認識すべき魔女4
仰向けになって赤い空がずっと見えていた。
寝返り打って横向きにもうつ伏せにもなることはできない。力が湧いて来ない。
それだけの死にかけの状態で、意識が朦朧とし始めたからなのか幻覚が見えた気がした。
「せっかくの私の努力を無駄にする気……?」
黒髪のボブカットと糸で縫い付けた跡がある両の目蓋、そしてリリベルには叶わないがそれでも可愛らしい顔立ちをした女が、じっと俺を上から眺めていた。
「もう私の友だちを守る気はなくなったの、ヒューゴ……?」
目蓋を糸で縫い付ける異常者を俺は1人しか知らない。
セシルだ。
「知っている顔だと思ったら碧衣の魔女だわ」
「私は貴方を知らないわよ、無衣の魔女」
相変わらずの冷たい態度で言を発した後、すぐに俺に閉じた視線を落とした。
「ヒューゴのことだから、私の最期の言葉は中途半端にしか聞き入れてないでしょ……?」
最期の言葉を聞き入れた結果は、服の内に1つある。
彼女の言う通り、俺は中途半端にしか目玉をくり抜いていない。
「最期の最後に、2人の姿を見られたことは良かった……」
今の彼女に糸は縫い付けられていないが、目を閉じたままだ。見えていないはずなのに「見られたことは良かった」と不思議なことを言う魔女だった。
『偽視罪』
彼女は、片目の目蓋だけを開き、くたばりかけた俺の姿を見つめながらその一言を呟いた。
同時に、喉に詰まっていた異物が瞬時に消失して、身体が空気を求めて一気に肺を膨らませた。
生者に許された生きる実感を噛み締めて、正常な思考を取り戻す。
「げほっ……お前を助けに来たのだぞ……」
「……それなら誓って。『私を必ず生き返らせる』と……」
正常な思考を取り戻して尚、そこにセシルがいる。
幻覚ではなく、探して求めていたセシルの魂がそこにいると気付いて、安堵感に包まれた。まさか彼女の方から来てくれるとは思わなかった。
そして、正気で平気で会話できることにも驚いた。
魔法を詠唱した影響で、セシルの身体が欠けているのが心配だったが、それよりも彼女の質問の意図が分からなかった。
普段のセシルなら言わないであろう言葉が放たれたことが不思議であったからだ。臭すぎる言葉だった。
「何が起きるのか知らないけれど、■■■■の知らない所で盛り上がらないで」
「黙って……知らないままで良いから。それよりもヒューゴ、早く誓って……」
2人の魔女との間に険悪な空気が流れ始める。
無衣の魔女の目的は、自己の存在主張とそのための魔力集めだろう。
だから今の険悪な空気で、セシルという魂が無衣の魔女に即座に掻き消されてしまわないか心配だった。
その心配をよそにセシルは目を閉じたまま此方を睨みつけていて、意味の分からない誓いを立てることを俺に迫っている。
結局、彼女の気迫に負けて、堪らず俺は誓いを立てることにした。
『俺は碧衣の魔女セシル・ヴェルマランを生き返らせることを誓う』
「あ」
過去に似たような言葉を喋ったことがあった。
ただ、何も思い出せなかった。
俺の身に深く関わる重要なことであったはずだが、どれだけ頭を捻っても出てきそうになかった。
「魔法陣は私が代わりに想像していてあげるから、詠唱をして……」
先程まで目の前で聞こえていた声が直接頭の中に響いてくるようになった。
周囲を見回すと彼女の姿がなかった。どこかに寝転がっているのかと地面辺りも良く確認してみたがいなかった。
まさか無衣の魔女によって認識を失わされたのかと焦ったが、当の本人が動揺していた。
「碧衣の魔女が消えた。私の知らない所で」
無衣の魔女の影響ではないことを知り、セシルが一体どこへ消えたのかをそれとなく語りかけると、やはり頭の中から声が聞こえてきた。
