認識すべき魔女2
リリベルの魔力で作った剣で無衣の魔女に触れたらどうなるのかを考える前に、無衣の魔女の方から触れられた。
一体いつ懐に潜り込まれたのか。
束の間に気絶でもしたのかと思える程距離を縮められていて、剣に触れられた。
触れられた、と認識した瞬間にソレは霧散してしまう。
もうソレが何なのかを言葉で言い表すことはできない。
リリベルを守るために、慣れ親しみ使ってきたソレは、どのような形でどれくらいの重さだったかの情報は、頭の中に確かに残っている。
残っているはずなのに、ソレを表す物の名も形も如何なる手段を用いようとしても表すことができない。口に出して言おうとしても、嗚咽のようなものしか出てこない。
「貴方はまた1つ若返った」
「若返っただと?」
リリベルはリリフラメルとエリスロースに介抱されながら、俺たちとの距離を離していく。
無衣の魔女に気取られぬように距離を離して、リリベルが背になるように回り込む。
無意味かもしれないがいざという時は俺が壁になってでも止められるようにしておきたい。
「何も知らないということは、生まれたての赤ん坊と同じ。知識は積み重ねることで老いへと導くのだから、その逆である若さは知らないことと同じだと思うわ」
「そんな訳ないだろ。知っていたことを言葉に出来ないのは耄碌だ」
「『何だっけ、ここまで出ているのだけれど名前が出てこない。アレだよアレ』みたいな?」
会話の間に、また無衣の魔女に距離を詰められた。
咄嗟に反射して、防御のために盾を具現化したことは悪手であった。
盾が……コレになった。
また1つ認識できていた物が減った。
「歩き方は、知っている?」
「うおっ!?」
恐らく、認識を崩されている。
無衣の魔女は、接近する時だけ奴自身の存在そのものを破壊している。故に俺は、接近時に奴を認識できない。
今までは目で見てそこに姿があるという理解はできていたが、その認識すら歪まされたのだ。
そうでなければ、この不可解な時間の飛躍を説明できない。
そして、気づいたら転んでいた。
転んだというより、崩れ落ちたというべきだろう。
腕を使って這って移動するしかなくなっている。ただ、そもそも腕以外に移動する手段が人間にあっただろうか。
無衣の魔女に触れられた部位が何であったかを認識することはできない。確かめようがないのだ。
元々、これぐらいの視界の高さだったような気さえしてくる。
これまでの全ての思い出の中にある、生き物全ての姿はほとんど認識できなくなった。
無衣の魔女も、振り返って見たリリベルたちも、地に伏している。
多分、異常なことが起きている。
だが、これまでと違うのは何が異常なのかを判別できないことだ。
理解できない脅威が恐怖となって襲いかかってくる。
しかし、残酷なことにそれでもまだ素直に狂うことはできない。決壊しかけている心の器は、まだリリベルで保たれている。
魔女は恐らく地を這って此方へ近付いてきている。視線の高さが合うのだからきっと正しい。
手を使って後退していると、尻と地面を擦る感覚に付随して近くで同じような感覚を感じている。その正体不明の感覚を感じることは非常に気持ち悪かった。
「認識の度合いが違うわ。説明しなくても無意識にできることは、それ程貴方に深く関わっていることなの。だから、貴方も■■■■も地を這う理由をより強く理解できないの。説明しなくてもできることを今更説明しろと問われても、説明は難しいでしょう?」
無衣の魔女は地を這う俺に、這う理由を教えようとしていた。
だが、それは無衣の魔女ですら答えを明かすことはできないだろう。奴自身も同じ認識だからだ。
一生解決できない問題を与えられたような気分だ。
「その口振りからすると何かが変わっていることを、お前は1つ1つ理解しているということか」
「正しいけれど、間違っているわ。■■■■は何も知らないもの」
つまり、本人も影響を与えた事柄自体は理解できておらず、1度認識を歪ませた物事を意識して解除することは不可能ということか。
それならあの瞬間移動のような芸当は、一体何の認識を歪ませて行ったものなのだろうか。
「何が何だか分からないが、とりあえず今は、最初から俺は地を這う動物だったという認識に改めれば良いだけの話だ」
掴んだ石を無衣の魔女に投げつけると、痛みを表す呻きと共に、投げつけた物の存在が頭の中で歪んだ。
そこら中にあるはずだが、もう2度とソレを掴んで魔女に投げつけることは叶わなくなった。
「貴方自身が認識している不死性を、貴方が認識できなくなって、その上で死んでしまったら、貴方の精神はどちらに傾くのか知りたいわ」
反撃とばかりに無衣の魔女の言葉が襲いかかる。
その言葉は確かな恐怖を俺に植え付けた。
魔女の呪いで死ぬはずがないとタカを括っている俺に、死の認識を捻じ曲げられたら果たしてどうなるのか。
まともでいられるのだろうか。
恐怖の文句で俺を脅して喜んでいるであろう魔女の表情は、鮮烈すぎて普通なら記憶に残るはずなのだが、それすら許されない。
思い浮かべた顔は、俺が勝手に想像している別の誰かであって、目の前の魔女が本当に笑っているかは見えていないからだ。
「安心して。■■■■は死という概念に触ることはできないの。触り方が分からないから」




