渇く神を倒せ。詳細はネテレロで直接会話する』と、そう手紙に書いてあった」
「私は、お前たちが合流する場所を指定する一方的な返事の手紙を読んだ。本来落ち合うはずだった場所は魔女聖……堂……」
俺たちは砂衣の魔女に手紙なんか送っていない。
砂衣の魔女はすぐさまに怒りを表し始めた。奴の矜持を脅かすことをされたのだと、ここで気付いた。
「誰が私を罠に嵌めた」
奴の機嫌を損ねないように、俺たちも罠に嵌められたことを伝えようとした。
しかし、伝えるよりも前に別の声に遮られてしまった。
「元黄衣の魔女はどこ?」
階段を降りながらリリベルの居場所を尋ねる女は、赤みがかった茶髪をしていた。
リリベルと同じぐらいの背丈だろうか。
彼女は幼い頃より牢に投獄された経験があり、碌に食事を与えられなかったことから、成長を阻害されてしまい年齢の割に背丈が低く幼く見えてしまう。
そのリリベルと同じように見えるのだから、奴は彼女より若いだろう。
要は子どもにしか見えない。
子どもにしか見えない奴が、廃都にいること自体が異常だ。
だから、奴は普通の女じゃない。
『そもそも、リリベルのことを口に出している時点で普通じゃないわよ……』
セシルのツッコミは無視する。
奴はボロボロに擦り切れた黄色いマントを羽織っていて、その下には素朴な砂色の衣服を着ている。
唯一しっかりしていそうなブーツが鳴らす音は、崩れかけた階段の寿命をより早く縮める程の大きさだ。
「えーと、黄色いマントを羽織っている奴、黄色いマントを羽織っている奴……いないじゃん」
「貴様が私を嵌めたのか」
砂衣の魔女は赤茶髪の女の返事を今か今かと待っていた。肯定のひと言をいつ言うのかと待ち遠しそうにしているかのように見えた。
罠に嵌められたという屈辱を晴らす実行の許可を、赤茶髪の女の口から出るのを待っていた。
「砂衣の魔女? ごめんなさい、本当は貴方を嵌める気はなかったの。用があったのは、黄衣の魔女だけだから」
その返事は悪手だ。
嵌める気があったかどうかは関係なく、嵌めたという事実だけが砂衣の魔女にとって重要なことだからだ。
『光陰蛞蝓のごとし』
砂衣の魔女を防ぐ手立てがない。リリベルの魔力で作った鎧を着込めば、時間稼ぎぐらいはできるが、いずれ鎧は元の魔力に分解させられるだろう。
奴の魔力の届く範囲全ての時間が、既に影響を受けていた。
首を砂衣の魔女の方に向けて動かそうと思っても、己の意志に反して首はゆっくりと可動する。
だから、まだ赤茶髪の女が視界に入っている。
赤茶髪の女は俺たちを見下ろしながら、非常にゆっくりと階段を降りようとしていた。
この場で正しい時間で動ける者は、ただ1人砂衣の魔女だけであった。
しかし、赤茶髪の女はこの状況で、ゆっくりと口角を上げた。
徐々に口の端が上がる様は中々不気味ではあるが、砂衣の魔女の魔法を受けて無防備になった今の状態は、負け惜しみの笑みにしか感じられない。
「貴様の時間はここで終わり――」
『赤雷!!』
砂衣の魔女も驚いただろうが、俺も驚いた。
奴は明らかに砂衣の魔女の魔法を受けている動きをしているはずなのに、即座に詠唱を行ったのだ。
耳が音を聞き届けても、身体の動きは何1つ追いつくことはない。動きに関する時間だけが、元の世界から周回遅れにさせられた気分だ。
その状態で、赤い稲妻が密閉されたドームの中で広がればどうなるのかは明白だ。
砂衣の魔女が魔法を解くまで、爆音と光に晒され続けることになった。
『矯正措置……』
セシルは耳を塞いで俺が聞こえている音を避けつつ、光で白けた目を強制的に見える状態に戻してくれた。