「後で話すから……今はまず、私の目を使ってやるべきことをやるのよ……」
今はとにかくセシルの言葉に従うしかない。
服の内に仕舞っておいた彼女の目玉を取り出そうとする。
しかし、それは無衣の魔女に阻止される。
「■■■■の知らないことがその手の中にあるのね」
まずい。
瞬間的に距離を詰めた無衣の魔女に、セシルの目を奪われてしまう。
「それなら、貴方の得意技を使えば良いじゃない……」
セシルの言葉に突き動かされるように、もう片方の手を無衣の魔女の顔近くに突き出す。
この目では彼女の姿を認識できないが、きっと俺が突き出した手の方を注視するはずだ。
セシルにせっつかれて俺が行うとしている攻撃手段を奴は知らない。
どちらの手に逆転の手が含まれているのかも知らない。
きっとセシルの目を取り出そうとした左手は、囮だと思っただろう。
だから、先に突き出した右手が本当の攻撃だと認識したはずだ。
俺だったら見る。知らないなら知ろうとする。
だが、右手は囮だ。
斧と槍を具現化した。
何でも良かった。
奴の注意を向けられるのなら何でも良い。
例え次の瞬間には認識を歪まされて、具現化した物が元の魔力に戻ったとしても、問題はない。
無衣の魔女は掴んでいた手を離して、降り注ぐ槍と斧の雨を一瞥してから、多分俺に視線を再び戻したと思う。
だが奴が手を離したと同時に、左手に持っていた目玉は奴に向かって取り出してあった。
「これは知っている……わ」
『借視権』
奴が再び、奴自身の認識を俺から外す前に、詠唱した。
不思議なことに頭の中にはっきりと魔法陣が浮かび上がっていた。トゥットから教えてもらったはかりの魔法陣だから、紙に写してきたというのに、使い慣れていてたかのようにすぐに頭の中に浮かんでいたのだ。
詠唱が成功し、魔法の効果が表れる。
両の目で見ている視界以外に、無衣の魔女を見ている視界が増えた。
セシルの身体から奪った目が、無衣の魔女を見ているのだと分かった。
『偽視罪』
無衣の魔女が、俺の右手の動きと具現化した斧や槍は囮であったと認識するよりも早く、詠唱を行った。
触れなければ認識を歪ませられない無衣の魔女にとっての天敵である魔法。
触れていなくても、見ていさえすれば効力を得る、危険で便利な魔法。
視界に入ったものの中で、最も都合の悪い存在を消し去る魔法。それがセシルの『偽視罪』だ。
きっと、魔力の認識を歪ませてしまえば、俺は魔力の使い方を思い出すことができなくなっただろう。そうすれば奴は生き延びることができたかもしれない。
だが、奴は魔力の概念を消し去ることなんてできない。少なくとも今はできない。
自分まで魔力の認識を失ってしまえば、今まで認識から外してきた物たちが認識から外されてしまうからだ。
ここで奴と出会うまでに、奴がどれ程の物を世界中から奪い取ったのかは分からない。
もしかしたら奴の手によって認識を奪われた種族もいたかもしれない。それ相応の努力でもって数多の認識を奪ったのかもしれない。
だから、積み上げてきたものをそう簡単には崩すことはできない。
自らが使っていた魔法も認識から外れてしまうようなことは、できないはずだ。
具現化の力と同じだ。
想像を止めてしまえば、作り上げた物がたちどころに元の魔力へと霧散してしまうように、奴が今まで築き上げた物も霧散してしまう。
呆気なく元に戻ってしまうだろう。
だから、無衣の魔女ができたことは、奴の存在自体を認識から外して、俺とセシルの視界から外れることだけだった。
しかし、俺は既に見ていた。
セシルの目が確かに無衣の魔女の姿を捉えていることを、見ている。
それがどういう姿をしているのかを理解できなくとも、見ている限りは奴を攻撃できた。
恐らく無衣の魔女の身体は、消えている最中だ。




