2階からバケツ一杯の目薬
「先頭は運転室、2つ目は魔力石の貯蔵室、3つ目から7つ目は客車、8つ目と9つ目は食堂や簡易的な厨房など、残りの10室は貿易品が入った積荷室だよ」
リリベルが紙に絵を描いて列車の構造を説明してくれた。
車輪のついた箱がいくつも繋がっていて、先頭の運転室のある箱が馬の代わりとなって、後ろに続く全ての箱を引っ張って進んでいるようだ。
馬車よりも乗り心地は良いし、客車の1部屋を与えられた俺とリリベルはふかふかのソファで寛いでいる。
客車1つにつき部屋が2つあり、部屋1つでもフィズレにある家の食卓よりも3倍は広い。
調度品には金がこれでもかと散りばめられており、明らかに金を持つ者か地位を持つ者にしか、居座ることを許されないであろう豪華さだ。
「運転室には魔力石を投入する口があって、その先には魔法陣がいくつもあるんだ。魔法陣は魔力石に含まれた魔力を吸収して、魔力を動力に置換する装置に伝わって車輪を回転させる。空になった魔力石は脆くなるから、新しい魔力石を入れるだけで、砕けていく。1度詠唱すれば、後は魔法陣の上に魔力石を投入し続けるだけで、列車は走り続けることができるという訳さ」
説明してくれるのはありがたいが、今の俺には列車よりも気になることがある。リリベルのことだ。
ソファは他にもあるし、俺が座るソファは横にまだ1人分座るスペースがあるというのに、わざわざリリベルは俺の膝の上で胡座をかいて座っている。
初めて魔女と魔人を狩ったあの日から、妙に物理的な距離が近くなった気がする。
ズボンが汚れるのでせめてブーツは脱ぐようにお願いすると、「女の子に足を晒せだなんて君は獣だねえ」とからかってくる。
「散々お前の裸は見てきたんだ。今更足が見えたぐらいで興奮などするか――」
『瞬ら――』
「待て待て待て」
雷魔法を放とうとする彼女の口を慌てて塞ぎ、話題を元に戻す。
「しかし、結構な速さで進んでいるが、魔物にぶつかったりしたら危険じゃないか? 列車が止まったりしないのか?」
「ふふん、心配ないよ。運転室がある所は、前面と側面に防御壁の魔法が常に展開されているんだ。大馬ヴィルケくらいは軽く轢いてどかせるよ」
ヴィルケは馬の姿をした魔物で、その体躯は大人の場合通常の馬よりも3倍程大きい。
頭に一本角を生やしており、その角が魔法杖の代わりになって魔法を放ってきたりする。
身体が大きすぎるため、もし背中に乗ろうと思っても容易に手が届かず、乗り方を考えないといけない。
しかし、飼い慣らされたヴィルケでもない限り、背中に乗ろうとすれば蹴り殺されるのがオチだ。
「竜の類がいたらどうなんだ」
「竜はこの辺りには出現しないから大丈夫だよ。仮に現れたらその時は潔く事故に遭うしかないね」
確かに、竜若しくはドラゴンという生物は、基本的に他の生物が寄りつかない場所を棲家としている。
もしこの辺りで発見したら、すごくラッキーなぐらいだ。
「まあ、もし何事もなく走り続ければ、1日と半日でエストロワに到着するというのだから、すごいと思う」
結局リリベルは俺をからかってきた癖に、自らブーツを脱いで、俺の膝の上に居座り続けた。
本当はもう少し楽な姿勢で寛ぎたいので、せめて俺の横に座って欲しいのだが、俺の快適さと彼女の機嫌を天秤にかけて、彼女の機嫌を優先して何も言わないことにした。
リリベルの手元から紙を破る音が聞こえたので、見てみると手紙の封を切って中身を見ていた。
「誰からの手紙なんだ?」
「ああ。チルって子は覚えているかい? その子からだよ」
「魔女聖堂にいた白猫のことか?」
「そう、その子だよ」
手紙の内容は、リラの伝言が記されていて、ただの文句だそうだ。
「『魔女狩りで殺した魔女と魔人の死体を持ち帰ってこないと、死亡の確認ができないだろう間抜け』だってさ。死体をわざわざ運ぶなんて嫌に決まっているじゃないか」
彼女は興味なさそうに読み上げていたが、追伸があったことに気付いて読み上げてくれた。
「『アスコルト様は本当に騎士様とキスをしたのですか?』だってさ。はっはっはっ」
彼女は手で紙を丸めると、床に捨ててしまった。
やはり彼女を起こすためとは言え、勝手に彼女にキスしたのは良くなかったのだろうか。
「すまない。リリベルを助けるためとはいえ、好きでもない男とキスをする羽目になったのは嫌だったろう」
「頭がおかしくなりそうだから思い出させないでくれ」
「すまない」
相当怒りの感情があるようだ。俺の膝の上で胡座をかいたまま、両手で顔を塞いで俺の胸に倒れ込んでしまった。
俺が知っているだけでも、彼女はサルザス国で数え切れぬ程、男たちに酷い目に遭わされてきたのだ。
嫌な思い出を蘇らせてしまったかもしれない。
宿屋の主人に身体を売ろうとしたり、自分の身体で俺に性欲を発散させようとしたりした時は、この女は狂っていると思っていた。
だが、他に優先して解決すべきことをすぐ済ませられるように、本当は嫌なのを我慢して提言していたのだろう。
「あー。勘違いしないで欲しいのだけれど、君のことを嫌だと言っている訳ではないよ」
なるほど、よく分からん。
多分、俺かリリベルのどちらかが何か勘違いして話が噛み合っていないような気がしたが、これ以上追求するとまた雷魔法を放ってきそうなので、聞かないことにした。
彼女は気を取り直して、もう1つ手紙を懐から取り出して読み始めた。
「砂衣の魔女からの手紙なんて珍しい」
砂衣の魔女も聞き覚えがある。確か魔女会の円卓に座っていた魔女だ。
巨大な木の円卓を囲んで座ることのできる魔女を『歪んだ円卓の魔女』と呼び、魔女の中でも相当の実力がある者にしか座ることを許されていない。
砂衣の魔女は『歪んだ円卓の魔女』の1人だ。
リリベルはいきなり無言になってしまったので、心配になってどうしたのかと聞いてみると彼女から返事が来た。
「緋衣の魔女が管轄する町が滅ぼされたみたいだ」
緋衣の魔女。
俺とリリベルが城から逃げて2つ目に到達した町で、俺たちを襲った血を操る魔女だ。
気の狂いかけた彼女は、守ろうとした町人たちの意識に押し潰されて、俺たちを殺そうとしてきた。
「彼女の生死は分かっていないが、もし見つけたら私に世話をしてくれってさ。しかし、なぜ砂衣の魔女が私にこの手紙を送ってきたのかさっぱり分からない」
「もし見つけたら、家に連れていくのか?」
「嫌だったかな?」
リリベルは身体を捻って俺と顔を見合わせて尋ねてきた。
「狂っていて話が通じない状態になっていたら、さすがに嫌だな」
「そうだね」
もし緋衣の魔女に再び出会ったとしても、彼女が狂っていないことを祈るばかりだ。
その後、しばらく2人で窓から外の景色を見ていたら、扉を叩く音が聞こえて、車掌から夕食の用意ができたことを知らされる。




